幼き令嬢です
ドラクリアに到着した翌日。
昼食を食べた俺たちは、領主さんの屋敷に向かっていた。
「さて、私はどこかで時間を潰すであります」
道の向こうに屋敷が見えてきたところで、ネミアちゃんが寂しそうに言った。
「なぜ一緒に来ないのかしら?」
「紹介状を持っていない私は、ハゼラン殿に追い返されるでありますからね」
「ハゼランって誰かしら?」
「ハゼラン・メイデンハイム――領主さんだよ」
「私もハゼランに門前払いされるのかしら?」
「ノワールさんのことは紹介状に書いてもらってるし、ネミアちゃんのことは俺から紹介するよ」
俺が紹介しなくても、ネミアちゃんは門前払いされないだろうけどな。
なにせネミアちゃんはこの国の英雄・トロンコさんの孫娘なわけだしさ。
「アッシュ殿が紹介してくれるなら、怖いものなしでありますっ!」
俺たちについてきたかったのか、ネミアちゃんはうきうきとした足取りで歩いていく。
「この先に赤点の主がいるわ」
そうして目的地にたどりついたところで、ノワールさんが地図と屋敷を見比べながら言う。
いよいよ師匠とご対面か……!
「すみませーん!」
いてもたってもいられず作業中の庭師さんに声をかける。
「へい。どちら様でしょう?」
「俺はアッシュといいます! ハゼランさんに会いに来ました! これ、国王様の紹介状です!」
すかさず紹介状を見せる俺。
しかし庭師さんは紹介状には目もくれず、俺の顔をガン見している。
「アッシュというと……もしやアッシュ・アークヴァルド様ですか?」
「はい。そのアッシュです」
「こ、こりゃ大変だ! 旦那様! 旦那様ァ!」
庭師さんが慌ただしく屋敷に駆けていく。
ややあって、武将みたいなお爺さんが駆け寄ってきた。
見るからに厳しそうなひとだけど……
「ぅおおっ! アッシュさんではありませんか! まさかうちに来ていただけるとは! 感激です! 御前試合を見て、アッシュさんとお話できればと思っていたのですよ! おっと、申し遅れました! 私はハゼランと申します!」
とびきりの笑顔で握手を求められた。
俺はハゼランさんの手を砕いてしまわないよう、そっと握手に応じる。
「はじめまして、ハゼランさん。これ、国王様の紹介状なんですけど――」
「紹介状など不要です! もちろん、お連れの方も……」
ハゼランさんはネミアちゃんを二度見した。
「ネミア様ではありませんか! 御前試合、見ましたよ! まだお若いのにあれほどの魔法を使いこなせるとは! うちの孫娘も、ネミア様のような魔法使いに成長してほしいものです!」
ネミアちゃんみたいに成長してほしいってことは、その孫娘はかなり若いってことだ。
きっとその孫娘の母親が、俺の師匠なのだろう。
「ところで、アッシュ様はなぜここへいらっしゃったのですか?」
「俺、その孫娘さんの母親に会いに来たんです」
さっそく用件を告げると、ハゼランさんは申し訳なさそうな顔をする。
「遥々お越しいただいて申し訳ありませんが……アリシアは、昨日から行方がわからないのです」
えっ。
「行方不明なんですか?」
じゃあ地図に表示されてる赤点は何者なんだ?
「一応、置き手紙には『体調が優れないのでしばらく田舎で療養生活を送ります。どうかフェリシアをよろしくお願いします』と居場所を示唆するようなことが記されていまして、息子のローゼスが捜索に出向いているのですが、見つかるかどうか……」
屋敷にいる赤点の正体はさておき、田舎で療養って、もしかして……
「アリシアさんって、メイドの格好をしていませんでしたか?」
「な、なぜご存じなのですか!? 確かに、アリシアは元々メイドとして働いてくれていましたが……」
やっぱりそうか!
「俺、昨日アリシアさんと話しましたよ!」
「そ、それは本当ですか!? アリシアはなんと!?」
「田舎で療養生活を送りたいから、どこか紹介してほしい、と質問されたので『ランジェ』を紹介しました」
あのあと地図を見たけど赤点は屋敷にしか表示されてなかったし、昨日は本当に体調が悪そうだったからな。アリシアさんは出産を終えても衰弱したままだったのだろう。
療養生活を経て体調が戻れば、赤点も復活するはずだ。
「ランジェとはいったいどこなのですか?」
「大陸の最東端にある町です」
「大陸ですか……」
ハゼランさんの顔から血の気が引いた。
世界樹のそばで修行していたリンクスさんが異常なだけで、この国のひとたちにとって大陸は『バケモノの巣窟』だからな。怖がるのも無理はないのだ。
「とにかくローゼスをフランコに向かわせます! いまなら出港に間に合うでしょう!」
ハゼランさんは懐から携帯電話を取り出すと、慌ただしい口調で港町フランコに向かうよう指示を出す。
「ありがとうございます。おかげでアリシアを連れ戻すことができそうです。アリシアが戻りましたら、すぐにご連絡いたします。……ところで、アリシアに会ってどうするのですか?」
「アリシアさんは強者らしいので、弟子入りできればと思いまして。だけど屋敷には、もうひとり強者がいるみたいなんです。アリシアさんが不在のいま、そのひとに弟子入りしたいんですけど……」
「強者……」
ハゼランさんは、なにかを察したような顔をする。
屋敷にいる強者が誰なのか、心当たりがあるのかな?
「もしよければ、そのひとのところに案内してくれませんか?」
「それは構いませんが……弟子入りは不可能だと思いますよ」
気難しいひとなのかな?
だけどここまで来て引き返すなんてできない! だめで元々、当たって砕けろだ!
「では、案内しますのでついてきてください」
俺の熱意が伝わったのか、ハゼランさんは屋敷に招待してくれる。
絨毯敷きの廊下を歩き、階段を上り、とある部屋に通された。
そこには、ふたりのメイドがいた。赤ちゃんをあやしていたのか、そばにはゆりかごが置いてある。
どっちが俺の師匠だろう……。
「ふたりとも。外へ」
ハゼランさんがふたりを部屋の外に出した。
そして、ゆりかごを指す。
「ここにいる孫娘――フェリシアが、アッシュさんの言う強者です」
……えっ?
「フェリシアちゃんって、この赤ちゃんですよね?」
「はい」
「赤ちゃんが、俺の師匠なんですか……?」
「はい」
ハゼランさんは一切の迷いなくうなずいた。
自信満々に断言するってことは、フェリシアちゃんは本当に強者なのだろう。
これでようやく赤点の謎が解けた。
つまり、俺が最初に見た赤点はアリシアさんで、最近復活した赤点はフェリシアちゃんだったってわけだ。
「かわいいでありますなぁ」
「いままでで一番かわいい師匠だわ」
ふたりはその気になってるけど、どう考えても修行は無理だ。
話が通じないってのもあるけど、フェリシアちゃんは修行して強くなったわけじゃないからな。
つまりフェリシアちゃんからは、強くなるコツを学ぶことができないのだ。学べることといえば、せいぜい赤ちゃんのあやし方くらいのものだ。
「修行が終わったら、だっこしてもいいかしら?」
「わ、私もだっこしたいでありますっ」
「アッシュも、だっこしてみるといいわ。なにか学べるかもしれないわ」
ノワールさんなりに、俺を励まそうとしてくれてるのかな。
「おふたりは構いませんが、アッシュさんはフェリシアに触れてはなりません」
そりゃそうだよな。俺がへたにだっこしたら、どうなるかわかったもんじゃないしさ。
ハゼランさんは大会を見たわけだし、俺を警戒するのは当然のことである。
「アッシュは、だっこが上手だわ。だって、私も身体が縮んだとき、だっこされたもの」
ノワールさんが反論すると、ハゼランさんは慌てて首を振った。
「そ、そうではありませんよ。私が心配しているのは、フェリシアがアッシュさんに襲いかかることです」
「フェリシアは暴れん坊なのかしら?」
「いいえ、普段はとてもおとなしい娘なのですが……フェリシアは、男に触るのが大好きなのです」
「生まれたばかりなのに、もう男女の見分けがつくのでありますか。賢いでありますなぁ」
「いいえ。ただ賢いだけではありません。フェリシアは生まれながらにして大人では歯が立たぬほどの怪力なのです」
「怪力って、どれくらいですか?」
「私の息子――ローゼスの指の骨を握って砕き、ビンタであごの骨を外し、歯を折り、ヒゲをごっそり抜くほどの怪力です」
「育児って大変でありますなぁ」
育児の大変さとローゼスさんが散々な目に遭っていることはさておき、たしかに赤ちゃん離れした力だ。
だけど、それくらいの怪力の持ち主は、それほど珍しくないはずだ。
つまり怪力だからじゃなく、魔力がずば抜けて高いから赤点になったってことだ。
きっと筋力は魔力の副産物みたいなものだろう。聞いたことがないけど、魔力が高すぎると身体能力も向上するのかもしれない。
それが事実だとしたら、羨ましいことこの上ない。
赤点ってことは、ノワールさん以上の魔力を持ってるってことだしさ。
修行をして魔力の使い方を学べば、間違いなく世界最強クラスの魔法使いになるだろう。
そのときは、ぜひとも戦ってみたいものだ。
強者と戦うことで、魔力は向上するわけだしな。
「かわいいわ」
「次は私がだっこしたいであります」
将来有望な魔法使いがいるとわかっただけでも、ここに来た甲斐があった。
ノワールさんにだっこされるフェリシアちゃん(俺をガン見している)を見て、俺は闘志を燃やすのだった。
◆
屋敷をあとにした俺たちは、宿屋に戻ってきた。
「かわいかったわ。また、赤ちゃんだっこしたいわ」
「かわいかったでありますねぇ! あれは将来、絶対美人になるでありますよ!」
ふたりとも、すっかりフェリシアちゃんのとりこになったようだ。
「アッシュも、赤ちゃんをだっこしたかったかしら?」
「まあね」
ふたりの話を聞いてると、少しだけ羨ましくなったのだ。
まあ、それ以上にフェリシアちゃんの才能が羨ましいんだけどさ。
だけど羨ましがってても成長なんてできないからな。
才能なんかなくたって成長はできるんだ。このまま修行を続けていき、フェリシアちゃん以上の魔力を手に入れ、大魔法使いになってみせる!
そのためには次なる修行の場に向かわなければならないのだ!
しょんぼりしている時間は、俺にはないのである!
それはそれとして、もうじきチェックアウトの時間だ。
「そろそろ宿屋を出る時間だよ」
俺の言葉に、ネミアちゃんが荷物を片づけ始める。
それを横目に、ノワールさんが地図を広げて見せてきた。
「次はどこに行くのかしら?」
「そうだね……。モーリスじいちゃんの誕生日までまだ時間があるし、もう一箇所くらい赤点巡りができるかな」
「モーリスたちがいるのは……ここかしら?」
ノワールさんが赤点の密集した箇所を指さす。
そこは『魔の森』と呼ばれる、世界で一二を争うくらい魔物が出現する場所だ。
「だね。その赤点はモーリスじいちゃんとフィリップさんとコロンさんだよ」
「だったら、ここで修行をするのはどうかしら?」
ノワールさんは『魔の森』から一番近い場所にある赤点を指さした。
「ここで修行すれば、終わってすぐにパーティに参加できるわ」
「お薦めしてくれるのは嬉しいけど、そこはあとにするよ」
そこに赤点の主がいることは、最初からわかっていた。
いままで見て見ぬふりをしてたけど……
その赤点がある場所、俺の生まれ故郷なんだよね。
村のひとたちは『魔王放送』で3歳児の俺が元通りになる瞬間を見ただろうし、あのとき女装していたとはいえ、俺の顔を一目見ただけでアッシュが帰ってきたと気づくはずだ。
父さんと母さんと鉢合わせれば、お互いにものすごく気まずい思いをするだろう。
それに俺の予想が正しければ、その赤点の主はあのひとだしな。
そんなわけで生まれ故郷での修行は、もう少しだけあとにしたいのだ。
「ひとまずエルシュタット王国に戻ってキュールさんと戦うよ。どこで修行するかは、そのあと考えよう」
まずは魔法使いのデビュー戦に挑むのだ!
世界最強の魔法使いであるキュールさんと戦えば、その一挙手一投足から多くのことを学べるはず!
資金援助してくれたアイちゃんにも挨拶したいし、目的地はエルシュタニアで決まりだな!
「荷造り終わったであります!」
「お疲れ様。忘れ物はない?」
「完璧であります!」
「じゃ、列車に乗って王都に行こう!」
そうして俺たちは列車乗り場へ向かい、ドラクリアをあとにするのであった。
次話で長かった5章も終了です。
本作以上に更新が滞ってますが、今回登場したフェリシアが活躍する物語も投稿しています。
婚活家になったフェリシアがネズミの嫁入り式に強者と戦い、じわじわとアッシュくんに近づいていく物語です。こちらは武闘家の連載が落ち着いたら再開できればと思っています。
また、武闘家の第1巻は6月23日に発売予定です。加筆修正した第1章(闇のゴーレム編)に加えて、30pほどの短編を収録しています。