2
笹川の家は私の家から駅の反対側に位置していた。
あまり広くない1Kだが、築浅で部屋自体は綺麗だった。
私は家賃の安さに惹かれて今のオンボロアパートに住んでいる故に、綺麗すぎて引目を感じてしまった。
それを察した笹川は「いくらでも汚して大丈夫ですよ〜どうせキッチンあたりは壁が黄色くなっているでしょうし。」と朗らかに言った。壁が黄色くなっている、という言葉で笹川がタバコを吸っていてタバコを吸うのに付き合ってを口説き文句にダイリンに誘われたことを思い出した。そしてそこで次は奢ると言ったことも思い出した。いくら鶏肉を買ったとはいえ、調理するのは笹川だ。奢る話はまた次に持ち越そうと心に誓った。
「あんまり綺麗じゃないですけど、部屋でテレビでも見ながら待っていてください。唐揚げ作りますので。」笹川はそう言うと手でどうぞと促した。流石にそれは悪いと手伝うそぶりを見せると、キッチン狭いので大丈夫ですよ。と言われた。
それではお言葉に甘えよう、と思い部屋に入ると、ここもあまりにも綺麗で驚いた。
家具から物が全くと言っていいほど出ていない。モデルルームのようだった。先ほどの「汚い」とはどう言うことだったのだろうか。私の部屋も比較的綺麗にしているつもりだが、笹川が見た日には泡を吹いて倒れてしまうかもしれない。
やることもないが、それは慣れっこだ。料理をする音を聴きながらニュースサイトとSNSを行き来する。
たまに「苦手な物ないですか〜?」とか、「これ入れてもいいですか〜?」と言う声が聞こえ問題ないですと応える。
そうこうしているうちに、油に浸かっていい音を立てながら強い上品な香りが漂ってきた。鶏肉を漬け込む時間は全然なかったのにこんなに美味しそうな香りはするものなのか。どうやって作ったのか気になってしょうがない。思い立って聞いてみたら実は唐揚げ用の肉は家にあって漬け込んでいたらしい。私が買ったのは補充だった。新しい調理法を知れると思ったからなんだか悔しかった。
トップニュースを全て読み終わった頃合いで、笹川は大きなお皿を2つ持って部屋に入ってきた。
サラダと唐揚げ。人の作る料理はこんなに美味しそうに見えるものかと感動してしまった。
黄金色に輝く唐揚げと、青々とみずみずしくも、ワンポイントのプチトマトを忘れないサラダ。久々にお店以外でまともな食事をすることを考えたらよだれは止まらない。
笹川さんがお米食べますか?と立ち上がると、そこまで至れり尽せりでは呪われてしまうかもしれないと思い、いただきますとついていく。
米を盛った2人分の茶碗を対面に並べ席につく。いただきます、と声高々に唱えると、2人で同時に唐揚げに箸を伸ばした。
カラッと揚がっているのに中はジューシー。味のよく浸かった鶏肉は奥の奥まで美味しい汁に溢れていた。
「お、美味しい…」
「あら〜あんまり口に合わなかったですか?」私が感動のあまり言葉が詰まってしまったせいで変な勘違いをさせてしまった。必死に首を横に振って否定すると笹川は良かったと笑顔で返してきた。
お米も食べ終わったあたりで笹川が実はいい物があるんですよ。とキッチンへ向かった。まだなにか作ったと言うのだろうか。そう思って待っていると笹川は銀の缶を2本持ってきた。何よりも嬉しい物だった。
「沢田さんビールお好きですよね。女性にしては珍しいですよね。」
「ビールは好きなんですけど、なんで知ってるんですか?」私は純粋に疑問だったが、聞いてる途中で気づいた。それでも笹川の回答が早く、私が口に出す前に「僕とよく会うのはどこでしたっけ?」と意地の悪い言い方で返してきた。
ごもっともです。と応え2人でプルタブに手をかけた。「カシュっ」と心地のいい音を立ててビールの豊潤な香りが鼻をくすぐる。我慢できずに口をつけた。ビールと唐揚げの相性がよく、一気に半分ほど飲んでしまった。笹川はいい飲みっぷりですね〜!と言いながら私に負けじとビールを飲んだ。
お酒が回って冷静な判断ができるうちに今のことを整理しよう。とは思ったものの、そんなこと考えなくていいか、と結局放り投げてしまった。
美味しい料理に美味しいお酒、至れり尽くせりのおもてなし。そして目の前には顔のいい男性。「あ〜笹川さんみたいなお嫁が欲しいな。」と強く思っ…た。ん?
「お嫁ですか〜。僕男なんですけどね〜。」
あれ。おかしいな。心の中で思っていただけのはずが笹川は私の考えていたことに応えた。なぜだ。
「え、あれ、今声に出てましたか?」焦る私に笹川は一言「出てました。」と応えた。
「え、あ、ごめんなさい!!そう言うつもりじゃなくて!その…。」確かに最近笹川のことを考えていたのは間違いない。気になっているのは確かだ。ただ、そうじゃない。でも、あわよくば、そう思って次の言葉を発する失敗だとは、思ってもみなかった。
「で、でも笹川さんは旦那さんでも彼氏でも素敵な人だと思います!」
そして、この曖昧な告白に対して笹川ははっきりと応えた。
「ごめんなさい。僕はそういう幸せを感じることができないんだ。」