第五話 現実
それは日差しの強い夕方だった。インターハイも終わり夏に別れを告げる季節なのに今年も残暑が厳しい、そう思った。
玄関を開けてすぐ勇利が来ている事が分った。彼が来るのは久しぶりだった。何しろトレーナーとしての彼の仕事は大会終了と同時にすべて終わったはずなのだから。
家全体に広がる脂の焼ける旨そうな匂い。
「参ったな。」
俺は首を振った。この香りでいつもの“自宅”が“我が家”に変わる気がした。
彼が来ている事で感じていたはずの苛立ちの記憶も色あせ、俺は勇利が来てくれている事を純粋に喜んでいた。
「勇利君、いるんだろう。」
彼のスニーカーを目で認めながら何とは無しに声を掛けていて、俺は思わず苦笑いをしていた。実の弟を無視してそのくせその友達に
“ただいま”
だなんて、変だ。
今日は打ち合わせが流れ早く帰って来たのだ。せっかくインターハイも終わった事だし、たまには基と飲むかとビールを買ってきていた。久しぶりに色々な話しもしたかった。もし勇利が一緒に飲むというのならたまにはいいだろう。
大会が終わって一ヶ月も経つというのに、基は大会の結果に未だ落ち込んでいてろくに話しを聞けずにいた。しかしそろそろ諦めをつけていい頃だ。目の前にある自分の将来は待ってはくれない。
そんな事を考えていた。勇利と一緒ならあいつも話しやすいだろうからと。
「ただいま戻ったぞ。」
だが返事は無い。
不信に思って耳をそばだてると、微かに人と人の揉み合う音。泥棒か?
俺はゆっくりと階段を登った。不意に人の気配が強くなる。
「早く・・・・」
押し殺したような基の声。勇利の小さな悲鳴。
基の部屋のドアは開け放たれ、狭い室内の熱気が廊下に流れていた。やがて何かが軋む音がした。覚えの有る音。それは家具が壁にぶつかるリズミカルな音だった。
俺は愕然とした。
心の底に暗い洞穴が開いた。
とりあえずリビングに行きテレビをつけた。
そうだ、肉を焼いているようだから枝豆を茹でておこう。買ってきたお惣菜とビールも冷やして、それから・・・・ソファアで休みながら二人を待とう。もうすぐ二人は、何事も無かったように降りて来るはずだ。いつもと変わらず、ふざけながら。それからテーブルの上を片付けて料理を出そう。
“お前達相変わらず仲いいなぁ。”
なんて言いながら。
バスタオルについたアンテウス。
意外な事に俺は寝ていた。起きたらもう8時を回っていて、基は一人で静かに飯を食べていた。
「あれ、勇利君は?」
変な姿勢で寝ていた為か少し背中が痛かった。
「帰ったよ。さすがにあれは嫌だったらしい。」
そう言って弟はうつむいた。運動に打ち込む少年らしく彼の体は発達している。テーブルについた上腕三等筋が目に見えて緊張した。
どうやら基は俺に勇利とセックスしている事がばれると知っていて、それでも同衾したらしかった。その根性に俺はうろたえた。
「念のために言っとくけど、あいつ、俺が初めての男じゃないし、俺達今日が初めてじゃないから、必要以上に心配すんなよ。」
そう言いながら肉のかたまりを口に運び込もうとし、その箸を休めた。
「でもしばらく距離を置く事にした。春が来て、俺達が卒業するまで。」
基はふと真顔になった。
「兄貴には笑われるかもしれないけど、俺、本気で勇利の事愛してる。あいつと人生やっていきたいって思うほど、あいつが好きだ。」
弟が男を好きだと告白する姿を唖然と見ていた。そのくせ勇利ならば仕方が無いんだろうと納得する俺もれば、そんな事は許さないと叫びたい俺も、ごまかしようがなくここにいた。
「お前の生きる道はお前が決めればいい。僕は何も言わない。ただ二人ともお互いの体を大事にしろ。男同士でも必ずコンドームはつけるんだな。それさえ守れれば僕は何も言わない。」
本当は、その時頭に有ったのは、ただ勇利だけ。こんな蚊帳の外で俺は、そう言う以外彼を守ってやれる言葉が無かったから。
彼は自分の意志で弟を選んでしまっていたのだから。
一瞬基は呆れた様な顔で俺を見返した。
このどうしようもない腹立ちをぶつける場が俺には無かった。
その夜は結局自分の部屋で飲んだ。理由は最近取材している残忍な犯罪に対する怒りや、犯罪被害者を取り巻く環境の劣悪さとかいろいろ有った。ああ、有りすぎる。
俺は初めて自分が壊れそうになった。
誰かが言っていた。ホモセクシャルの恋人達は、ヘテロよりも思いやり深く優しいと。
Pain つづく
何度も書きます。BLには非ず。彼、勘違いしてますから。
ところで皆様、ご評価を・・・・。
自分でサイト立ち上げているのではないので、読んでくださっている方とのつながりが薄く、寂しいっす。
廣瀬はストーリーよりも、キャラクターの感情の動きを重視しています。ここ、突っ込み甘いんじゃないの、とか、分らん!とかぜひご意見ください。