氷上の狩人です
武闘家の技でリンさんを倒した俺は、誰もいない控え室に飛ばされた。
って、なんで誰もいないんだ? みんなでトイレに行ってる……とかじゃないだろうし、内装は似てるけど別室なのかな?
特に指示はないし、ここで待てってことか。
ただ待つのは時間の無駄だし、筋トレでもしようかな。
そうして腹筋していると――目の前に厚着のおじさんが現れた。
用心棒をやってそうな、いかにも強そうなおじさんだ。
もちろん、ただのおじさんってわけじゃない。
ここに転送されてきたってことは第2試合の勝者――
すなわち、俺の次なる対戦相手ってわけだ!
「ほぅ。やはり勝ったのはきみだったか」
おじさんは腹筋していた俺を見てにやりと笑う。強面だけど、性格の良さが滲み出ている。
「俺のことを知ってるんですか?」
「もちろんさ。私の予選会場は第三闘技場だったからね」
「あのときはすみませんでした」
俺はすかさず謝った。だって俺、このひとを吹き飛ばしちゃったわけだしな。
「謝ることはないさ。世界の広さを思い知るいい機会になったからね」
朗らかに笑うおじさん。そう言ってもらえると気が楽になるな……
「っと、俺はアッシュです。あなたは……」
「名乗りが遅くなったね。私はセイジュという者さ」
「セイジュさんは、どうして厚着をしてるんですか?」
気になっていたことを質問する。
セイジュさんは最北端の遺跡を訪れたときのノワールさんみたいな格好をしていたのだ。
寒がりにしても厚着すぎるし、セイジュさんは汗だくだ。
意味もなく厚着をするとは思えないし、もしかして暑さに耐えるのが狙いなのかな?
暑さを我慢することで精神力を鍛えることができるしな。
つまりセイジュさんはめちゃくちゃ強いってことだ。本戦中に修行するくらいだしな。普段はもっと過酷な修行をしているに違いないのである!
「私が厚着をしている理由は、じきにわかるさ」
厚着の答えは実際に戦ってみてのお楽しみってわけか!
「セイジュさんと戦えるのを楽しみにしています!」
「こちらこそ。きみの強さは重々承知しているが、私は負けないよ。アルザスが……息子がプレゼントしてくれた、このマフラーに誓ってね」
……なんだって?
「マフラー……ですか?」
「そうさ。手編みさ」
しかも手編み!?
「て、手編みのマフラーを……プレゼントされたんですか?」
精神力を鍛えたはずなのに、俺は動揺してしまう。まだまだ伸びしろがあるってことだけど、素直に喜ぶことはできない。
なにせセイジュさんにとってのマフラーは――
「ずっと仕事が忙しくて、アルザスに構ってやれなくてね。息子とどう接すればいいか、わからなくなってしまったのさ。だから、アルザスと話すきっかけになればと思って、大会への出場を決めたんだよ。そしたらマフラーをプレゼントしてくれてね。これは私のお守りなのさ」
やっぱりお守りか!
「そうだったんですか。いい息子さんですね」
ほっこりするエピソードだけど、これは困ったことになったな。
リンさんの首飾りよりは頑丈そうだけど、俺のカマイタチならギリギリ真っ二つにできそうだ。
そして俺は、全力で戦うと決めている。
全力のカマイタチがクリーンヒットすれば、手編みのマフラーは真っ二つになるだろう。
それは避けたいところだけど……俺だって早いところ魔法使いのデビュー戦に挑みたいしなぁ。
「ここまで来ることができたのは、お守りのおかげさ。本戦に出場できたことより、息子がマフラーをプレゼントしてくれたことのほうが何倍も嬉しいんだよ」
……ま、考えてみれば天秤にかけるまでもないことだよな。
セイジュさんにとってマフラーはこの世にふたつとない宝物だけど、俺は今日だけであと2回もデビュー戦のチャンスがあるわけだしさ。
「だからこそ、このマフラーは置いていくよ」
えっ!?
「置いていくんですか!?」
「きみとまともに戦えば、ぼろぼろになるのは目に見えているからね。……マフラーを置いていくことが、そんなに嬉しいのかい?」
気持ちが顔に出ていたようだ。
「実を言うと、嬉しいです。その……ぼろぼろにならないか心配でしたので」
俺が打ち明けると、セイジュさんがほほ笑んできた。
「フフ。真剣勝負なのにマフラーのことを気遣うなんて、きみはとても優しいんだね」
そう言うと、ふいに真剣な顔をする。
「いまの言葉で、きみの強さを再認識したよ。相手を気遣う余裕があるのは、強い証拠だからね。――だが、私は負けないよ!」
「はい! お互い全力で戦いましょう!」
強くて優しいセイジュさんはデビュー戦の相手に相応しい!
俺は身だしなみを整えつつ、闘技場に転送されるのを心待ちにするのであった。
◆
第3試合と第4試合の勝者が控え室に飛ばされてきたところで、俺とセイジュさんは闘技場に転送された。
俺たちの登場を、観客が拍手と声援で出迎えてくれる。
まさかこんな舞台でデビュー戦ができるなんて……実は武闘家の修行だったとモーリスじいちゃんに打ち明けられた瞬間の俺に教えてやっても、信じてくれないだろうな。
って、しみじみしてる場合じゃないな!
魔法使いとしてはずぶの素人なんだから、気を引き締めないと!
『さぁ! お待ちかねの第5試合! 戦うのはセイジュ選手とアッシュ選手です! 先ほどの試合、セイジュ選手は見事な作戦でマリネロ選手を圧倒しました! そのじわじわと追いこむ戦いぶりは、まさに狩人そのものでした!』
おおっ! セイジュさん、圧勝したのか!
ますます戦うのが楽しみになってきたぞ!
『対するアッシュ選手は、いまだかつてない手法でリン選手を圧倒しました! その戦いぶりはまさに武人ならぬ武神です!』
武人から武神に昇格したけど、俺がなりたいのは大魔法使いだ!
この試合で華々しくデビューを飾り、大魔法使いに一歩前進してやるぞ!
『狩人が勝つか、武神が勝つか――その結末は、みなさまの目でお確かめください! それでは注目の第5試合――試合開始!!』
嵐のような歓声がわき起こるなか、開始の合図が響き渡る。
「ゆくぞ、アッシュくん!」
セイジュさんがルーンを完成させた瞬間、ぴしぴしと音を立てて足もとが凍りついていき、あっという間に闘技場は氷の世界と化した。
『出ました! セイジュ選手の氷結世界! 我々は結界外にいるため無事ですが、結界内は極寒の地と化しています! この寒さにアッシュ選手は耐えきれるのか!?』
寒いどころか、いつもより暑いくらいだ!
俺は気温の変化に疎い体質だし――それになにより俺の心は燃えているからな!
「さあ、行くぜ相棒!」
ここが俺たちの晴れ舞台だ!
「フフフフフ。無駄さ!」
懐から魔法杖を取り出すと、セイジュさんが笑い声を上げた。
「この寒さじゃ手がかじかんで、まともにルーンを描けないからね! さらに!」
すぃー!
セイジュさんがアイススケートでもするように滑らかに動きだした。
あれは……スケート靴だ!
厚底だと思ってたけど、二段構造になっていたのか!
「フフフフフ。仮にルーンを完成させることができたとしても、きみの攻撃は私には当たらないよ!」
俺を翻弄するように氷上をすいすい滑るセイジュさん。
その滑らかな動きを前に、俺はルーンを描けずにいた。
手がかじかんでルーンを描けないのではない。
足もとがつるつるして狙いを定めることができないのだ!
魔力がたくさんあればカマイタチを連発するけど、俺は連発できないからな。
一撃で決めるためにも、しっかり狙いを定めなければならないのである!
「さあ、じわじわと体力を削ってあげるよ!」
俺のまわりをすいすい滑りつつ、セイジュさんがルーンを描く。
俺も早いところ狙いを定めてルーンを描かなければ!
「っと!」
つるっと滑りそうになり、俺はとっさに踏みとどまった。
ズン!!!!!!!!
大地が割れた。
「フフ――うわぁー」
すぃーっと滑っていたセイジュさんが割れ目に吸いこまれるように姿を消してしまう。
ちょっと待って!
行かないでセイジュさん!
『な、なんということでしょう!? 結界内に亀裂が生じ、セイジュ選手が落ちてしまいました! いったい誰がこの事態を予想していたでしょうか!? アッシュ選手、またしても我々を驚かせてくれました!!』
俺が一番驚いてるよ!
けど、びっくりしてる場合じゃないんだ!
「セイジュさん!! 無事ですか!? セイジュさん!!!!」
大声で呼びかけたところ、ぐおぉ、と断末魔のような叫びが聞こえた。
まさかいまの呼びかけでとどめを刺してしまった――なんてことはないよな!?
くそっ! 頼むから無事でいてくれよ!
俺は地割れのなかに飛びこんだ。
セイジュさんを見つけ、地上に引っ張り上げる。
セイジュさんは目をぐるぐる回していた。
『おぉーっとこれは! セイジュ選手、気を失っております! よってこの勝負、アッシュ選手の勝利です!!』
わぁーっと大歓声が上がるなか、俺は放心状態だった。
華々しくデビューを飾るつもりが、またしても武闘家の技で勝負を決めてしまったのだから。
「……でも、これで終わりってわけじゃないしな」
セイジュさんと戦えなかったのは残念だけど、今日だけであと2回もデビュー戦のチャンスがあるのだ!
次こそ華々しくデビューできるはずだ!
氷を溶かすほどの熱い声援が送られるなか、俺はそう自分に言い聞かせるのであった。