5
奈々と飲みに行って数日が経った。変わらず暑さは焦ったく、スーツを着て毎日出社することが違法になることを願うばかりだ。
笹川とはあの日以来連絡も特にせず、相変わらずの仕事以外は堕落した生活を続けている。社会人とはなぜこうも平坦な日常を送ることを強いられているのだろうか。お金という縛りがある以上遊び続けることはできないが、今日はコスプレデー!とか、今日はクラブミュージック流すデー!とか、そういう刺激があってもいいものだと思う。と、中学生が授業中にテロリストが襲ってくる妄想をするような、生産性も現実味もない妄想をしながら仕事に没頭するフリをしている日々。人間大人になっていくにつれて現実味というもののハードルは高くなっていく。歳をとると涙もろくなるのは現実を諦めることが増えているからなのだろうか。
と、やはり生産性のないことを考えながらエンジニアの同期が生産性がどうとかこうとか言っているのを横目に聞き事務仕事に打ち込んでいると、上司の山本から声をかけられた。
「笹川さん、今日はみんなでランチなんてどうかな?」爽やかな笑顔によく似合う白い歯。もう50を過ぎているらしいが、いまだに30代に見える若々しさに、狙ってる女性社員が多いとかなんだとか。確かに端正な顔立ちはしているが、噂を流した人は今時の女性をなめていると思う。社内で既婚者とくっつこうなんて人はそこまで多くないだろう。いや、多くないといいなと思っているだけだ…。
そんなことはどうでも良くて、お昼か。夏は暑いから痛むのが怖くてお弁当は作る日と作らない日がある。今日がたまたま作らなかった日でよかった。実際は作る気力があるかないかなのだが。
「そうですね、ご一緒させていただきます。」
「お〜ありがとう。それじゃあまたお昼休みに。もう少し頑張りましょう!」
「はーい!」
と話している時の先輩の視線が鋭い。実際、先ほどの噂は間違っていない。恋愛感情かどうかはおいておいて、山本は顔だけでなく性格や面倒見がいいから女性だけでなく男性からも人気の社員だ。私は何の感情も持っていないが山本になぜか気に入られていてたまに女性社員の中で浮くことがある。いい迷惑だ。
私は笹川のような、柔らかい物腰なのになぜかミステリアスな人がいいな。などと考えながら昼休みまで時間を潰す。最近こうして笹川のことをよく考えている。奈々のせいで意識してしまっているのもあるだろうが、確実に私の好みにド直球ストレートな面が多い。だからかもしれないが、なかなか連絡を送れずにいる。あちらからもこない。これは縁がなかったんだろうなと、思えばそうな気がしてくる。
お昼休み、それじゃランチ行きますか!と山本が立ち上がる。周りの女性社員は待ってました!とでも言わんばかりの勢いで素早く立ち上がり山本の周りをキャンキャン吠えながらまとわりつく。それを見た私と数少ない男性社員が「出たいつものやつ。」と呟き苦笑した。
お店はオフィス近くのランチサービスをしているカフェが選ばれた。私みたいなガサツな女は誰かに誘われなければこんなお洒落なお店にはなかなか行かない。入社して1年半が経つが、このお店に来たのも多分3度目くらいだろう。記憶も曖昧なほどこないお店だ、優柔不断な私は何もかも新鮮でメニューを見る目は右往左往してしまい定位置を失った。それを見た山本は面白いものを見てしまったと言う顔をした。恥ずかしくなって苦し紛れにメニューを隣の人に回す。結局決まっていないから誰かと同じものにしよう、と心に誓った。
「ここはホットサンドがおすすめですよ。」山本はそう皆に告げた。それを聞いた女性社員たちはじゃあそれにしようかなー!とか、山本さんは何にするんですかー?とか、矢継ぎ早に話して止まらない。注文がかぶったら面倒になりそうだから男性の誰かと同じものにすることにした。
それにしてもホットサンドか…笹川のダイリンのおすすめと同じだ。と、いちいち笹川の顔が脳裏にチラつく。いい加減連絡をしたほうが私のためなのか、とさえ錯覚し始めた。
そうこう考えていたら注文が決まったらしく、端に座っている先輩が店員を呼んだ。一番席の近い先輩に合わせた注文をしたらBセットとやらに決まった。AもBも、中身を知らないと何が来るのか全くわからない状態でのBセットの注文はなかなか勇気のいるものだった。好き嫌いしないから大丈夫であろう…。
「沢田さんはホットサンドにしないの?」山本は自分が女性社員たちから色目を使われているのに気づいていないのか気にしていないのか、何事もないかのように私に声をかけた。相変わらず視線が痛い。だんだん本当に痛覚が反応しているのではないかと思うほどである。
「そうですね、気分です。」
「そっか〜気分じゃしょうがないですね。」
「そうですね〜。最近も家の近くの喫茶店でホットサンドを勧められたんですが、暑いのでって断っちゃいました。」
「暑いので、ね。何となく気持ちは分かります。…あれ、沢田さんって最寄駅は大学前でしったっけ?」大学前は私の最寄駅だ。この人は私に限らず部署全員の最寄駅まで把握している。ここまで来たら全員の家の位置さえ把握しているのではないだろうか。と勝手に妄想しては勝手に背筋を凍らせた。
「ってことは…もしかしてその喫茶店…ダイリンだったりしますか…?」私はお店まで把握しているとまで思っていなくてかなり驚き小さな声で「ヒエっ」と言ったのは幸い聞こえていなかったようで安心した。
「いやいや、沢田さんの身の回りを調べてるとかではないんですよ。私も昔そちらに住んでいてよく娘とホットサンドを食べていたんですよ。」
「なるほど、そうなんですね。この前1回行ったきりでホットサンド食べたことないんですけどね。」山本はそうですかと笑って返してきた。さっきの慌てよう、やはり私の「ヒエっ」は聞こえていたようだ。失敗した。
そこらで他の人の視線がさらに鋭くなってきたように感じ、隣の話題に加わることにした。一瞬、山本が「まぁ、もう行くことはないですが…」と呟いたように感じたのは、なかったことにして。