女王蟻を倒すまで帰れません
ライン王国魔法騎士団のクロエさんと合流した翌日。
真夜中に町をあとにした俺たちは草原を歩き、日が昇る前に目的地にたどりついた。
「いよいよだね……」
「緊張しますね……」
地面にぽっかりと空いたサンドアントの巣穴を見て、フェルミナさんとクロエさんが身震いする。
「今日はなにを食べるのかしら?」
一方、ノワールさんは今日のご飯を気にしている。
俺と旅するなかで魔王と出会いまくり、感覚が麻痺してしまったのだ。
「2日続けて肉を食べたし、今日はあっさり系のご飯にしようかな。ノワールさんはなにがいい?」
「果物がいいわ」
「いいね。じゃあ今日は果物にしよう! フェルミナさんたちも一緒にどう?」
「うん。無事に生きて帰れたら、お腹いっぱい食べようね!」
「みなさん、よくご飯の話ができますね。私、昨日はサンドアントのエサになる夢を見たんですけど……」
クロエさんは悪夢を見たようだ。
なにせこれから戦うサンドアントは、普通のそれとは一線を画する強さだからな。
おまけに女王蟻の強さは未知数だ。どれくらい強いかわからないし、クロエさんが怯えるのも無理はない。
だけどみんなを守るため、クロエさんは怯えながらも逃げだそうとはしなかった。それと同じ理由で、俺もこの場に立っているのだ。
強くなるために戦うのではなく、大切なひとを守るために戦う。
そうすることで強くなるって、フェルミナさんに教わったからな!
ノワールさんとフェルミナさんは言うまでもなく、ご飯をご馳走してくれたクロエさんも俺にとっては大切なひとだ。
そんな3人を守り抜けば、俺は強くなれるはず!
世界樹で魔力の質を高めたし、この作戦が上手く行けば大空を自由に飛べるくらいの魔力が宿ってもおかしくないのだ!
サンドアントを全滅させて――
突然変異の女王蟻を退治して――
ノワールさんたちを守り抜いて――
そして、大魔法使いになってみせる!
「だいじょうぶですよ! 俺たちならサンドアントを倒せます! 逆にサンドアントをエサにしてやる、くらいの気持ちで挑みましょう!」
「そ、そうですね! サンドアントを食べてやりましょう!」
「よーし! いっぱい食べるぞ!」
「お腹が空いてきたわ」
そうして俺たちが気持ちをひとつにしたところで、
「では、いまのうちに作戦を確認します」
と、クロエさんが気を取りなおすように咳払いした。
「サンドアントは夜明けとともに活動を開始します。ですので掃討作戦は夜明けと同時に決行します」
「夜明けを感知して巣穴のそばに出てきたら、あたしが全力で火を放つよ。だけど、巣穴の奥までは届かないからね」
「生き残ったサンドアントは、次々と巣穴から飛び出してくる――それを俺が倒すんだったよね?」
「うん。巣穴近くのサンドアントは火傷で動きがにぶくなってるはずだけど、遠くのサンドアントは無傷だと思うから、全力で襲ってくると思う。だからアッシュくん、気をつけてね」
「もちろん我々が援護しますが、巣穴のそばで戦うアッシュさんが一番危険ですからね。魔法騎士団ではないアッシュさんにお任せするのは気が引けますが……」
「気にしないでください。俺、近距離攻撃のほうが得意ですから!」
それに最前線で戦ったほうが『守ってる』って感じがするしな!
「私も援護するわ。だけど、アッシュが全部倒してしまいそうだわ」
「俺はそのつもりで戦うけど――だとしても、けっきょくは巣穴に乗りこむことになるよ」
「おっしゃる通りです」
と、クロエさんが地図を開いた。
探知魔法に長けた団員が作った巣穴の見取り図だ。
見取り図によると、地下へと続くトンネルの最深部には大きな空洞がある――すべての巣穴は、地中深くにあるこの空洞に繋がっているのだ。
「この空洞は産卵場所か、エサの貯蔵庫か、あるいはその両方でしょう。いずれにせよ、この空洞に女王蟻が潜んでいる可能性が極めて高いです」
侵入者に気づいて出てくるか、空洞で侵入者を待ち構えるか――。
どっちになるかはわからないが、この作戦に参加している全員の目的地が空洞である以上、誰かが女王蟻と戦うことになるのだ。
サンドアント掃討作戦は、次々とサンドアントを生み出す女王蟻を倒さないと意味がないからな。
「我々の知らぬ間に地底を支配していた女王蟻――。それが多くのサンドアントとともに地上に出てきたら、世界はパニックに陥ります。女王蟻の強さは計り知れません。倒すのにどれだけの犠牲が出るかわかりません。倒すのにどれほどの時間を要するかわかりません。だとしても、世界の平和を守るためにはなんとしてでも倒さなければならないのです!」
士気を高めるように力強く語り、クロエさんは小さく吐息する。
「さて、以上で作戦の確認を終わりますが、なにか質問はありますか?」
「女王蟻はどんな見た目なのかしら?」
「サンドアントは成長するにつれて青みが増していきますが、女王蟻は黒みが増していきます。また、女王蟻は成熟したサンドアントを丸呑みにできる大きさです」
「あまり美味しくなさそうだわ」
「ほんとに食べるつもりだったんですね」
クロエさんが戸惑うようにそう言ったところで、地平線の向こうがうっすらと明るくなってきた。
「いよいよですね……。では、位置についてください」
フェルミナさんが巣穴に魔法杖を向け、俺は拳を構える。
できれば魔法使いとして戦いたいけど、みんなを守るためだからな。今日だけは武闘家として戦おう! まあ、魔法使いとして戦った記憶はないけどな。
そうして武闘家の体勢で待っていると、日差しが俺たちの身体を明るく照らした。
がさがさと巣穴の奥から足音が聞こえてくる――
何日がかりになるかわからないけど、必ず女王蟻を倒してみせるぞ!
「それでは――サンドアント掃討作戦、スタートです!!」
その瞬間、フェルミナさんの炎魔法が巣穴に放たれた。
◆
真っ暗な空洞に、金切り音が響いていた。
音の発生源は真っ黒な巨体だ。
鋭いアゴで魔物を食い散らかしていたそれは、ふいに食事を中断した。
『キェェェェェエエッ! なんたる不味さ! なんたる下劣さ! 妾が喰らうに値せぬ下賤な味! とても喰えたものではない! キェヒェエエエィッ!』
魔物の死骸を吐き出し、女王蟻は苛立たしげにアゴを擦って金切り音を発する。
『妾は不味いエサなどいらぬ! だというのに! どれも! これも! 不味い! クケェィィィイエェエィッ!!』
空洞には息子たちが各地から集めた魔物の死骸が山盛りになっている。
その多くが強力な魔物だ。かつての女王蟻からしてみれば垂涎もののエサである。
だが、いまの女王蟻は真の美食を知っている。その味を知ってしまったからこそ、不味く感じるのだ。
『あの美食は! あの美食はいつになったら手に入る! 我が子たちは、いつになったら妾のもとへ運んでくる!』
苛立ちを発散するかのように、女王蟻は死骸の山に突っこんだ。ガチガチとアゴを鳴らして死骸をバラバラに切り裂いていく。
『アァァァァッ! キィアァァァァィアッ! 空腹! クケェェェェェェエッ!!』
エサは山ほどあるが、食べても食べても飢えが収まることはなかった。
むしろ食べれば食べるほど、あのとき食べた美食の味が蘇り、さらなる飢えに襲われるのだ。
この飢えを満たすには、極上の美食を喰らうしかない。
『どこかにあれを倒した生き物がいるはずッ! そいつは極上の味がするに違いないッ!』
かつての女王蟻は、ただのサンドアントに過ぎなかった。
だが、荒野で見つけた魔物の死骸を――全身にいくつもの小さな穴が空いた鳥を食べた瞬間、細胞が沸騰するかのような感覚に襲われたのだ。
身体は何倍にも膨れ、身体能力が遙かに上がり、産卵能力が驚くほど向上し、強すぎる息子たちが産まれてくるようになった。
あの日あのときあの鳥を食べた瞬間、女王蟻はべつの生き物に生まれ変わったのである。
『もっと食べたい! 美食をォッ!! もっと欲しい! 力がァッ!!』
生前強ければ強いほど、エサの味は向上する。
つまり、あの鳥をしとめた生き物こそが真の美食なのである。
それには劣るが、地上には美味なエサが山ほどあることを女王蟻は知っている。
『クキィィィィイッ! もう耐えられぬ! ニンゲンを喰らうときが来たアァッ! クエッ! クェエェエッ!!』
女王蟻はニンゲンを喰らいたいと思っていた。
空洞内の卵がすべて孵り、生体となったら、息子たちを率いて地上へ攻めこむつもりだった。
だが、これ以上の空腹には耐えられない。
『この世のすべては妾のものォ! 妾のエサァ! 喰らって喰らって喰らい尽くしてやる! キャキャキャァァッ!』
がさがさと音を立てて空洞を駆け上がる。
そして地上へ向かってトンネルを疾走していると――
ぶわあああああああっ!
と、炎の渦が迫ってきた。
『キェェェェェェェェエッ! エサエサエサエサ! エサのほうから来おったわァァァアッ! 退け退け虫けらどもがァアアアッ!』
息子たちを踏み潰しつつ炎のなかを突き進む。
この炎がニンゲンの仕業ならば弱すぎる。たいした味はしないだろうが、ニンゲンを喰らうのははじめてだ。
食べたいと思っていた。
貪りたいと思っていた。
それをついに喰らうことができるのだ。
地上に出れば世界のすべてを喰らい尽くすことができるのだ!
『エサエサエサエサエサエサエサエサエサエサエサエサエサァァァァァッ!!』
地上にはニンゲンが数多く棲息している!
つまり地上は食糧の宝庫!
女王蟻のために存在するエサ場なのだ!
『世界を喰らう、時が来た!! クケーェッ!!』
パァァァァァン!!!!!!
「よしっ! 1体目!」
女王蟻は砕け散った。