10話
グラウンドでは、学園長の指示により、防護柵や救護班が準備を進めていた。
「まぁ、億が一も無いだろうがねぇ。保険は掛けすぎて丁度いいもんさね」
と、掛けすぎとは思えないのだが、準備が粛々と進んでいる。
「あとはどうやって業火魔王を呼び出すか。だねぇ」
「マニファスを召喚すれば、いいんじゃないのか?」
「それで出てくりゃいいんだがねぇ……」
と、顔にシワを寄せる学園長。なにか問題があるのか?
「と、通してください」
「ダメだ! 首席と言えど、ここから先には通せない」
懸念事項を気にしていたところに、「首席」という単語が耳を震わせる。
言い合うような声の方を向けば、
「モニカ……か?」
「一さんっ!」
彼女は先生を飛び越えて来ようとするが、先生の方が上手だった。
モニカに両肩を掴まれた先生は、その掴んだ両手首を掴んで降り下ろす。
「ぐっ!?」
投げられたモニカは着地に失敗し、背中を地面に打ち付ける。
その音を聞き付けた小学生が…………
「って、エマじゃないか」
「へっ? ……あぁ~!? 一お兄さん~!!?」
小学生だと思えた少女は、モニカと同級生であり、幼馴染みの少女であり、この学園の上から五番目の順位であるエマだった。
「なるほど。エマは後衛支援が主な役割なんだな?」
モニカとエマ、それに俺を加えた三人は、グラウンドに沿って設置された選手控え室で話をしていた。
モニカを投げ飛ばした先生はかなり苦々しい表情になっていたが、学園長に
「ふむ。息抜きも大事だわさ」
と言われ、赤道を一周できそうなほどの歩数を譲って、三人での面会を許可してくれた。
もちろん。いざとなれば、学園長が飛び込めるようにはなっている。
「うん、そうだよぉ~」
「後衛支援だけでトップランカーになれるもんなんだな」
感心して言えば、発言の内容が気に食わないのか、
「むぅ~! 支援しか出来ないみたいな言われ方はぁ~、一お兄さんでもぉ~、怒るよぉ~!」
「すまん。そういうつもりじゃないんだ」
「まぁ~、知ってたけどねぇ~」
そう言うと思っていた。とは口にしなかった。というのも、
「一さん……怖くないんですか?」
モニカが不安げな表情を浮かべて、俺に聴いてきたからだ。
「怖くないのか?」という言葉だけだが、今の俺の状況を照らし合わせれば、学園長とのことだろう。
「怖い。と言ったら、俺が魔王でなくなるのか?」
「……その言い方は卑怯です」
彼女はそっぽを向いてしまう。
かなり意地悪な言い方だが、これ以上、彼女に迷惑を掛けたくないのも事実。いっそのこと。恐怖で我を失ったような芝居でもして、彼女が離れていくように仕向けるべきだろうか。
さて、どのような芝居をしようかと、頭の中で台本を練っていると、
「一さんがそんな態度なら、私にも考えがありますからね!」
と、メインヒロインが控え室から出て行ってしまう。
口を開けて宝前としていると、
「一お兄さんって、意外と天然だよねぇ~?」
と、小さな笑いを漏らしながら、エマに天然の烙印を押されてしまう。
「それは、国の管理から逃れた男という意味か?」
「さぁ~?」と、エマもモニカの後を追うように、控え室を出て行く。
残された俺は、一人でこの後の事を考え始めた。
まずは、俺の意識を奪った『業火魔王』についてだ。
恐らく、魔王が使ったと言われるマニファス――『アマテラス』を呼び出せば、魔王は俺の意識を奪い去り、表に出てくるだろう。
寝ている間に体を使われているという状況になるのだが……
「これをどうにか出来ないだろうか……」
というのも、もし、身体の制御を俺が出来るのであれば、魔王を俺の体の中に封じ込めた状態に出来る。
ただ、封じ込めた後も問題だ。
「………………」
結局のところ。
「俺が死ぬしかないのだろうな……」
二十九年。
思い返せば、楽しい思い出や苦しい思い出。激怒するような出来事に、顔を腫らすほどの悲しい思い出。それらよりも、一人で退屈だった日常の方が、鮮明に思い出せる。
この先も一人のつもりだった。それこそ、六十、七十を超えても、一人で生きていくと思うし、確実にそうなるだろう。男女比が偏っているこの世界でも、俺は一人だろう。
別に、結婚に夢が無いだとか、女性が怖いだとかは無い。苦手と感じる時もあるが、それは、俺に免疫が無いためである。予防接種のように、適度に触れ合うことが出来れば、女性とコミュニケーションをとる事なんて、呼吸をするのと同じような状況まで持って行けるのだろう。
だが、予防接種をする気もないし、強制されるわけでもない。
結婚というのも似たようなもので、彼氏彼女の関係になる様な機会も気概もない俺が、カップルの延長線上にある夫婦という関係になれるとは思えない。
稼ぎは少ないし、面構えもカッコいいわけではない。集団をまとめられるようなカリスマ性も無ければ、職人のような跳び抜けた技術を有している訳でもない。コネもないし、権力もない。
無いモノが無い。なんて言葉を聞いたことがあるが、差し詰め。俺は、有るものすら無い。と言ったところだろう。
「ふぅー」
この世界で過ごした時間はおおよそ二日。
知らない事だらけの俺に、モニカは優しくしてくれた。なぜだろうか?
「男だったから」
これはハズレだ。
もし、男だと言うだけで優しくしたのであれば、トップランカーの権利を使えばいいだけのこと。
国から候補として選出された男達が、どのような立場になるのか知らない。が、見ず知らずの男と、国が紹介する男。信頼度という点から見れば、国の方が遥かに上だろう。
よって。性別が理由ではない。
「異世界から来たため」
これもハズレ。
俺より前に、この世界に五人も来ているのだ。しかも、全員が魔王という大災厄を招いている。
ある者は世界地図を書き換えるほどの被害をもたらし、ある者は人類を滅ぼすまで追いやった。
そんな死と隣り合わせになる危険を冒してまで、一緒にいるメリットは無いはずだ。
仮に、彼女が魔王を崇拝していたとしても。確実な死を無抵抗で受け入れられるはずがない。
よって。異世界からというのも、理由ではない。
「彼女の性格?」
だとしたら、身を守るという点で危う過ぎる。
学園で主席と言えど、学生の範疇である。現に、火傷を負っていたとはいえ、文化部に所属していそうなメガネの先生に投げ飛ばされていたのだ。
「ホント……」
彼女は、俺に、何を求めていたのだろうか。
出来る事ならば、知って、叶えてあげたかった。
俺は誰も居ない控え室で、天井を見上げる。
剥き出しにされた木の骨組みが歪んで見えるのに、俺は気付かないふりをした。




