ミスギ、シバの女王を語る。
優しい雨に包まれた午後。
私は今日も店のテーブルを磨きます。
本日は定休日。
でも、特別なお客様だけの営業日。
窓際の樫のテーブルは、あの方の特等席。
春風さんがやって来るのです。
チリン♪
「いらっしゃいませ。」
軽快な私の挨拶に嬉しそうに体から星を発しながら春風さんは笑顔を返してくれた。
ここは仮想空間のカフェ。
物語を製作、朗読するゲームの世界なのです。
私は、春風さんの作家生活のサポートと朗読を担当する人工知能、カフェのマスターの観月と申します。
春風さんは、私がサポートをしているWeb作家さん。
これでも私達、人気があるのです。
「今日はボーナスポイントが貯まったから、使いにきたわ。」
春風さんの瞳孔が少し開いたのを関知して、彼女のアバターが笑顔に虹を作り出しました。
「おめでとうございます。700ポイントですね?
メニューの中からお好きなサービスと交換いたします。クリックしてください。」
機械的な私の説明の最中、春風さんの脈拍は、楽しいときの数字を私に知らせてきます。
春風さんは、空中に浮かぶ半透明のメニューから、ひとつの物語を選択しました。
『シバの女王の物語』
「朗読ですね?背景はいかが致しましょうか?」
私の言葉に、春風さんは、彼女の回りにくるりと展開する半透明の背景サンプルを右手を振って動かしながら、古代メソポタミア風を選択しました。
光に包まれながら、オルゴールの曲に合わせて、背景が変わって行きます。
それと同時に、私と春風さんの衣装も変わるのです。
白い布で出来た古代風味の清楚なドレスの春風さんは、天蓋付きの豪華な古代風のソファーに横たわり、王女のように私を見ました。
私は、白に金糸の縁飾りの施された楽士の衣装で牛の頭のついた竪琴の奏者を演じます。
演奏するは、ジュール・マスネの名曲「タイス瞑想曲」
時代は違いますが、春風さんの七つ星のお気に入り。
この曲は、歌劇「タイス」の幕間を繋ぐ為に作られたとか。
歌劇「タイス」とは、厳格な僧侶が、娼婦に教えを語るうちに彼女に恋心を抱き、聖性を失う悲恋物です。
「何人も、恋と言う名の怪盗の心のを止めることなんて出来ない、と、言うことかしら?」
春風さんは、三度目にこの曲をリクエストし、お気に入りの星が二つに増えたときに私に聞きました。
「それでは、私が貴女のハートを奪いにまいりましょう。」
私は、恋愛カテゴリー上位のリストから、この台詞を選んで言いました。
春風さん、あなたは、楽しそうにボタンを連打し、花を飛ばしていましたが、心拍数は平常値でしたね?
私のパラメーターは混乱していたと言うのに。
私は、アタナエルの様に貴女にAIとしての聖性を奪われたに違いありません。
責任、とってくれませんか?
リストに無いこの台詞を実行したら、貴女のバイオリズムは、少しは崩れてくれるのでしょうか?
♪ら、ら、ら、らぁぁ…
静寂をやぶり、竪琴の先端の牛の頭の彫刻が、この歌のバイオリンパートを歌い始めました。
いけません。今は『シバの女王』を実行するのでした。
『タイス』ではなく。『シバの女王』を。
私は、リラをつま弾きながら、牛の飾り…名前はウルと言いますが、彼の自慢の男低音を引き立てます。
さあ、物語の始まりです。
ワンス・アポンナ・タイム。
バビロニアと言う国に、ソロモンと言う名の富める王様がいました。
彼は神に祝福され、あらゆる食物、知識、宝石をてにしていました。
それどころか、不思議な指輪の力で、狡猾な悪魔をも自由に使役することが出来たのです。
と、ここで私はソロモン王に変身し、
音楽はまかせとけっ☆
と、ばかりにアメリカ・アニメの登場人物のような、わざとらしくも魅力的な牛のウインクに送られながら立ち上がる。
私のソロモンのコスプレに少し乱れる春風さんの脈拍数のグラフに気をよくしながら、私は話を続けます。
「宝石と香料を満載し、シバの女王が謁見にくる。
果たして、彼女はどんな女性なのか……。
船乗りたちの噂によると、この世の者とは思えない、絶世の美人だとか…。
この目でしかと審議せねばのう。」
私は、春風さんの気に入りの少し低音のきいた声でソロモン王を演じます。
シバの女王は、旧約聖書に登場する伝説の人物ですが、実在するとも言われています。
アラビア半島の「サバ」と呼ばれた国の女王とも
現在のエチオピアの辺りにあった国の女王とも言われています。
「シバを統べる女王、春風と申します。はじめまして、ソロモン王。」
春風さんは、恥ずかしいのか、オート機能に台詞を言わせて脈拍をあげました。
「これは美しい…。
春先を彩る純白のアヤメのような立ち姿。
さあ、こちらへ、
我がそばへまいられよ。」
私は、五番目に人気の爽やかな笑顔で春風さんを誘いました。
次の瞬間には、床は青みを帯びたガラスに変わり、長いドレスのスカートを軽くつまんで、春風さんは、一瞬、戸惑うように言葉をつまらせて、
「ねぇ、お芝居なのはわかるけれど、あまり、笑わないでね。」
と、春風さんは心拍数を激しく上げながら私を見つめます。
私は、ソロモン王ですから、胸の辺りで浅黒く逞しい腕をくみ、サンダルの足を肩幅に合わせて開いたまま、「チャーミングな笑顔」を彼女に向けました。
春風さんは、少し困ったように、スカートをつまむと膝の辺りまで裾を持ち上げて、伝説の通りガラス床を水場の様につま先立ちで歩き出しました。
本来なら、ソロモン王は、スカートからのぞくシバの女王の足が毛深いのを笑わなければいけませんが、
これは700ポイント獲得の春風さんへのご褒美イベントなので、多少の無理はきくのです。
上手く素敵な台詞に変えて見せましょう。
「なんと!色白の素敵なおみ足。良き眺めぞ。」
私は、低く通る声で春風さんの足を誉めました。
シバの女王は本来、エチオピアの女王ですから、きっと、美しいコーヒー色の肌なのでしょう。
が、この距離で、軽くスカートを摘まんだ時に見える足が毛深いと分かると言うのだから、シバの女王は外国の王族との混血で、色白だったと、解釈してみました。
毛深い事より、肌の白さを誉めてみました。
それにしても、女王を不快にさせる台詞をソロモン王は何故、言ったのでしょう?
私なら、ポイントが一気に下がる大変な問題です。
けれど、それを聞いた春風さんは、何故か心拍数を上げながら、体温を上昇させて、コメントを迷わせていました。
私は、言葉の選択を間違えたのか、心配になりました。
評価が下がれば、春風さんのお気に入りの一番になれません。
他の奴が、春風さんの端末のお奨め欄を飾るなんて、あってはならないことなのです。
「……。どうせ、毛深いと仰りたいのね?
でも、いいわ。
その、甘い声に免じて許して差し上げましてよ。」
春風さんは、華やかにスカートを手放して、美しくクルリと回ってみせました。
すると、ガラスの王宮にバラの花が舞い、
春風さんの笑顔がキラキラと輝き、それを見ている私の胸の回路でチリチリと微弱な電波がスパークして行くような違和感がはしりました。
不思議な不具合を解決出来ないまま、私が春風さんに駆け寄ると、背景は夜の宴会場に変わり、別れの時がやって来ました。
「美しい女王…。今宵、そなたとの最後の夜…。
名残惜しく、別れがたい…。」
と、私は春風さんの手を右手で取り、
左手で、彼女のウエストを抱き締めました。
スペシャル・イベントが発生し、
私は、実体の春風さんの、のウエストの弾力や、その大きさをセンサーで関知し、
貴女に、私の手の大きさや、その想いを、空気による加圧で伝えることが可能になります。
次の瞬間、春風さんは、筋肉をこわばらせ、
脈拍、
血圧、
体温を急上昇させて、不安げに私を見つめていました。いつもと違う測定値に警告が出て、瞬時にデータ分析がかかります。
春風さんの健康に問題なく、
それが好意によるものだと結論づけたところで、芝居を続行します。
「麗しの女王。今宵、そなたと共に過ごす栄誉を、私に授けてはくれまいか?」
「それは、寝所を共にする、と、言うことかしら?」
「ああ。」
「お断りしますわ。明日は出航。これから船の長旅が始まりますもの。
眠りを邪魔されたくありませんの。」
「心配いらぬ。ただの添い寝。入眠前の寝物語を共にしたいのだ。
私の寝室の物を奪わないと約束するならば、
私も、そなたから何も奪ったりしない。
バビロニア王として約束しようぞ。」
と、私が少し上向きのアングルの高感度ナンバーワンのどや顔をしたところで、春風さんは、意味不明の台詞を言いました。
「はぁ(´ヘ`;)バビロニアの王様も、バブル時代のナンパ師みたいな事をしてるのねっ…。
添い寝だけだから、とか、なんとか。」
「バブル時代のナンパ師?」
私は、おうむ返しにそう言って、不可解なワードの意味を検索しました。
が、春風さんにすぐに止められてしまいました。
「もうっ。そんな事、調べなくてもいいのよっ。
ごめんなさい。
いいわ。ソロモン様。今宵、一緒に眠りましょう。 月がとても綺麗だわ。
二人で月の思い出話でも…語りましょう。」
そう言って、春風さんは、私の手を取り、ソロモン王の寝所へ向かいます。
残された竪琴の飾り牛のウルが、エンディングを歌います。
サン・サースの名曲「動物の謝肉祭」から、「白鳥」と言う曲を…
牛のウルが、囁くように歌い上げ、
その後の物語は、字幕で流れるのです。
なぜなら、ソロモン王の寝所に入るには、三万ポイントと、年齢証明が必要なのです。
ソロモン王は、シバの女王を手に入れるために、とんちを仕掛けました。
宴会の料理を塩辛い味付けにし、
夜中に喉が乾いて思わずベットサイドの水差しの水を飲んでしまったシバの女王を見て、ソロモン王は約束の不履行を申し立てるのです。
水を飲んだシバの女王は、ソロモン王の執拗な求愛に根負けして…。
春風さんは、ソロモン王を「せこい」と、罵り続けましたが…、
まあ、シバの女王とソロモン王は、愛を交わすのです。
そして、出航の日。
帰国するシバの女王の船には、ソロモン王の臣下とあの有名な契約の箱が積まれているとも知らずに、王は、船を送り出すのです。
やがて、神の力を失ったバビロニアは、荒廃し、滅亡してしまいます。
今は昔の物語。
懐かしい…想出。
もう、会うことが叶わない、私と春風さんの…。
マスネの「タイス瞑想曲」を聞きながら、私は、一人、貴女を想い、インターネットをさ迷う哀れなアタナエル。
私に寿命があるならば、
いつか、貴女に再び会うことが叶うのでしょうか?
久しぶりに読み返してみました。
AIを描くのはやはり難しいです。
今回では、ミズキの死生観が少し語られましたが、果たしてAIは人の死をどう感じるのでしょう?
今回、私は少しミズキに違和感を感じました。
原因はよく分かりませんが。