魔力不足を筋力でカバーします
弟子のネミアちゃんと別れたあと。
元クラスメイトのニーナさんと再会した俺たちは、ひとまず学院近くの公園に移動した。
ベンチに座るなり、ニーナさんがにっこり笑いかけてくる。
「ほんっとーに、ひさしぶりだねっ!」
あれ? ニーナさんってこんなに明るかったっけ?
いつも悩み事を抱えてたし、ネガティブっていうか、おとなしい印象があるんだけど。
「ニーナさん、少し見ないうちに変わったね」
「わかる!? 実はあたし、背が伸びたんだよ! 遅れてきた成長期だよ! ……まあ、ノワールさんの成長には負けるけど」
あっ、いつものニーナさんだ。
明るくなったわけじゃなくて、俺たちと再会してテンションが上がってるだけかもしれないな。
「とにかく会えて嬉しいよっ! ふたりとも卒業式にも顔を出さないんだもん! なにしてるんだろうって心配してたよ!」
俺も卒業式には出たかったんだけどな。
そのときは《修練の間》にいたし、現実世界に帰ってきたときには10ヶ月以上の月日が流れていたのだ。
「ところで、さっき学院でなにしてたんだ?」
まさかこのテンションで留年したわけじゃないだろうし……
「あたし、薬師を目指して修行中なの! ほら、あたしとアッシュくんとで昇級試験に挑んだことがあったでしょ?」
「俺とニーナさんとで気力薬を調合することになったんだよな」
唐突に魔王ゲームが始まってどうなることかと思ったけど、無事に調合することができたのだ。
「あのあとシャルム先生に『上手にできたね』って褒められて、それがすっごく嬉しかったから薬師になろうと思ったの」
シャルムさんは一流の薬師だからな。
そんなひとに褒められて、嬉しくないわけがないのだ。
「それで、3年生になってから毎日勉強したけど、薬師として独り立ちするには知識も経験も足りなくて……」
なるほど、話が見えてきたぞ。
「つまりシャルムさんに弟子入りしたってこと?」
「うん! あたし、近所の薬屋で働きながら、シャルムさんの課題をこなしてるの!」
シャルムさんから課題をもらって職員室を出たところで、俺たちと再会したってわけか。
「どんな課題をもらったんだ?」
「えっとね……これだよっ!」
ニーナさんが広げて見せてきたリストには、10以上の素材が記されていた。
でも、調合に必要な素材は書かれてるけど、『××薬を調合せよ』とは書かれてないな。
それを考えるのも課題のうちってことか。
「難しそうだわ」
びっしりと記された素材を見て、ノワールさんが頭をくらくらさせている。
ニーナさんはため息をつき、
「今回は特に難しいよ。だって、この『蜜袋』って素材、手に入れるのがすごく難しいもん……」
「それって金銭的な意味で?」
「それもあるけど、蜜袋はなかなかお店じゃ買えないの。だからパナップ渓谷まで収穫に行かないといけないんだけど……あそこには魔物除けの結界がないし、闇魔法か、水魔法と風魔法がないと手に入れるのは難しいの」
「ニーナさんって水系統だっけ?」
「うん。だから……友達に風系統の魔法使いがいるから頼んでみるよ」
「だったら俺が手伝うよ」
「えっ、いいの?」
「俺たちもパナップ渓谷方面に向かうところだったからね」
俺の魔力でどこまで力になれるかはわからないけど、困ってる友達を放っておくことはできないからな!
それに俺は待っていたのだ、魔法使いとして活躍できるチャンスを!
「ありがとっ! ほんとに助かるよ! 出発はアッシュくんたちの都合のつく日でいいからね!」
「じゃ、今日は買い物するから、明日の始発列車で出発ってことでいい?」
ニーナさんは嬉しそうにうなずいた。
◆
そして翌日。
エルシュタットをあとにした俺たちは、パナップ渓谷の最寄り町にやってきた。
遅めの昼食を食べ、いまは木々が生い茂る山のなかを歩いているところだ。
「道はこっちであってるんだよね?」
「うん。この地図が正しければ、そろそろ着くはずだよ」
「地図を見ながら歩くと転けてしまうわ」
「そ、そうだね。ちゃんと前を見て……」
地図を見ながら歩いていたニーナさんは顔を上げ、顔面蒼白になった。
「くっ、くく、クモだー!?」
木の枝からクモがぶら下がっていたのだ。
「クモだね」
「クモだわ」
「ふ、ふたりとも落ち着きすぎじゃないかな!? クモだよ!? 大きいよ!? あたしの顔くらいあるよ!?」
「貴女の顔が小さいだけだわ」
「ノワールさんの顔のほうが小さいよ! これ、魔物じゃないの!?」
「だいじょうぶ。それはただのクモだよ」
「逆に怖いよ!? ただのクモでこのサイズは、逆に怖いよ!?」
「怖がりすぎだわ」
「ふたりの肝が据わりすぎてるだけだよ!」
ニーナさんの悲鳴に驚いたのか、クモは逃げていく。
「こ、怖かったぁ……」
がっくりとうなだれ、深々とため息をつくニーナさん。
「ふたりともすごいね……。どうしてそんなに落ち着いていられるの?」
「アッシュと旅したら、すぐに慣れるわ」
「どんな旅をしてきたの……」
「いろいろなことがあったわ。それにアッシュがいれば怖くないわ」
「そりゃアッシュくんがいると心強いけど……でも、やっぱり怖いよ」
「怖いなら、手を繋いであげるわ」
「あ、ありがと……」
子ども扱いされつつも、嬉しかったのだろう。
ノワールさんと手を繋いだことで、ニーナさんの顔に血の気が戻っていく。
それからしばらく歩いたところで、ニーナさんは立ち止まった。
「さて、着いた。ここがパナップ渓谷だよ。ふたりとも足を滑らせないように気をつけてね。落ちたら死んじゃう高さだよ……」
目の前の崖を見て、ニーナさんが怯えている。
「落ちないように気をつけるわ」
「だね。それで、蜜袋はどこにあるんだ?」
「谷底だよ。蜜袋は川沿いの壁にべったり張りついてるの」
俺は谷底へダイブした。
「ぎゃー!? アッシュくん!?」
谷底に流れる川沿いに着地すると、ニーナさんの悲鳴が降ってきた。
ニーナさんって、俺が武闘家だってこと知らないんだっけ?
……まあ、知ってたとしても、めちゃくちゃ心臓に悪い光景を見せてしまったことに変わりはないな。
「俺は平気だよ!」
「ほんとに!? 足が変な方向に曲がってたりしない!?」
「だいじょうぶ! すぐに手に入れるからちょっと待ってて!」
えっと、蜜袋は……あれか。
壁を見ると、未熟なバナナにそっくりな物体がべったり張りついていた。
さっそく持って帰るとするか!
ぶしゃっ!!
壁から引っぺがした瞬間、ぬめっとした汁が噴き出した。
蜜袋は完全に萎びてしまったけど……これって、触っちゃまずかったのか?
「アッシュくん! いまどんな感じ!?」
「蜜袋に触ったら、汁が噴き出してきたよ!」
「言い忘れてたけど、蜜袋は触らずに収穫するんだよ! 触ったら蜜が噴き出すからね!」
「だったら、汁だけ収穫するのはどうかな!」
「汁は噴き出したらすぐに腐っちゃうの! だから蜜袋を浮かせて、触らずに収穫するんだよ!」
「収穫には風魔法が必要って、こういうことだったんだね!」
「谷底に下りるときにも使うけどね!? と、とにかくそういうこと!」
そういうことなら、相棒の出番だな!
「行くぜ、相棒!」
新たな蜜袋を見つけた俺は、浮遊魔法のルーンを描いた。
すると蜜袋が浮か…………ばなかった。
俺の魔力じゃ、蜜袋を壁から引っぺがすことはできないってわけか……。
だったら、奥の手を使うしかないな!
ズンッ!!!!
「アッシュくん! いまどんな感じ!? なんかすごい音がしたけど!」
「いい感じだよ!」
「蜜袋を浮かせたんだねっ!」
「いや、壁ごとえぐり取ってみた!」
「なんで!? なんで壁ごと!?」
壁ごと持ち帰れば、蜜袋に触らずにすむからな!
けど、この大きさだと列車に乗せるのは難しいし……
スパンッ!!!!
手刀で岩を斬り、皿みたいな形にする。
ちょうど皿の上にバナナが載ってるような形だ。
これなら持ち帰りも楽だけど……
問題は、どうやって崖の上まで運ぶかだ。
ジャンプすれば、風圧で汁が噴き出しちゃいそうだしな。
蜜袋に刺激を与えないように運ぶには……あの手を使うしかないか。
ズンッ!!!! ズンッ!!!!
「アッシュくん! いまどんな感じ!? なんかすごい音が近づいてきてるんだけど!」
「だいじょうぶ! それは俺の足音だからね!」
「足音なの!? 空を飛んで戻ってくるんじゃないの!?」
「考えたんだけど、壁を歩いて戻ることにしたよ!」
「どうしてそんな結論に!? ていうか、どうやって歩くの!? 壁だよ!? 垂直だよ!?」
「壁に足を突き刺すことで、歩けるんだ!」
「歩けないよ!? ……ちょっとイメージしてみたけど、歩けなかったよ!?」
そんなやり取りをしている間に、俺はニーナさんたちの待つ場所へ戻ってきた。
「ただいま!」
にこやかに戻ってきた俺を見て、ニーナさんがぺたんと尻もちをつく。
「ほ、ほんとに歩いて帰ってきたね……怪我は?」
「してないよ。はいこれ」
岩の皿に張りついた蜜袋を差し出す。
ニーナさんは気を取りなおすように咳払いをして、にっこり笑う。
「ありがと! じゃ、あとはあたしの仕事だね!」
ニーナさんが魔法杖でルーンを描く。
すると岩皿ごと蜜袋が水の膜に包まれた。
「ゼリーみたいだわ」
たしかに弾力のある水の膜はゼリーにそっくりだ。
これなら蜜袋に刺激を与えずに持ち帰ることができそうだ。
収穫に風魔法と水魔法が必要って、こういうことだったのか。
「これでよし、と」
ニーナさんがゼリーに包まれた蜜袋をケースに収納したところで、俺たちは下山するのであった。
◆
町に帰ってきた頃には、夕方になっていた。
「お腹が空いたわ」
ノワールさんはお疲れモードだ。
今日は散々歩いたからな。
赤点のもとへ向かうのは明日にして、今日はこの町に泊まるとするか。
「俺たちはここに泊まるけど、ニーナさんはどうする?」
「あたしはエルシュタットに帰るよ。早く調合したいからねっ!」
「わかった。調合が上手くいくように祈ってるよ!」
「私も応援するわ」
「ふたりともありがと! じゃ、またね! エルシュタットに戻ってきたら、いつでも遊びに来てね! 今日のお礼にいっぱいご馳走するからね!」
にこやかにそう言うと、ニーナさんは列車乗り場へと歩き去っていく。
「また二人旅になったね」
「いっぱいしゃべるわ。赤点の場所に行くのは明日かしら?」
「その予定だよ。早めに行かないと、赤点が移動するかもしれないからね」
グリューン王国の前例があるため、一度居場所を確認したからといって油断はできないのだ。
「昨日見たばかりだけど、念のために居場所を確認してくれる?」
「確認するわ」
ノワールさんが地図を広げ、眉をひそめた。
「どうしたの?」
「赤点の居場所が変わってるわ」
「えっ? ……ほんとだ。南東に移動してるね。しかも二つの赤点が重なってるし……」
「もう一つの赤点は、貴方かしら?」
「うん。一つは俺だよ」
つまり、赤点の主は俺の近くにいるってことだ。
「さっそく会いに行くのかしら?」
「せっかく近くにいるからね。まずは直接会って話をして、それからご飯にしよう」
「今日はお肉が食べたいわ」
「ノワールさんの好きなものでいいよ」
そうして予定を決めた、そのときだった。
「おやおやっ! アッシュくんとノワちゃんじゃんっ! こんなところでなにしてるのっ!?」
賑やかな声に呼ばれて振り返ると、フェルミナさんが串焼き肉を頬張っていた。
活動報告のほうで武闘家2巻(08/25発売)のカバーイラストを公開しましたので、よろしければご覧ください。