第九話 賽の河原
目覚めると腕の中に勇利がいた。
二人一つの布団にくるまっていた。
多分、自分用の上掛けを運んできたのだ。来客用の布団が有るよう家では無い。
小さく丸まりながら、すう、すうと軽い寝息を立てている勇利。こうして見ていると17と言う歳よりも幼くさえ見える。俺が基と勇利が寝ている事に気づいている事を彼は知っている。それでも俺達の関係は変わらない。
ある意味で俺と勇利の関係は基との関わりよりも深い、そんな錯覚を覚えた。
そんな気持ちの中、彼の暖かい吐息が俺の鼻孔を満たす。それは人の吐く息とは思えないほど甘く、俺の中に疼くような刺激を運んで来た。
ここに長居をしてはいけない。ここは俺が来ても良い場所じゃない。
そう思いながら、俺は再び週末の午前8時30分、彼の前に立っていた。
彼はどうしてと聞かなかった。
訳なんか言えるはずが無かった。
勇利に会えなくて寂しかったと。
3か月の間が長過ぎて、再び会った君の顔を見ずにはいられなくなってしまったなんて、言えるはずが無い。
ましてやすべての理由は名目で、ただ君のそばにいたいが為、なんて。
俺は彼女持ちで週末の夜詰めを嫌う同僚と勤務シフトを代わってやっていた。親切心からだと自分にいい聞かせながら、本当は彼に会う正当な理由を探している心をごまかした。
“自宅に帰るついでに寄っているだけだ。たまたま時間が合うのだから。弟の親友を心配して当たり前だろう?”
二人を家まで送ると勇利は律儀に朝飯に誘ってくれた。といってもたいしたものじゃない。冷凍ご飯を温めたものに海苔の佃煮。そしてどんぶり一杯の煮物。
なかなか効かない暖房に二人とも震えていた気がする。
ストーブに近づこうと列んで座った。
彼の体温がほんのりと伝わってくる事が何よりも暖かい。
どうしてこんな事を幸せだと感じるのだろう。
俺の心の中に一枚の毛布が浮かんだ。二人でそれを分け合いながら包まったらどんなに素敵だろうと想う。彼を膝に乗せあやすように抱き締めながら、毛布の端をしっかりと抱き合わせ彼を閉じ込める。
その気持ちを俺は必死で打ち消した。
「勇利は食事をずっと自分で作っているんだよね。いつからだい?」
俺はトウバンジャンの入った味噌仕立ての煮物を口に含んだ。筍がしゃりんと音を立てる。
「まあ、小学校5年生ぐらいの時からかな。」
彼は声を少し潜めた。
「仕事で疲れている絵里子さんに食事の準備させるのはさすがに可哀想じゃん。それに誰かさんみたいにコンビニ通いしてたらお金が続かないし、美味くないし、第一体に悪いよ。」
「そうか。」
「そうだよ。兄貴ももう歳なんだから気ぃ使った方がいいぞぉ。」
彼は俺の脇腹をつついた。
「じゃあ基みたいに誰かさんに作ってもらおう。」
そう言いかけて口をつぐむ。
シャレにならなかった。
何より勇利の反応が怖かった。いいよと言われても困る。
ここに食いに来ればいいと言われても困る。
ましてや勇利が言葉に詰まる事が有ったら俺は二度と彼に会えなくなる。
冗談だと笑い飛ばす余裕は今の俺には無かった。
俺は何も言わずにその甘くて辛い食べ物を最後まで食べ尽くした。
彼はごくごく自然に俺の肩に手を乗せ、
「凝ってるなあ。」
と嬉しそうに笑う気配を感じさせた。俺は何気なく畳の上に転がった。
「ねぇ、兄貴。基、元気?」
不意に心配そうな声音で言われ、俺は悲しい現実を突きつけられる。
「ああ、元気だ。あいつなりに頑張っているよ。」
そしてぐいっと強く押したタイミングで、俺がここに来ている事を基は知っているのか、そう尋ねてきた。
どう考えたって俺のとっている行動はやり過ぎで、勇利目当てだった。
だから彼が弟にここに来ている事を言って欲しくないと言ったとき、俺はぎくりとした。言わないんじゃなくて言えないのだから。
彼は基の心配をした。距離を置いているとはいえ恋人同士だ。当然と言えば当然だった。
もし俺と基の立場が反対だったとしたらどうだろう。
自分は仕事で忙しく大切な恋人に会えずにいるのに、例え兄弟でも、その人の自宅に出入りしているなんて事があったら憤慨するだろう。
いくらプラトニックと言われてもそれすらも妬ましいに違いない。
二人で基には言わない約束をした。
「やましい事なんて、無いんだけどね。」
勇利は当たり前のように言い放った。
やましいなんてもんじゃない。俺は
“基には内緒”
って言う小石を積み上げている。
一つ一つと二人だけの秘密が増えている。
多分俺はこれからもその小石を積み上げ続ける。
いつか高くなり崩れる事を知っていてもなお積み上げるようになる。必ず崩れる石を積む。
その時に俺は彼が怪我をしないように守ってやれるのだろうか。もしかしたら二人一緒に埋もれてしまう事をどこかで期待しているのかもしれない。
彼を巻き添えになんかしちゃいけない。これは俺だけの行き過ぎた感情だから。それは解っている。解っている。解っているからこそ・・・・頭じゃどうにもならないんだ。
静かに俺を揺らす勇利の手が離れ、彼は立ち上がった。
多分この前みたいに布団を持ってくる気だ。
俺も慌てて立ち上がる。案の定彼は一枚の布団を手にしていた。大きなあくびをしながら寝ていけばいいのにと言う。
この子はふざけているのだろうか。
無垢と言う一言で現すには馬鹿げている気がする。
そのとき思い当たった。勇利も基に会えずに寂しいのだと。彼は今誰でもいいから人肌が恋しいく、俺は身代わりにすぎないのだ。
「いや、止めておくよ。君の“だんはん”は嫉妬深いからな。」
大人ぶって釘を刺すように言って家を出た。本当は自分に言い聞かせた言葉のはずが、背中で勇利が凍り付いたのを感じ、ちぎれそうになるほど後悔した。
Pain つづく