8話
「な、何を言ってるのか分かってるのか!?」
予想できていたとはいえ、実際に耳にした俺は、酷く動揺した。というか、現在進行形だ。「している」と言うのが正しい。
「あぁん? セックスだろ? むしろ、そっちこそ。その気だったんじゃねぇのかよ?」
「そんなわけあるかっ!?」
混乱しているためか、逆らうような口調で不良少女へと怒鳴ってしまう。
その結果。
「……分かった。おめぇの言いてぇ事は、よく分かった」
そろそろと、少女はゆっくり立ち上がる。その動作からは、相手を一歩も動かさせない、獰猛さが伺える。俺自身も、指一つ動かせず、冷や汗を流したままになる。
「無理矢理やられてぇってことだろ?」
ちげぇよ。
と、怒鳴りたかったが、口からは微かに漏れでる呼吸の音だけ。天敵に狙われた獲物のように、相手から目を話すことさえ許されない状況だ。軽々しい突っ込みさえ許されない。
女性は一歩、また一歩と、こちらに近づいてくる。
「ジュルリ」
溢れ出た涎を手の甲で拭い、さらに近づいてくる。
「犯される」のではなく、「捕食される」と言うのが正しいかもしれない。
俺はいたって普通の男だ。性欲もそれなりにある。
ある意味。この状況は、ドウテイを捨てられるチャンスでもある。
だが…………俺の心は、グッと締め付けられる。
無理矢理犯されるだけの価値が、俺自身にあるんだろうか。
ふと、頭の隅から沸き出てくる疑問。
だが、その疑問に応える時間は与えられなかった。
「てぇぇぇいぃぃぃ!!!」
天井から突き刺さるように、ピンク色の線が走る。
「あなたはアホですかっ!? 一さんっ!?」
怒鳴られて、始めて気付く。
そのピンクの線は、彼女ーーモニカ・ヴァンだと。
「……おいおい。割り込みは無しだろ」
不良少女は、苛立ちを隠すこともなく、むしろ上から割り込んできたモニカへとぶつける。
が、
「…………って、『ピンク・ローズ』じゃねぇかよ!? どうしてこんなとこに居んだよっ!!?」
「この人、」
と、俺を指差して、
「を、尾行してたの」
「「はぁ?」」
俺と不良少女の声がだぶる。俺のは、尾行されていたことに対してだが、彼女のはなぜ俺を尾行していたのか。と言ったところだろうか。
「……お前。唾をつけるなら、候補から選べよ。そいつはどう見ても天然物だろ?」
候補だとか、天然物と言うのが何なのかは知らないが……男のことを指しているのは、何となく理解できた。
「そ、それなら! カルちゃんだって!! 初対面の人を襲うような真似しちゃダメだよっ!!!」
カル……ちゃん…………?
「……お前。その名前で呼ぶなって……」
俯きながら、身体全身をピクピクと振るわせるカルちゃんこと、不良少女。怒っていると、鈍感な俺でも分かるほどだ。
しかし、
「えぇ~カルマだから、カルちゃんでしょ?」
モニカは、気付いていない……わけないよな? 本当は、挑発行為なんだよな??
実は、モニカは天然なのでは? という考えがよぎるが、
「もう許さねぇ!」
三メートルほどの距離を瞬時に詰めて、モニカに拳を当てに行くカルマ。
「何をっ!」
と、言いながら、モニカは右手の平で拳を包み、上空へとカルマを持ち上げる。カルマの身体はモニカに接触した拳のみで、そのモニカを土台に見立て倒立している。
やがて、モニカの後ろにいた俺を飛び越えて、更に五メートルほど離れた位置に着地する。
「許さないって言うの!?」
ーーピキッ!!
そんな効果音が聴こえたのと同時に、カルマは床を強く蹴り俺に突っ込んでくる。
「退いてっ!」
と、モニカの声が耳に届いたのと同じくして、俺は急激に背中から吹き飛ばされる。
買ったばかりの肩掛け鞄は、紐が切れたのではという音を響かせながらも、俺の身体から離れずにいた。
「ぐっ!?」
それでも、背中から着地させられたため、息が詰まる。マットが無ければ悶絶していたであろう。
「せいやっ!」
掛け声と共に繰り出される拳や蹴り。
日本ではあり得ない打撃の応酬に、ここが異世界なのだと実感させられる。
「このっ!」
カルマは飛び上がり、モニカの背後へと移動する。
しかしモニカはモニカで、着地点を予測し、その予測点に拳や蹴りで当てに行く。
これはカルマも予想していたのか。上空で身体を伸ばし、モニカの予想した滞空時間をずらしにかかる。
そして、カルマの着地よりも早くに、モニカの拳が到達してしまう。
その伸びきった腕を左手で掴みーー
「貰ったっ!」
骨を砕くように、右拳を先頭に身体ごと落下させる。
「甘いよっ!」
だが、モニカは焦ることなく、カルマに続くように飛び上がる。カルマが握っていた箇所が支点となり、モニカの身体がカルマに迫る。
「ちっ!」
手首の稼働域から離れたモニカの手首。カルマは指の合間からモニカの手首を逃がし、自身の頭を守るように覆い、着地と同時に転がる。
カルマが転がっていなければ、モニカの踵が頭上に直撃していただろう。
「………………」
なんて攻防なんだ。語彙力の乏しい俺は、在り来たりで、簡単な感想を思い抱くことしか出来ない。
モニカはトップランカーだと自称していたが……そのトップと渡り合っているカルマと呼ばれた少女も、相当な腕前なんだ。少なくとも、腕力でさえ劣る俺が太刀打ちできる相手ではない。
床に、壁に、穴を空け始めた壮絶な闘いを、俺は傍観しているしかない。
「相変わらず、凄いねぇ~」
「っ!」
突然。背後から吐息を漏らすような女性の声。
振り返れば、俺の隣で体育座りをしている女の子がいた。
「いやぁ~。ここが廃棄されてる場所で良かったよねぇ~」
「……君は?」
警戒しなければいけない相手かどうか。それを決めるためにも、俺は女の子へと声をかけた。
「わたし? わたしはーー」
と、女の子はニタァと、まとわり付くような笑顔で、
「お兄さんの敵だよぉ~」
と、声にした。