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Pain  作者: 廣瀬 るな
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第二十二話 子供の時代

 勇利の父親が死に生活はすぐに苦しくなった。そこで絵里子さんは水商売をするようになったそうだ。そして一周忌を過ぎた頃、客になった男と同棲を始めたと言う。

「丁度あなたみたいに真面目そうな人でね、自分で会社を起こして頑張っているって言ってたわ。それに遊里の事も邪見にしなかったし。」

独身のその男は、十分な収入と自宅を持っていた。それでも彼女の家に住み着き、親子で仲良く暮らし始めた、そのつもりだったと言う。

「でもね、ある日遊里が嬉しそうに言ったの。」


“お母さん、ほんとは内緒なんだけどね、秘密よ。おじさんが教えてくれたの。遊里の名前は特別なんですって。遊里の名前はね、男の人と仲良くなれるおまじないなんだって。”


その言葉の意味が分からなかった。多分俺は首を傾げていたんだと思う。

「ゆうりって漢字、どう書くか、あなた知らないのね。」

彼女はお得意の表情で顔を歪めた。

「本名はね、遊びの里って書くの。」

耳を疑った。確かに、女の子の名前が勇利だなんておかしいとは感じていた。しかし、ボクシングの選手だった父親が世界ランカーにあやかってつけたのだろうとばかり思っていたのだ。それなのに、よりによって、どこの親がそんな風俗を意味する名前を子供につけるというのだろう。

「でしょうね。」

ふふん、そう鼻先で笑い彼女は続けた。

「それでも、ソレがあの子の本名なの。遊里はその名前が大嫌いだから、隠したくって、私には内緒で学校の名前に別の漢字を当てて使っていたぐらいだから。でも、仕方ないわよね。」


“遊里の名前は、男の人を幸せにしてくれるって言う意味だから、遊里は男の人を幸せにしなきゃいけないんだって。その代わり、遊里がいい子にしていたら、おじさん、何でも買ってくれるんだってよ。ねえ、そうしたら遊里、お母さんに綺麗なお洋服買ってもらうんだ、でも、この話、おじさんには内緒よ。誰にも言っちゃいけないって、言われたんだもん。”


「最初は信じなかった。確かに彼は遊里を膝に乗せてよく遊んでくれた。でも、そんなの当たり前だと思ってた。父親がよくそうやって甘やかしていたから。でもね、それから一週間ぐらいしたある日、私が朝になって仕事から帰って来るとそいつはいなくなっていて、遊里は台所の隅っこで髪の毛をザンバラに切っていたの。」

彼女は遠くを見る目をしていた。

「あの頃の遊里は本当に可愛かったの。誰もがあの子に見とれてた。長い髪をふわふわたなびかせて歩く姿はまるで天使みたいだった。その髪をね、はさみで突然切ってしまったの。」

彼女はふいに片手で口元を覆うと、聞き取れないほど小さな声を漏らした。

「あの男には変な嗜好と言うか・・・・性癖があってね・・・・女の髪の毛が好きだったの。普通に撫でるってことじゃなくて・・・・それを口に含んで弄ぶのよ。ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃしゃぶりだすの。遊里は髪を切った理由を必死になってごまかしてた。なんでもないからって。ママには関係無いからって。長い髪が汚いから、切ったんだって。汚いからって。泣くじゃくってた。私はね、あの姿が忘れられないの。涙でね、ほっぺに細かい髪の毛が張り付いてて・・・・。あの子、私が止めようとしてもずっとハサミ、握りしめてた。その力が強くって、ああ、こんなに小さい子でもこんな力が出るんだって・・・・」


 その意味を理解するのに時間はかからなかった。

 

 全身がむせび泣く母親の姿が目の前にあった。

「何が有ったか、すぐに分かったわ。でも、私は弱くって、遊里を連れて警察に行く事も、病院に行く事もできなかった。何も見なかった事にしようとした。怖かったのよ。もしこのまま遊里がだまっていてくれたら、誰にもばれないって。解る?ただでさえ、母子家庭なのよ。その上、母親の同棲相手に娘がいたずらされた、なんて事になったら、なんて言われると思う?」


 子供カラ誘ッタ。アノ親ニシテ、コノ子アリ。ヤッパリダ。イヤ、モシカシタラ母親ガ売ッタノカモシレナイ。


 血の気が引くのを感じながら、頭のどこかはひどく冷静だった。何よりも彼女が真実を語っているとひしひしと感じたからだ。

 彼女は俺にすがっていた。


「あの時から遊里は私の子じゃなくなってしまったの。日増しに男みたいになって、身を切るように女を捨てていった。あの子をボクシングに走らせたのは、ボクシングが好きだったからだけじゃない。他に行き場が無かったからなの。あの子は母親に見捨てられたって、知ってたの。後悔したわ。それからいくら手元に呼び戻したいと思っても、空回りして、取り返しがつかなくて、もう駄目だった。いつだって他人を見るような優しさを私に向けていたの。あなたになら分かるでしょう?でもね、今になって、こうして私の元に帰ってきてくれたの。解る?今の遊里は私を必要としているの。遊里は私を頼っているの。あなたの言った通りよ。あの子には普通の子供時代がなかったの。だから今私たちはそれを取り戻しているの。卑怯な言い方だけど、これは私たち親子の最後のチャンスなの。」


 俺はようやっと彼女から感じるこの感情を理解した。それは嫉妬だった。俺は勇利と絵里子さんの間を引き裂く邪魔者なのだ。でも、絵里子さんの言葉をどうして他人の俺が否定できただろう。

「今の遊里には私が必要で、私は遊里に必要とされていたい。わたしはもうあの仕事辞めたの。時間が大切だから。今回こそあの子と向き合ってみせる。私はこれからずっと本当の意味であの子の側にいる。もしあなたが心から遊里を愛しているって言うのなら。」

深い穴が俺を飲み込んだ。俺には選択肢が無かった。

「私たち親子をそっとしておいて。もし、遊里を思う気持ちがあるのならば、あの子の幸せを願うんなら、遊里から会いたいって言わない限り落ち着く時間をあげて欲しいの。こんな状況で母親がこんな事言うなんておかしいのかもしれない。けど、ただの恋愛感情だけじゃ、あの子は幸せになれないの。私たちの関係を修復できるのは今しかないの!!そうしないと、一生苦しむのはあの子なの!!遊里を愛しているって言うのなら、態度で見せて頂戴。」


「そうですね。」

誰かが呟いていた。

「僕はまだまだ未熟だから、彼女の力にはなれませんよね。ところで、彼女の病状は本当に大丈夫なんですか?」

それはまるで感情が事務手続きの薄い紙切れになった様な、そんな感じだった。

「大丈夫です。」

それを信じる事にした。

「三半規管とか言う耳の障害が生まれつき有るらしくって脳震盪を起こしやすい体質らしいんです。でも後遺症とかは無さそうです。顔の傷もそう深くはないって先生が。」

そして俺はたった一つの心残りを口にした。

「大丈夫。その心配は無いですから。遊里が自分で確認していました。」

彼女は強い目でそう断言した。


 俺は自分が大人だと言い聞かせた。大人なのだから、大人としての選択を選ばなければいけないと。


「僕が望むのは、彼女の幸せだけですから。」


 彼女が求めない限り、俺は子供に還って保護を受けている勇利のテリトリーに入る事は許されない。今はただ、彼女が本来子供の頃に受けるべきだった親の愛情をたっぷりと享受し人生を取り戻す日を待つ以外になかった。


 彼女が連絡をくれるその日まで。


               Pain       つづく




更新遅くなってご免なさい。

必ず書き上げますから。

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