9話
女の子は両手を俺に向け、ワシャワシャと滑らかに指を動かす。
もし。隣で座る少女も。十メートルほど離れた位置で肉弾戦を繰り広げているモニカや不良少女ーーカルちゃんと呼ばれた彼女と、同じだけの力を持っているとしたら……
俺は女の子から視線を外さないように、かつ、バレないように距離をとる。
「いやぁ~、別に採って食べないから、離れなくて大丈夫だよぉ~?」
「………………」
流石にバレるか。
俺は観念しては、それでも、少しだけ離れて座る。
「……まぁ、いいや。それより、自己紹介しよっかぁ~」
「……この状況でか?」
爆発音に似たり寄ったりな、肉と肉がぶつかり合う音が響く中で、女の子は「えへへぇ~」と笑い、
「わたし、エマって言うのぉ~。よろしくねぇ~一お兄さん」
「…………よろしく」
なんで俺の名前を知っているんだ?
そう問いたかったが、口にはしなかった。
「あ、そうそう。ニコちゃんとは、幼馴染みなんだよぉ~。ニコちゃんは、モニカ・ヴァンの事ねぇ~」
と、エマと名乗った女の子が口にしたからだ。
それよりも、
「モニカと幼馴染み……」
どう見ても、高校生と小学生くらいの差があるような……
「うん? どうかしたの? 一お兄さん??」
「いや。なんでもない」
女性に年齢の話はタブーだったよな。それが実年齢より若く見えようも。
「君は……俺の敵……って言ったよな?」
「うん。言ったねぇ~」
「どういう意味だ?」
モニカの幼馴染みであるが、俺の敵である。絶対にあり得ないが、恋敵と言うならば、その関係性は成り立つのかもしれない。絶対にあり得ないが。
「う~んとねぇ~。お兄さんが無事に買い物を終えちゃった時はぁ~、わたしが、お兄さんを襲う予定だったんだよぉ~」
「まぁ、出番は無くなっちゃったけどねぇ~」と続けられ、ようやく俺は納得できた。
確かに。無事に買い物が終わることだってーーむしろ、無事に終わる可能性の方が高いわけだ。今回は、俺の無知と不注意により、身をもってこの世界を知ることができた。
「で、出番の無くなったわたしはぁ~、一お兄さんに色々とレクチャーしてあげようと思ってね!」
言葉の最後にウインクを添えたエマは、俺の真横に座り直す。
外見は小学生くらいだが、年齢はモニカと同じなのだ。どちらの実年齢も知らないが、仮に高校一年生だとすれば、十五、六歳になる。来年は三十の俺とは、二倍も離れているわけだ。
俺も男である以上。若い女性を求めてしまう傾向がある。変に意識しないようにしなければ……痛い目に遭うのは自分なのだから。
「お兄さん。実は緊張してる?」
「ひうっ!?」
などと、邪な思考を片付けていたところを、耳元で囁かれてしまう。
「こ、こらっ!」
「ごめんごめん」
と、成功したイタズラに頬を緩ませているエマ。誠意を感じないと言うのは、こういう態度のことを指すのだろう。
「さてさて。一お兄さんは、ニコちゃんがトップランカーだって事は聞いたぁ~?」
はにかんだような笑顔ではあるが、真面目なトーンの声音になるエマは、ようやく説明をする気になったのだろう。
俺は眉間に寄せていたシワを解き、無言で首肯く。
「トップランカーって言うのはねぇ~? 各学校にいる成績上位者五人の事を言うんだよぉ~」
なるほど。頭の回転や大人顔負けの落ち着いた雰囲気は、五本の指に入るほど、優秀であるからか。
「ちなみにぃ~わたしは五番目で、カルちゃんが三番目。ニコちゃんは一番目なんだよぉ~!」
「………………」
突然知らされた何気ない情報に、俺は言葉をなくした。
凄い優秀だとは思っていたが……
「学園首席だとは思わなかった」
というのが、正直な俺の感想だ。
「まぁあねぇ~」
と、成績の点で言えば、語尾を伸ばす独特な話し方をするエマも、学園では五番目に当たるのだ。
「十年前にぃ~神隠しに遭ったからかもしれないねぇ~」
「神隠し?」
「そうそうぉ~」
話は大きく脱線してしまうが、エマの言う「神隠し」というのには興味が湧いてしまう。
「わたしもぉ~、よく知らないけどぉ~、当時十歳だったニコちゃんと同じくらいの男の子とぉ~、お話をしたんだってぇ~」
「それで?」
「それでぇ~その日から、男の子の為に一番になるっ! って言ってぇ~今に至るんだよぉ~。凄いよねぇ~」
確かに凄いことだと思う。
神隠しというからには、二度も会えるかどうか分からないわけだ。
それでも。モニカは再び会えると信じて、一途にも努力を重ねては、学園で首席に座るほどの実力を得たわけだ。
それと、話を聞いて、
「彼女に付き合った君も、十分、凄いと思うぞ?」
と、俺にしては珍しく、抱いた感想をそのまま口に出した。
「えへへぇ~。そうでしょぉ~」
エマは嬉しそうに笑う。
「さてとぉ~、脱線はここまでにしてぇ~。一お兄さん?」
彼女は、首をかしげるという、その体躯に似合ったポージングで、
「宿付き、風呂付き、三食付きのアルバイトにぃ~、興味な~いぃ~?」
とても魅力的な提案をして来た。
「一さん。この世界がどれ程危険か、理解しましたか?」
凄まじい戦闘が終わり、モニカの前で正座をさせられる俺。
今朝方から着ているピンク色のバスローブは、袖口や太股の辺りがほんの少しだけ避けてしまっている。おかげで背徳感も増した状態だ。ただでさえ色っぽい格好だというのに。
「っち。アタシを出汁に使うとか、マジでいい度胸してんな。ピンクローズ」
と、こちらも衣服の端が裂けているカルマが、モニカに対して悪態をついている。
「まぁまぁ~。トップランカー同士ぃ~、仲良くしようよぉ~」
「ちっ」
つまらなさそうに舌打ちをする彼女だが、エマに対しては何らかの事情があるらしく、強気にはなれないらしい。
「……で? こいつにキャンプまでさせるのか??」
「うん。そだよぉ~」
キャンプというのは、彼女達トップランカーの夏合宿みたいなものだ。
来週から二週間ほど。街から北上した場所に保養施設があるらしく、学園を代表するトップランカー達の訓練が行われるそうだ。
そこに、一応、独り暮らしで培った料理と掃除のスキルを見込まれた俺は、彼女達の世話係りをアルバイトとして引き受けることになったのだ。
年のため言うが、独り暮らし『程度』の家事スキルだ。
と、提案してきたエマに尋ねたのだが……
「ニコちゃんの買い物メモでぇ~食材らしい食材が、あったぁ~??」
と聞かれた瞬間に、彼女には失礼だが、納得してしまった。
つまり。三人とも家事が出来ないのか、面倒なのだろう。
「二番と四番は、いいのかよ? アイツ等の方が、こう言うのにはうるせぇだろ?」
ここにいるのが一番目、三番目、五番目であるならば、確かに、もう二人いることになる。
その二人からNGが出れば、俺はとたんに野宿が確定することになるだろう。
「う~ん……大丈夫じゃないぃ~」
語尾が延びているせいで、不安に感じるが……ここはエマを信じることにしよう。
「……あの二人がヒスっても、アタシは知らねぇからな?」
「そのときは、私が頑張るよ!」
何を? と問いたいところだが……もう脚の感覚がなくなってきた。このあとは腑甲斐無い姿を全面的に曝すこととなるだろう。
「じゃあ、アタシは帰るわ」
と、カルマは手をヒラヒラと振って、工場跡地から退散していく。
「ニコちゃんはぁ~? どうせなら、泊まりにいってもいいぃ~??」
「エマちゃんなら歓迎するよ。一さん」
と、二人の間で話が完結するかに思われた内容は、
「エマちゃんと私。どっちを抱き枕にして寝ます?」
どちらも気不味くなる二択を投げてきた。