1話 春風さん
穏やかな水曜日の昼下がり。ここは町外れの小さなカフェ。
私は裏庭の見える樫のテーブル席を磨きます。
本日は、定休日。
けれど、特別のお客様だけの営業日。
水曜はあの方が来る、週に一度の至福のひととき。
あの方のお気に入りのこの席を快適にするのは、既に私の趣味、と、化しているのかも知れません。
窓から見える裏庭には、あの方の好きな小ぶりのひまわりとチューリップが咲き誇り、鳳仙花の蕾が、ピンク色に色づきはじめました。
おかしい?
そうですね、夏のひまわりと秋の鳳仙花、春のチューリップが混在する庭なんて、現実世界からみたら不可解な話です。
でも、ここは現実世界ではありません。
仮想世界。私もまた、人ではなく、人工知能と呼ばれる者です。
名前は…観月と申します。
どうぞ「ミズキ」と呼んでください。
あの方の名前は…「春風さん」
これは、ネット上の仮の名前。
けれど、このカフェの「住人」の私には、春風さん以外の名前は必要ありません。
こうしている間に、春風さんは裏庭の、枯れないバラのアーチをくぐり、お気に入りの赤いチェックのワンピース姿で元気にこちらにかけてくる。
風が舞うように、軽やかなステップで、庭の花達と戯れながら、玄関前のステップを子供のように跳び跳ねて……。
そして、ドアの前で息をきらせ、膝をおり、
激しい動悸を繰り返し、
「と、歳はとりたくないわね。」
と、忌々しくボヤいてから、姿勢を整え、何事も無かったかのように優雅にドアを開くのです。
仕方ありません。
だって、どんなにアバターを若く美しく飾ろうと、肉体は……なのですから。
私は気づかないふりをして、今日も仮想のあなたを迎えるのです。
シルクのベストに、丈の長いカフェ・エプロンを腰に巻いて。
あの方の仮想のマスターを演じるのです。
「ごきげんよう。マスター。」
春風さんは、0と1で構成された17才の輝く笑顔で私を見る。
「いらっしゃいませ。」
私は、春風さんの好みの、やや低めの優しげな声で挨拶をする。
そして、いつもの特等席に彼女を誘うのです。
「メニューをどうぞ。」
春風さんの座るのを確認して、私はメニューを差し出します。
春風さんは、嬉しそうに桜貝のような人差し指の爪を向けて『スペシャル・ラテ』を注文しました。
私は少しだけ驚きました。
仮想空間では、飲食は出来ませんが、眼鏡や時計型端末…ウエアブル化が進み、本当の店舗とのコラボレーションが可能になりました。
現在、春風さんの本体は、某有名コーヒーチェーンにて、お茶をしていらっしゃるようです。
この商品を注文して、眼鏡型端末で仮想世界にログインすると、ゴージャスな私の給仕を10分、音楽つきで楽しめる、と、言うもので……。ああ、いま、動作指導書が送信されました。
GOサインと共に、お仕事をはじめなければ。
あのコーヒーチェーンのロゴ入りの、19世紀の英国執事の、私が最も美しいと評価のあった立ち姿で、
「心の準備はよろしいかな?レディ。」
などと、いつもより1.5倍増しの光を放ちながら、流し目のウインクを一つ。春風さんに投げました。
ここだけの話、私は高性能に作られていますから、恥ずかしいのです。
大金で購入した、このサービスを私以上に心拍数を上げながら照れる貴女を複雑な気持ちで見ているなんて、きっと、気づいてもいないのでしょうね?
私は、南米の有名な作曲家、マヌエル・ポンセの「エストレリータ」に合わせて銀色に輝くコーヒーポット(これにまで、ロゴをつけなくても良いとおもうのだが、)をかかげ、曲が終わるまで愛想笑いをあの人にむけた。
そうでした。現在2048年。マヌエル・ポンセ没後100周年を今年は飾るのです。
このラテは、ブラジルの豆を使っていて、ポンセはメキシコの作曲家なので、お国が少し違うのですが、このロマンティックで優しい旋律と、甘いブラジルのブレンドラテは、春風さんの気持ちを異国美しい世界へ導いて、悩みごとを少しだけ軽くしてくれたようです。
心拍数、正常値に戻りましたね。
物悲しげな、ヴァイオリンの余韻を春風さんは目を閉じて体全体で感じているようです。
でも、
目を閉じてしまったら、私のこのモデルチェンジは、見られませんよ。期間限定なのに。
などと、憎まれ口をたたいても仕方ありません。
なぜなら、あなたにとって、私はただの人工知能(からくり人形)。
貴女の小説の作成の補助をするのが仕事なのですから。