第七話 特別な存在
大晦日でも仕事には関係ない、そんな職業もそれなりに多い。警察に消防にファミレス。病院、コンビニそしてマスコミ関係。
俺に割り振られたのは “待機” ついでに “資料整理” いわゆるひっきりなしにかかって来る訳の分からん電話を受けとり、根拠の無いパニック情報とそうでは無い情報を選り分け責任者に伝えながらも掃除をする、という裏方の王道だ。
結婚もしていなければ子供もいない。ついでに彼女もいないヤツに当然白羽の矢が立つ。つまり俺。
結局 “クレーマー・クレーマー” なる社外秘の対応マニュアルを見ながら、いかにも真摯な声で相づちを打ちまくって年を越した。
明けの朝の7時過ぎに俺はやっとの事で解放された。勿論一睡もしていないし、食ったのは同僚が示し合わせた様に買って来てくれた年越しそば3個。残りの2個はお互い疲れた顔の守衛に食ってもらった。
この日は車で、ガラガラに空いた首都高速を飛ばせばあっという間に家に帰り着く。
そのはずが進路を変えていた。
急に、たまらなくあの声が聞きたくなった。
きっと彼はそこにいると確信があったから。
案の定店のドアは大きく開かれていた。
ここまで来たにもかかわらず、俺はなんと言って彼に会えば良いのか分からなかった。彼の立場からすれば俺は彼氏の兄貴で、しかも男同士で交わっている現場も知られている厄介な存在のはずだ。
むしろ会いたくないに決まっている。
俺と顔を合わせることは、彼には苦痛かもしれない・・・・。
自分の中にあるはやる感情を抑え声をかける事をためらっていると、不意に勇利が出てきて朝日に眉をひそめた。
「兄貴?」
いぶかしそうに俺を見つめていた。
「ああ、そう。」
逃げ場の無い俺は肩をすくめた。
「あけましておめでとう。今仕事が上がったところなんだ。たまたま帰る途中にこの近くを通ったから寄ってみたけど、邪魔だったかな?」
言い訳する俺に勇利は少し大きめな口元をにっこりと引き上げ笑った。彼の素の笑顔。
勇利はこの三ヶ月の間、ほとんど何も変わっていなかった。
「邪魔だなんて、そんな事無いよ。」
その顔は本当に偽りが無く、俺の心を溶かしてくれる。
「そんなとこ突っ立ったら寒いだろ?まだ綺麗になってないけど、入ってけば。」
さっきまでの迷いに満ちた気持ちは跡形も無く消え、彼の後に従う。
店内は昨夜の名残のクラッカーやらなにやらのゴミが積み重ねられ、こういう場所にありがちな独特の匂いは酷さを増している様だった。
そしてあのソファには相変わらず彼の母親が横たわっていた。
その寝ている姿は、この薄汚れた現実から一人だけ逃避しているかの様に見え、俺を悲しい気分にさせた。この場の “中心” は本当は勇利じゃなく、母親のあんたのはずなのに、と。
「よかったら後で家まで送ろう。」
何気なく言葉が口から出ていた。振り向いた勇利は一瞬ぽかんとしてからはにかむ様な笑いを浮かべた。
「ほら、こんな日はタクシーも休みだから。」
ごまかすように付け加えた。
「ありがとう。俺、凄く嬉しい。」
その一言に胸が熱くなった。
ああ、俺は心底勇利に会いたかったんだ。
彼は元気にしているか。困った事は無いか。あの前向きな心を失ってはいないか。取り繕った笑顔で自分を騙していないか。何よりも生きていく事の辛さに押し潰されていないかと。
彼は座っている俺に番茶を持ってきた。
「大みそかなんてみんな狂ったみたいに飲むだろう。そんなときはこれが一番いいって、隣のマスターが教えてくれたんだ。」
彼は相変わらず仕事明けで声を掛けてくる人たちに、番茶を用意していたと言う。
「新年だしね、ほんの少しでもいい事があると、幸せがくる様な気分になるだろ?」
無邪気に話すその姿を見て、基が彼を愛している事を思い起こさせた。
勇利に心奪われない人間なんていない。
俺はきっと特別じゃない。でも俺は、俺だけが彼の美しさ弱さすべてを知っている特別な存在になりたいと思っている。
俺はそんな自分が情けなかった。
再び仕事を始めた勇利に声をかけた。
「勇利の “勇” は “勇ましい” だよな。」
「そうだよ。」
「 “優しい” の ”優” の方が似合うぞ。」
そう言いながら、優しすぎる事は罪だと、そう教えてやりたかった。
Pain つづく
いつも読んでくださっている皆様、ありがとうございます。
こんな地味な話しなのに、見に来てくださる人がいるって言うのは本当に嬉しいです!これからもよろしくです。