表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Pain  作者: 廣瀬 るな
24/28

第二十四話 男の気持ち

 もう二度と戻らないと決めた街なのに、仕事がらみで寄る事になったのは皮肉としか言いようが無い。

 順調に写真家として独立した笹川さんは新しい事務所を開発の進んだあの街に移し、最近では見合いの斡旋を趣味にしていると言う。

「本業の稼ぎがいいから楽してるわ。」

あははと笑う姿は俺を明るい気持ちにさせてくれた。でも彼女の魅力はその明るさやパワーや審美眼だけじゃない。彼女の撮る写真にはいつでも一歩踏み込んだ何かが隠されている。それはまるでパンドラの箱を開ける様な、不安と期待を持たせる、そんな代物だった。

 そして久々に行った俺が独身で有る事を開口一番で確認すると、結婚相手の世話をさせろと言いだした。

「シンガポール赴任が決まったんでしょ?そしたら伴侶が必要よね。」

「いい人がいましたらその時に。」

すると彼女はお得意の写真を山のように取り出した。それは一般的な綺麗なだけの見合い写真ではなく、まさに撮られる側の内側を写している、ある意味はた迷惑な写真家だった。その上、

「条件を言って見なさいよ。今日肇ちゃんが来るって言うから、お似合いそうな子、セレクトしといたのよ。」

と、最初から見合いさせる腹づもりだったのが丸見えだった。

「別に条件だなんて。性格が合えばそれでいいんですから。でもなかなかそう言う人はいないんですよ。僕が難しい性格だからでしょうね。」

笑う俺に、彼女は嘘をつけ、という表情を浮かべた。俺は頭が痛くなりそうだった。この人は一度言い出したら絶対引かない人だ。だから

「お恥ずかしい話なんですが、昔の恋人を忘れられないんですよ。」

俺は本音を言っていた。

「今でも彼女の事を愛しているんです。」

この人に嘘はやめた方が良い。見抜かれるから。むしろ事実を言った方が良い。察してくれ、それ以上踏み込むことはしない。ましてや30にもなる男が何情けない事を、なんて無神経な事を言う人じゃない。すると彼女はさも思いついたと言う様にポンと手を打ち鳴らした。

「そういえば、、」

と。

「とっておきの写真があるの。」

案の定話の先を替え、棚の奥から少し色の抜けたA3の茶封筒を取りだすと、それを手渡された。そこには6年前の日付で

“山口勇利ちゃん”

の文字。

「懐かしいでしょう。弟君のお友達、覚えている?」

笹川さんはうっとりとした表情で中を見る様に即した。

「あれからたまたま会う事が会ってね、頼み込んで撮らせてもらったの。凄いんだから。ほら、見てみて。でもなかなか本人には渡せなくなっちゃって。こんなに綺麗な子なにのかわいそうに・・・・。肇ちゃんは知らないかもしれないけど、彼女・・・・」

言いかけて電話が鳴った。彼女が背を向け隣りの部屋に移った瞬間、俺は封筒を逆さまにしていた。

 ザッと音がして写真が飛び出す。

 その中の半分の勇利は男物の学生服を着て雑踏の街に立っていた。ワックスで仕立てられた髪。遠くを見上げる瞳。うっすらと開いた口元。あまりにも出来過ぎていて、それは人としての性を持っていなかった。

 残りを手に取ると、そこにはまぎれも無い勇利がいた。写真の中の彼女は光り輝いていて、弾ける汗さえも感じてしまいそうだった。

 マネージャーのくせに、選手と一緒にアップをする勇利。

 基とじゃれ合いながら、ストレッチをする勇利。

 試合前に基と話し込む勇利。

 リングサイドで激をとばす勇利。

 試合会場でがっくりと肩を落とす基を支え、天に向かって拳を突き上げる勇利。かかってこい、とでも言わんばかりのファイティングポーズ。大衆に対する、まるで母ライオンの様なむき出しの闘志。

 それから一変した穏やかな顔。明らかに高校生と分る男子集団が寝ているローカル線の中で、一人微笑む彼女。その肩に基の頭を受けながら、聖母の様な表情を浮かべていた。

 その写真の頬に触れた。あの時好きだと動いた唇。交わした口づけ。何もかも愛おしかった。あれは幻だったんだろうか。知り合って2年にも満たない。その内のあれはほんの一瞬の事だった。俺達は求め合い、愛し合った。瞼を閉じると今でもあの瞬間がよみがえる。たった数時間ばかりの短い間に凝縮された永遠のひとときを。

 あの時かけていた曲を、あれから俺は聴く事ができないでいる。胸締め付けられる思い出に翻弄され、あの後に起こった悪夢のような出来事がよみがえる。


 もしも、そう考える。もしも彼女が妊娠していたら、今頃俺達の子供は5歳の誕生日を迎えていたのだ。もしかしたら二人目の子もできて、最初に口にした言葉は“ぱぱ”だった、いや“まま”だったと喧嘩をしていたかもしれない。

 もしも、もしも。その夢の様なひとときを俺はさまよった。


 基とはあれ以来縁が切れた状態が続いていた。無事大学を卒業し弁理士という理系の弁護士と呼ばれる試験を通ったと、あの親が興奮しながら電話で教えてくれた。その為に彼は血のにじむような努力をしたに違いない。そして俺はその事を一緒に喜んでさえやれない。その現実が寂しく、悔しかった。

 もしも俺と勇利が一緒になっていたら、弟は俺たちを許してくれただろうか。

 それとも今の俺を見て、彼女を母親から引きはがせなかった根性無しだと責めるだろうか。

 なによりも、今の勇利は幸せにしているのだろうか。

 街ですれ違うアンテウスの香りに、彼女であるはずが無いからと必死に振り向かないように堪える馬鹿な男。それが俺。

 未だに契約を切る事が出来ずにいるあの頃の携帯は不必要にでかく、それでいて充電をきらす事等なくいつでもポケットに仕舞ってあった。もしかして行き詰まってしまった彼女が最後の助けにといつか電話をかけて来てくれるのではないかという期待をいつも胸に秘めながら。

 そして独りの夜にどうしてもいたたまれなくなり、興信所に今の君を捜して欲しいと駆け込みたくなる気持ちを押さえている男がいる事を、君に知って欲しいと願う情けない俺がいる。


「ナイスショットゲット。」

突然フラッシュがたかれ、俺は写真を撮られていた。笹川さんの癖だ。思いつくとすぐに写真を撮りたがる。

「その中にね、インターハイのときの写真なんだけど、肇ちゃんの弟の写真も入っているはずだから持っていって。あげるから。ついでに勇利ちゃんに会う事が有ったら見せてあげてね。」

彼女は子供のような笑顔を浮かべた。

「仕方ないですね。」

勇利が以前住んでいたエリアは4年前の宅地造成のため一変しており、俺は彼女が今どこにいるのか知らないなどと話す気はなかった。

「それと一回でいいからお見合いに付き合ってよ。お願い。たった一回でいいから。」

それからポンポンと俺の肩を叩いた。

「私の顔をたてるとおもってさ。それで駄目だったら私も諦めるから。」

「ええ、その時には。それから小暮さんから預かって来たもの、そこ置いときましたから。」

来た事の用件さえそこそこに、俺は封筒をバッグにしまい込み立ち上がっていた。


 その夜は朝まで勇利の写真を眺めていた。眠れなかった。運さえよければ、今こうしている隣に彼女がいたはずだと朧げに思う。もし眠れなければ、彼女の華奢な体に腕をまわし引き寄せ、小さな背中を擦ればいいのだ。自分の代わりに彼女に安らかな眠りを与えてあげれればいい。

 俺の望みは近くて遠い街の下で眠っていた。

 もし取り戻せるなら、もしも。


    

             Left Alone       つづく


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
                ネット小説ランキングに投票   HONなび   NEWVEL    ← ランクングに参加しています。お気に召しましたら♪
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ