15話
視界が揺らぐ。気を失いかけた訳じゃない。溢れ出る涙を拭う手が無いからだ。
左手の、いや、左腕の感覚は、もうない。矢羽を握っているかどうかは、矢が放たれていない事でしか確認できなくなっていた。
力を蓄えた矢は、ガスバーナーのような空気を燃やす音を撒き散らしながら、一定の大きさで留まっている。
そんな危険きわまりない矢の側で、俺は大人気なく、涙を流しているのである。
「ふふふ……ふはははっ!」
あまりの茶番劇に、我は声を出して笑ってしまう。
つまらん。死んだと思い込んでおった人間が、生きていただけのこと。
貴様が抱いた二十年間の後悔と罪が無くなった訳ではあるまい。
「……そうだ。確かにお前の言う通りだ」
今もこうして、少しでも気を抜けば、周囲を、彼女を巻き込んで死ぬことになるだろう。
「ならば、」
「だからこそ! これを放つわけにはいかねぇんだよっ!!」
三度目はない。本来ならば、一度で終わりだったはずだ。それが、リトライのチャンスが巡ってきたんだ。
こいつだけは、なんとしても……!
「ふん。まぁよい。我は今一度、眠りにつくとしよう」
と、途端に上半身の感覚が戻ってくる。魔王に奪われていた感覚が、今度は炎に焼かれる感覚に。網の上で焼かれる牛肉の気分だ。
「どういうつもりだ?」
不審に思った俺は声に出して問うが、答えが帰ってくることはなかった。
手にはアマテラスが握られている。左腕の感覚はないが、矢が放たれていないいないため、今も矢羽を握っている。腰より上も、熱に犯されているため、万全とは言い難い状態だ。
「この矢、戻せないのか?」
通常の矢であれば、弦を緩めれば問題ないはずだ。矢は放たれることなく、左手に残るだろう。
しかし、今握っているのは、限界までエネルギーを蓄えた火矢である。弦を緩めたところで、素直に矢が放たれないとは、考え難い。
だからといって、この矢を放つことは出来ない。さらに言うならば、俺は弓矢の初心者だ。なんなら、初めて弓を握ったといってもいい。
なるほど。業火魔王の狙いは、達成できたも同然と言うわけか。
処理が不可能な爆弾を残して、自分は体力温存のために眠るとは……
「魔王というのは、本当にいいご身分だな」
愚痴を溢したところで、火の勢いが収まるわけでもない。それでも、ちゃぶ台をひっくり返すように、盛大にぶちまけたい気分に襲われる。
「………………」
愚痴と言えば、もう一人。不満をぶつけたい人がいる。俺は首を動かし、その人物を探す。
何日も前のように思えるが、つい一時間ほど前は、西日にその影を見た。そんな記憶がある。
日は沈んでいるが、反対方向には、夜空に吸い込まれるように聳え立つ背の高い塔がある。全てではないが、科学薬品を用いた実験や、過去になにが起きたのかを記帳した資料などが保管されている東棟だ。
その棟は、俺から見て右手の方向。矢の先端が向いている先に確認できる。
そうなれば、西は真逆。細かい位置は度外視にしても、その方向に、不満をぶちまけたい人物がいるはずだ。
左半身は、感覚のほとんどが失われつつある。核弾頭のような火矢が、いつ放たれてもおかしくないのだ。
どうせ放つなら、これを処理できそうな人物にくれてやる。
「学園長っ!!」
俺は身体を左に勢いよくひねる。
その反動で、鼓膜を直接叩かれるような轟音を響かせながら、世界を燃やす火矢が放たれた。




