第六話 嫌がらせ
それ以来勇利の気配はぱたりと止んだ。多分来なくなって3ヶ月になるんじゃないだろうか。もちろん俺がいない日中に来ている訳で会いはしないから絶対にと断言はできないのだが、なぜか俺には分った。
勇利が家に来ると家の中の空気が変わる。だから彼は来ていない。
二人は本当に自制しているらしい。
クリスマスだというのに基は予定が無いようだった。
「青春真っ盛りのくせにイブを独りで過ごすのか?たまには受験を忘れて友達と遊びにいけばいいのに。息抜きは必要だぞ。」
24日の社内パーティーをさっさと切り上げ帰ってきた俺は、リビングでテレビを見ている基に声を掛けた。
「ああ。」
ポテトチップスをほおばりながらお笑い番組に夢中になっている姿に、まだまだ子供だと思う。この3ヶ月基は狂った様に勉強に打ち込んでいた。その息抜きが自宅でごろごろだなんて。
「そう言う兄貴はどうなんだよ。もう24だろ。なんで自分ちに帰ってくんだよ。今日のパーティーなんか、“会社に忠誠心を誓う会”なんだろ。それをさぼるってったら、普通彼女んちかどっかのホテルだろ?」
「馬鹿か。」
俺は冷やしておいたシャンペンを取り出した。
「僕は会社に忠誠なんか誓う気は無い。誓いたいヤツだけ誓えばいい。僕が忠誠を誓うのは自分自身にだけだ。それに就業時間外のパーティーなんて出る義務なんて無いだろう。今更社内で顔つなぎなんかする意味は無いね。大事なコネは自分で作るもんだ。出世したいヤツがせいぜい上司に媚びを売ってくればいい。それに彼女作る暇なんかあるものか。こんなに仕事が忙しくって。」
ぽん、いい音がする。第一、前回だってそれで別れたんだ。
「出会い、多そうじゃん、兄貴の仕事ってさ。」
「そりゃそうだけど、だからといって誰でもいいってもんじゃないだろう。」
俺は余裕を取り繕い、弟にグラスを渡した。
「メリークリスマス。」
暖房の強い部屋にいたせいで喉が渇いていた。一息で飲み干す俺に基は目を丸くした。
「本当、よく飲むよな、兄貴って。パーティーでも飲んできたんじゃないの?」
「ああ、でもそれは仕事。飲んだ気にならん。」
こんなのは水だ。俺は二杯目を注いだ。
「パーティーのおかげで今日は残業なしになったんだ。たまには自宅で骨休めしないとな。」
俺はネクタイを緩めた。
「ところで今日配られた映画のチケットがあるから持っとけよ。気分転換に誰か誘えばいい。たまにはフリーの女の子と遊んできたらどうだ。」
ジャケットから出したチケットを基に差し出した。
「女ってめんどうくせぇしなあ。」
「じゃあ、勇利君を誘えばいいじゃないか。」
振り向き肩を揺らした基の動きがぴたりと止まった。
「あいつ、ここしばらく忙しいからさ、遊んでくれないんだよ。」
そしてその背中で受け取りを拒んだ。
「不安そうだなあ。お前達でも“離婚の危機”が有るのか。」
何気なさを装い、爆弾を投げた。
「糞っ。」
その声は聞こえないほど微かに放たれた。
「距離を置いているだけだ。お互い受験だからな。」
基はうつむいた。
俺は何をしているんだろう。
「まあ、落ち込むな。受験が終わればまた遊べる。だろ?」
「ああ、そうだな。別に“調停中”じゃないんだし。」
そう言うと、基は微かにえくぼを浮かべ笑った振りをした。
「誰か暇なヤツ見つけて気分転換して来るわ。ありがと、兄貴。」
チケットを受け取り再び視線をテレビに向けたその横顔は、もう既に笑っていなかった。
弟の手の中で薄い紙切れが小さな音を立てて握りしめられていた。
Pain つづく
私事ですが、ボクシング大好きです。
昨夜の新井田選手の快勝、おめでとうございます!
彼女の名前の由来でもある “勇利アルバチャコフ” 選手の名前も、過去の防衛記録として新聞に載っていてにやり、でした。