8
「あら〜笹川くん久しぶりじゃない?」そう言ったのは女将であろう人物だった。昔ながらの割烹着姿ではなく、今時の腰巻エプロンをつけた愛想のいい、髪の綺麗な熟年の女性だった。
「最近忙しくて来れませんでした〜。いつもの席空いてますか?」
「あいてるわよ〜。いっつも違う女の子連れてきて奥のテーブル席なんて相変わらずやらしいわねぇもう。」女将らしき女性はそう言いながら笹川の胸を小突いた。
「もう、女将さん、僕以外にそう言うこと言っちゃダメですよ。本気でここきっかけにする人もいるかもしれないでしょ。」
「そんな人はこんなとこ来ないでもっとパリピなお店に行くでしょうよ〜。」
「ん〜この街にはそんなものないですね。」
「じゃあそもそもそう言う人たちはこの町では飲まないわね!」女将らしき女性は最初の上品そうなイメージとは裏腹に下品な話題で大きな笑い声を上げた。
「ほら、母ちゃん、そんなとこで立ち話してないで案内してあげなさい。連れのねーちゃんに失礼だろ。」
「あらあらごめんなさいね。笹川くんが連れてきた女の子の中でも珍しくずいぶん可愛い子ね!はいはい、奥の席どうぞ!」
「それはどうも…。」喜んでいいのか、複雑な気持ちでそれとなく応える。笹川も「そんなに僕女の趣味悪いですかね?」と腑に落ちないようだった。
奥の少し見通しの悪い席に通されると、笹川からどうぞと促されるがまま、奥の席についた。
「すみませんね。ここの女将はフレンドリーでいいんですけど、少し下品な話が好きで。」
「それは今わかりました。少しと言うか結構好きですよね?」
「ま、まぁそうですね…。苦手でした?」笹川は少し申し訳なさそうな表情で言った。
「いやいや、大丈夫ですよ。慣れてます。ほら、仲良い人があれだから。」そう言いながら奈々が下ネタを聞いてゲラゲラ笑っている姿を思い出した。
「それもそうですね。」笹川も奈々の顔を思い浮かべたようで、2人で苦笑した。
「まぁ、それは置いておいてここの魚は美味しいのでそこは安心してください。」笹川は自分のことのように自慢げに話した。
メニューを見ても普段食べないような魚ばかりで何がいいのか分からず、笹川と女将のおすすめのままに料理とお酒を頼んだ。
お通しのなめろうとお酒が届くと食欲というか、早くこのつまみでお酒が飲みたいと言う気持ちになった。それほど何か新鮮な気持ちになった。
少し酒に手をつけなめろうをつまむ。これはくせになってしまう。笹川はすでに幸せそうな顔をしていた。
「あ、そう言えば沢田さん。」
「あ、はい、なんでしょうか。」
「さっきの話なんですけど…。」
「あ〜。いろんな女の子連れてきてるって話ですか?」
「あ、そ、それです。」笹川は珍しく慌て出した。
「全然気にしてないですよ。笹川さんはモテるでしょうし。」
「いやいや、そんなことはないです。あれが嘘で、ここに一緒にきたことある女の子は1人だけなんです。」笹川はそう取り繕うと、お猪口に入った日本酒を一気に飲み干した。
なんと答えればいいかも分からず、私もお酒に手を付ける。
「それで、この間のお詫びってことで、僕の昔話を少々しようか迷っていたんですよ。」
「え…?」
この前の「呪い」のことなのだろうとはすぐに勘付いた。でも、そのことは絶対に聞くつもりはなかったし、笹川も絶対話すつもりもないだろうと思っていた。だから拍子抜けしてしまった。
「あ、あのですね、笹川さん。最近私こう言うの多いんですけど、なんで私に話すんですか?話しやすいですか?」思いの外勢いよく聞いてしまった。笹川も困ってしまい、お互い無言になる。
「あ、ごめんなさい…。怒っているとかではなくて、疑問になっているだけです…。」
「大丈夫です。わかっています。そうですね…。」笹川は考え事をするような表情をする。
「この前、奈々さんに言われてハッとして。今までも、沢田さんのことも自分の都合で突き放したつもりでいたんですけど、全然突き放せていなかったな…と思いまして。はっきりと理由を言うべきなのかな…と思いまして…。」
「そう言うことでしたら、無理に理由は言わなくていいですよ。笹川さんは恋愛に興味がないんだなと言うことがわかったので。」私はできるだけ冷淡に応えた。そうでもしないと笹川は話さないといけないと感じてしまうだろう。正直、聞きたい気持ちもあるが、何でもかんでも聞けばいいと言うわけではない。人には秘密の1個や2個はあるべきだろう。
「そうですか…ありがとうございます…。そう言っていただけてよかったです…。」そうは言いつつも笹川はやるせなさそうにしている。本当は話したかったのだろうか。でも、私が聞くべきなのだろうか。
「ちなみになんですけど、ん〜笹川さんの交友関係をよく知らないですが、その話は周りの人は知ってたりするんですか?」
「それに関してはノーです。自分で話すとは言っておきながらも自分でもよくわかっていないことがたくさんあります。」
「なるほど…。それを私は聞いたとしたらどうすればいいんでしょうね?」
「どうこうして欲しいとか、どう感じて欲しいとかどう思って欲しいとかはないです。どうしようもないですから。」諦めた表情が板につく。血色の悪い顔には暗い表情がよく似合う。つい見惚れていたことに自分で気づくと恥ずかしくて視線を机に移す。
「じゃあ、この話は今回しないことにします。気を使わせてしまって。すみません。」
「いえいえ、気にしないでください。せっかくここにきたんで美味しいもの教えてください。たらふく食べてたらふく飲みましょう。」私はできるだけ笹川に気を使わせないよう気丈に振る舞った。
聞かなかったことを後悔しつつも、聞かなくてよかったとも思う。笹川も心を入れ替えたか「そうですね。」と相変わらず冷たい笑顔で応えた。