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フォトグラフ  作者: 岸田龍庵
2/5

その2

 五日後。工事事務所に浅井宛の封筒が届いた。


 差出人は内藤美砂。

 浅井の元に送ったはずの写真がそっくりそのまま戻ってきた。

 浅井が送った封筒をさらに封筒に入れて送ってきた。中を開けたような後はなかった。

 浅井は同じように送られてきた封筒をさらに別の封筒に丸ごと収めて内藤美砂の住所に送った。

 まったくどういうつもりなのだろう。自分の写真だというのに、人に押しつけてくるとは。

 面倒と思いつつも、浅井は律儀(りちぎ)にも写真を送り返した。それから内藤美砂からの封筒が浅井の元に届くことはなかった。



 一月が過ぎた。

 公園の改修工事は順調に進んでいた。事故やトラブルもなく行程が大幅に遅れることもなく、工事は退屈なほど順調だった。

「浅井さん、お客さんですよ」部下の声が聞こえた。

「お客?」浅井は部下に短く聞いた。「保険会社の人間だったら断わっといて」

「違います。内藤さんっていう女の人ですね」

 内藤?聞き覚えのない名前だった。女のお客というのも、工事が終わった頃にはもう来ない手合いだった。

 工事の初期の頃ならば保険屋の外交員がやってくることもあるが。

 ヘルメットをかぶり浅井は事務所の階段を降りた。すると浅井の視界の中にその女はいた。

 写真の女だった。




「ここはハーブティーがおいしいのよ」

 浅井と内藤美砂が入った喫茶店は公園のすぐ近くにあった。工事事務所で話すのもアレだったので、場所を変えただけだった。

 浅井はコーヒーを注文し、内藤美砂はおいしいとされているハーブティーを頼んだ。

 注文したものが届く間も、注文したものが届いてからも二人の間では会話がなかった。

 飲み物が届いて二人はそれぞれに頼んだものをそれぞれ飲んだ。「あの公園」内藤美砂が口を開いた。

「えっ」浅井には突然の質問だった。

「今、工事しているんですよね」

「ええ、改修工事です」

「いえ、あなたが工事してるんですよね」

「いえ、工事しているのは職人です」



 ちぐはぐな会話があった。

 内藤美砂は写真の面影とは大分違う今の姿をしていた。

 写真の中の長いサラサラの髪は、ショートヘアの茶髪になり、事務員風の制服は、

 体のシルエットを際立たせているパンツスーツに変わっている。いくぶん頬の肉が落ちた表情は、写真の中の内藤美砂の姉と言ってもおかしくはなかった。

 内藤美砂がバッグから封筒を出しテーブルの上を滑らせ浅井に差し出した。



「これも何かの(えん)です。受け取ってください」封筒から内藤美砂の細い手が離れた。

 何かの縁と言われても。浅井はしばらく封筒を見てから、

「縁と言っても、ただの間違いだし。やはりあなたが持っているべきでしょう」妙にかしこまった口調だった。

「間違い?」内藤美砂はくり返した。「間違いかしら」

「そうですよ」浅井は言った。「間違いですよ」くり返した。

「間違い。そうね、間違いね」内藤美砂はひっそりと笑った。

「私と彼が出会ったのも何かの間違いだったのかも」そして静かに、おかしそうに言った。浅井は次の言葉が出てこなかった。



 内藤美砂は静かに、写真の男との日々を語り出した。

 離婚と再婚をくり返した両親の話。

 両親の間をいったりきたりする美砂。彼女はとつとつと、自分の事を他人事のように話を続けた。

 大学を卒業して入社した会社のすぐ上の先輩社員。どこにでもいる平凡(へいぼん)な先輩社員。

 妻も子供もいる男に引かれたこと。何も取り柄がないような社員。その男に美砂はひかれていった。

 二人の間は三年続いた。別れを切り出したのは男の方だった。美砂は素直にうなずいた。

 男の別れ話しに。美砂は会社を辞め、それ以来二人は()うことはなかった。



 俺は何をしているのだろう。浅井は思った。とっととおサラバしたいのに、なんで俺はこんなオバンの話を聞いているんだろう、とっとと写真持ってかえってくれないかなあ。

 美砂の他人事のような話を、浅井は何も言わずに聞いていた。何も聞きたいようなことはなかった。ただ、浅井は面倒な話が早く終わることだけを考えていたが。

 話を終えて美砂はハーブティーを飲んだ。ぐいぐいと、カップに残っていたすべてのハーブティーを飲み干した。ハーブティーを飲み干したカップを、勢い良く音が立つようにテーブルに置いた。



愚痴(ぐち)って、何も知らない人に話すとすっきりするのよね」美砂は言った。歯切れのよい口調で。

「何も知らない人だと、かえって話し(やす)いから」そしてニコリと笑った。そして頬杖をつくとさらに喋り始めた。

「だってそう思わない?雑誌でよく恋愛相談なんかやってるでしょ。まったく知らない人に恋の悩みを打ち明けるのよ。それって相手がこっちのことを何も知らないからだと思うの」

「そうかも知れませんね。お昼の、おばさんが相談事を電話でする番組なんかも、相手がなんにも知らないからベラベラ話せるんでしょうね」浅井は軽く応えた。



「そうね、わたしもオバサンだから」軽く美砂は言った。

「そんなつもりで言ったんじゃないですよ」浅井は言った。

「いいのよ、無理しないで」美砂はにっこりと微笑んだ。

「このお店も良く彼と来たのよ。会社の屋上で一緒にお昼食べたあとに」そういって美砂は店を見回した。

「自然と足が向いてしまうのね。もう四年も前のことなのに」言ってから、美砂の目が急に視点をなくした。

 美砂の瞳から、向かいに座っている浅井が消えた。

読了ありがとうございました。

まだ続きます

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