レッドドラゴンに食べられました
食事の片付けが終わったあと、俺たちはお腹を休ませることになった。
ミロさんの食事はフェルミナさんが泣いて喜びそうなボリュームの肉料理だったのだ。そのため修行前に休憩することになったのである。
まあ、俺はそんなに食べてないけどな。ちょっとお腹が空いてるくらいのほうが集中できるしさ。
とにかくそろそろ修行が始まるわけだけど、その前に確かめておきたいことがある。
「修行って、具体的にはなにをするんですか?」
修行をつけてもらえることになったけど、なにをするかは明かされていないのだ。
「アッシュには、なにもしないをしてもらう」
なにもしないをする? って、どういう意味だろ。
修行って、なにかをするから修行なんじゃないのか?
「魔力を高めるコツ。それは心を強くすること」
心を強くする、か。それってティコさんの修行に似てるな。やっぱり魔力を高めるには精神力を鍛えるしかないってわけか。
けど、ミロさんの修行って『なにもしないをする』だよな。精神力って、なにもせずに鍛えられるものなのか?
「この森には多くの魔物が棲息してる。地中からワームが飛び出してくることもある! 樹から魔物が落ちてくることもある! 樹そのものが魔物だったこともある! ――この森での生活、毎日が驚きの連続。びっくりして、心臓が止まりかけたこともある!」
なるほどな。
心臓に悪い環境で、心を強く保つこと。
それがミロさんの修行ってわけか。
「ミロの修行、それは瞑想! なにが起きても反応しない! 常に心を落ち着ける! そうすれば強い心が身につく!」
モーリスじいちゃんの修行では毎日身体を動かしてたし、ティコさんの修行は歩いてばかりだった。
いままでと同じことをしても精神力は鍛えられないし、鍛えられたとしても効果は薄い。
魔力を高めるには、新しいことにチャレンジしなければならないのだ。
そういう意味では、ミロさんの修行には期待が持てる。
ただ……
「だけどアッシュは強いわ。なにもせずに世界一硬い魔王を倒したことだってあるわ」
ミロさんの修行には期待してるけど、ノワールさんの言う通りなのだ。
修行として『なにもしない』をしたことはないけど、実戦のなかで『なにもしない』をしたことはあるのだ。
その結果として、俺は《光の帝王》とか《北の帝王》を倒してるわけだしな。
俺にとって、なにもしないはそれだけで武器になるのだ。
危険な環境とはいっても、魔王クラスの魔物はいないだろう。
つまりグラーフの森は、俺にとって危険地帯ではない――俺がびっくりするようなことは起きないというわけだ。
「安心するといい。いま説明した修行、ミロがしたもの。アッシュ、さらに過酷な修行に励む!」
おおっ!
「ほんとですか!? それ、どんな修行なんです!?」
ミロさんは俺専用の修行を用意してくれていた! きっと食事中、俺と話してるあいだに考えてくれたのだろう!
オリジナルの修行を考えてもらえるのは、本当にありがたいのだ。
「ミロ、あの手この手で修行の邪魔する。アッシュ、反応しちゃだめ! ただただ瞑想! ひたすら瞑想! なにがあっても瞑想! これ、1週間続ける」
ミロさんのあらゆる妨害工作に平常心で応えることで、俺の精神力は鍛えられるってわけか。
「わかりました! 俺、なにもしません!」
なにもしないをする。
いままでとは正反対の修行でどれだけ強くなれるのか、いまから楽しみになってきた!
「さっそく修行を始める! アッシュ、ミロについてくる!」
俺とノワールさんは、ミロさんを追って外に出る。
「アッシュ、そこに座る! 座った瞬間、修行開始!」
言われるがまま土の上に腰を下ろすと、ミロさんは懐から魔法杖を取り出した。
ルーンが完成した瞬間、ぼこぼこと土が盛り上がる。
瞬く間に形が整っていき、あっという間にレッドドラゴンのできあがりだ。鱗のツヤといい、色合いといい、どこからどう見てもレッドドラゴンだ。
プリミラさんたちが本物と見間違えるのもうなずける。
「こいつが妨害してくれるんですか?」
「もう修行は始まってる! アッシュは瞑想する! 1週間、なにがあっても瞑想する! ……わかった?」
「はい! わかりました!」
「反応しちゃだめ!」
「いまのも妨害だったんですね」
「返事しちゃだめ!」
「……」
「上手!」
俺を褒めたミロさんは、ノワールさんに耳打ちをする。
「ノワールの面倒、ミロが見る! ミロ、子ども大好き! 安心してミロに身を委ねるといい!」
「嫌だわ。私はアッシュのそばがいいわ」
「わがまま、だめ! ノワール、アッシュと離れ離れになる運命! なぜなら――アッシュには、遠いところに行ってもらうのだからなァ!」
「なにかがおかしいわ。だって、様子が変だもの」
「くくく! まんまと騙されおって! 吾輩はミロなどではない! 吾輩の正体は魔物の王! 多くの魔物を従えているのがなによりの証拠! 好物は子どもである!」
「きゃあ、怖いわ。アッシュ、アッシュ、まんまと騙されてしまったわ。逃げたほうがいいかもしれないわ」
「……」
「くくく! 驚きのあまり声も出ぬか! よかろう! ならば目の前でこの子どもを食べてくれるわ! そうすれば悲鳴くらいは聞けるであろう!」
「きゃあ、食べられてしまうわ。私は、食べられるより食べるほうが好きだわ」
「……」
「アッシュ、アッシュ、助けてほしいわ。私は、もっともっとアッシュと冒険したいもの」
「……」
「……いままで生きてきて、一番悲しいわ」
ノワールさんは涙声になる。
さすがにこれは無視できないな……。
「いま助けるよ」
腰を浮かしてそう言うと、ミロさんが拗ねたように頬を膨らませた。
「ミロ、優しい男好き! だけど、いまは瞑想しなきゃだめ! ミロの演技に騙されるの、よくない!」
もちろん騙されたわけじゃない。
いまのが演技――妨害行為だってことは最初からわかってた。
でも、ノワールさんが泣いてたしな。
最初は演技だったけど、途中から本気で悲しくなったのだろう。
ぱくっ。
「アッシュがレッドドラゴンに食べられてしまったわ」
ばさっばさっ。
「アッシュが飛んでいくわ」
いきなり目の前が真っ暗になり、羽音が聞こえたと思ったら、そういうことらしい。
アッシュには遠いところに行ってもらう、っていうのは演技じゃなかったのか。
どこに運ばれるのかはわからないけど、これも修行だ。
あらゆる状況を受け入れ、平常心を保ち続けることで、精神力は鍛えられるのである!
土の匂いが充満するレッドドラゴンの体内で目を閉ざし、俺は本格的に瞑想をするのであった。
◆
青空を見上げ、ノワールはぽかんと口を開けていた。
「アッシュがいなくなってしまったわ」
アッシュを飲みこんだ紅き巨体は、大空に吸いこまれるようにして消えてしまったのだ。
「安心するといい。アッシュは遙か上空にいるだけ! 消えたわけじゃない」
ミロが慰めるように頭を撫でてくるが、ノワールは納得できなかった。
「遠すぎるわ。私はアッシュのそばにいたいわ」
「ノワール、アッシュに懐きすぎ。良い子だから我慢する! 修行が終わったら、たくさん甘えるといい!」
ミロに説得され、ノワールは考える。
アッシュと離れるのは寂しい。
だけどアッシュの夢が叶うためなら、どんなことでも我慢してみせる。
アッシュの夢は、ノワールの夢でもあるのだから。
「……我慢するわ。だって、アッシュには大魔法使いになってほしいもの」
「ノワール、良い子! 安心するといい。アッシュは絶対に大魔法使いになれる! それはミロが保証……」
わしゃわしゃとノワールの髪を撫でていたミロは、ふいに表情を険しくさせる。
「……ミロの魔物、消えた?」
「レッドドラゴンが消えたのかしら?」
「違う。レッドドラゴンは無事。だけど森にいる魔物が消えた。――また消えた!」
遠く離れていても、自作の魔物が無事かどうかはわかるらしい。
ミロの魔力が保つ限りは消えたりしないと言っていたし、となると魔物が消滅した原因はひとつしか考えられない。
「本物の魔物に襲われたのかしら?」
ミロはかぶりを振った。
「ありえない! だってミロの魔物は強い! なのに次々と消されていく!? いったいなにが――」
じゅわっ!!
なにかが蒸発するような音が響き、ミロがうしろを振り向いた。
「何者だ!」
魔法杖を構えるミロに――
『我が名は《赤き帝王》! 数多の強者を赤く染め上げた世界最強の魔王である!!』
赤騎士は、甲冑をガチャガチャと揺らして嗤うのだった。