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フォトグラフ  作者: 岸田龍庵
5/5

その5

「どうして、ですか」浅井は聞いた。

「僕の設計図は燃やさないで、自分のだけ燃やしちゃうんですか」


「こっちはもう、死んじゃったのよ」美砂は両手で包み込んだ写真を胸元に当てた。

「もう死んで冷たくなっちゃうの。もう死んじゃったから。

 でも、あなたのはまだ死んでない。

 今度出会う誰かに、今度あなたが好きになる人に、結婚するかもしれない人に、その人のために建ててあげて。

 あなたの家を、あなたと一緒に暮らすかもしれない人に建ててあげて」美砂は目を閉じ、写真を持った両手を胸元に合わせていた。

 美砂の姿はまるで祈っているようだった。誰に対して祈っているのか。



「それじゃ、あなたがかわいそうだ」浅井にはそんな言葉しか出てこなかった。

 かわいそう。

 そんなことは分かっている。

「そうね」目を閉じたまま美砂は言った。「わたしってかわいそうね。もう四年もかわいそうなことしてるんだもの」美砂の閉じたまぶたから涙が伝い落ちた。

「ほんとは、彼と付き合い始めてからかわいそうだったのかも」こらえていたものがこらえきれずに、涙になって美砂の(ほほ)を流れ出した。

「でも、ガマンできたんだね。たのしいことがたくさんあったから。ガマンできたんだね」美砂は包み込んでいた写真を見た。四年前の自分の姿が写真の中にある。

「別れるなんて、考えたこともなかった」写真の中に美砂の涙が落ちて行く。

 落ちた涙はツルツルの写真の表面を滑って消えていった。いくつもいくつも涙はこぼれ、消えていった。




 声もなく、美砂はただ泣いた。美砂は自分のために泣いていた。

 誰も自分のために泣いてくれなかった。だから今日だけは自分のために泣こう。

 この四年、それ以上の時間の中で、美砂が自分のために泣くのは、これが多分初めてだった。

 涙だけが流れて行く。パラパラと音を立てて写真に落ちる涙は滑り、消えて行く。美砂は音もなく泣いた。



 浅井は、美砂から顔を背けた。そっと美砂の肩を抱くことも、ハンカチを差し出すことも、オロオロうろたえることもなく、泣いている女を目の前にしてする男の一般的な行動のどれも取らなかった。

 もし、それらの行動をとれば、自分が美砂を愛しく思ってしまうことを浅井は知っていた。

 だから顔を背けた。泣いている女の隙に入り込むようなことはしたくはなかった。だから顔を背けた。




「やっぱり燃やそう」浅井は美砂の方に向き直って、ボロボロになってしまった設計図を手に取った。

 浅井を美砂が見上げている。浅井は素早くライターをつけると、設計図に火を移した。設計図はみるみるうちに炎となってゆく。

 窓を勢い良く開けると浅井は設計図を放り投げた。ちいさな火の固まりは、夜の闇に吸い込まれるようにしてなくなった。

 窓の外から冷たい風が事務所の中を駆け回り、燃えた空気を取り去ってゆく。浅井は設計図が消えた夜の方を向いたままだった。

「どうして」美砂だった。美砂は静かに浅井の背中に聞いた。

「新しい家を建てればいい」浅井は言った。それしか浅井は言わなかった。

 美砂は気がついた。いつの間にか頬を伝っていた涙が消えていることを。

 浅井は美砂の側を離れて窓際に立った。窓の外はもうすっかり深い夜になっていた。


 公園はすべてが新しくなっていた。

 地面も砂も水飲み場もベンチもこかげもすべてが新しくなっていた。

 公園で男は待っていた。男は女を待っていた。それは公園によくある光景だった。

 浅井は腕時計を見た。待ち合わせの時間はもう過ぎている。浅井はもう十五分も女を待っていた。

「ゴメンゴメン」女の声が風に乗ってきた。

「待った?」内藤美砂は小走りに浅井の横に立った。

「十五分ですね」浅井は腕時計を美砂に見せた。

「ちょっとつまんない用事、押しつけられちゃってさ」言ってから美砂は改めて公園を見回した。

「キレイになったんだね」美砂は言った。

「今日は、なんの用事です」浅井の問いに美砂はバッグから使い捨てカメラを出して見せた。

「写真、写真」

「それだけ?」美砂は頷いた。

「ここで待ってて」美砂はカメラを持って公園をウロウロしはじめた。

「すいませ〜ん、写真撮ってもらえます」美砂の声が風に乗る。

 季節はもうすっかり変わっていた。

読了ありがとうございました。

引き続きごひいきよろしくお願いします。

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