第十七話 腕の中の幸せ
服を整えながら時々見つめ合い、笑った。
後は胸もとのボタン二つを掛けるだけとなった彼女をソファに呼んでキスをする。自然に腕が絡まり、彼女を抱きしめていた。
愛し合ったばかりだというのに、俺の中には微かな不安が残っていた。ここまで来て、最後に基を選ぶと言われたらどうすれば良い?彼女が弟の気持ちを知らないはずが無いのだから。
「僕たちは恋人同士なのかな。」
俺は探る様な質問をした。俺だけを選んで欲しい。そう思う気持ちを浅ましいと思いながら、どうしても確実な言葉が欲しかった。俺だけを愛していているんだという確信が。
彼女は少し間を置いてから答えた。
「俺の事、彼女にしてくれる?」
勇利には俺の気持ちが解っていないらしい。
絡み付くようなキスを何度も繰り出し、必死に彼女を説得した。彼女が夢中になって唇を返す。その感触を確かめた後、本音を告げた。
「僕は君の“ たった一人 ”になりたい。」
欲情を醸していた瞳が現実に戻り、彼女はうつむいて俺の腕の中に体を寄せた。
「基とは別れる。今日はそのつもりで来た。」
そう告白する彼女の頭の上に顎を置いた。
「大切な友人だとは思う。でも、違うんだ。あれは愛じゃない。俺達は繋がっているけど、それは男と女の愛じゃない。」
彼女のため息を感じた。
「兄貴の事好きになって初めて解った。人を好きになるって、こういう事なんだって。」
言葉以上に伝わる想いが俺を支配した。
勇利の為ならば、どんな事だってできる。
しばらくすると腕の中でひっそりと泣く気配を感じた。俺のかけがえの無い人が涙している。その気持ちが手に取るようにわかった。彼女は基に引導を渡すのが辛いのだ。基の思い詰めた気持ちを、勇利の行動の一つ一つに一喜一憂し、戸惑う男を俺達は知っている。
そう。誰よりも、俺が知っていた。
それでも俺の気持ちは揺るがなかった。譲るとか譲らないとかじゃない。どちらがより愛しているかでもない。彼女に苦しんで欲しくない。俺は卑怯だけれど、勇利の為ならば鬼にでも悪魔にでもなれる。だから今は勇利の心を支えてあげたい。
「自分で言えるかい?」
彼女が自分自身で基に話しをつけたいと思っている事ぐらい簡単に分る。勇利の両の頬を手で包み込んだ。俺は彼女に勇気をあげたい。
「大丈夫。」
そう言って嬉しそうな泣き笑いを浮かべた。
「今の俺は誰よりも強いから。」
あと数時間で基が帰って来る。彼女は淡々と続けた。
「俺が基と別れを決めたのは、基を愛していないからだ。兄貴とこういう関係になったからじゃない。基と俺の関係は、もう既に結果の出ている事だった。」
それは勇利なりに俺の事を牽制する言葉だった。基との別れに俺は関係ないという事を。俺とできてしまったから基と別れるのではなく、基との間に愛が無くなったから別れるのだと言う。
原因を他人になすり付ける事は簡単だ。
それを選ばない今の勇利をどれほど美しいと思っているか、彼女に伝えたい。そのくせ言葉じゃ伝えきれないと気持ちは疼く。
「少し・・・・時間がかかるかもしれない。基には納得して別れて欲しいと思っている。自分でまいた種は自分で拾うから。けじめだけはつけないと。・・・・だから決着がつくまで、会えないかもしれない・・・・」
俺は待つ。それが精一杯の誠意だった。いつまででも待つ。勇利が納得できるまで、僕は一生でも君を待つ。その価値が勇利にはある。
俺は彼女を独り基の所に送る事になる。多分すっきりと別れられはしないだろう。基が彼女をなじる言葉が聞こえるようだ。
俺が出て行けば簡単だ。俺が主導権を握ればいいのだから。俺は年上で経験も有り、社会的に自立し経済力もある。何より基の大学は勇利の家から3時間以上の距離にあった。
「勇利に寂しい想いをさせる気か?」
多分その一言でケリがつく。基は自分の将来と勇利を天秤にかけ大学を選択した事を後悔しなければいけなくなる。勇利は馬鹿な女のようにその事実を責めれば済むのだ。男の基には反論できないだろう。その事を彼女は知っていて、あえて言わない道を取りたいのだ。
「心の底から君が好きだ。」
俺は勇気を必要としている彼女に力をあげたかった。
「君を誇りに思う。」
その体を抱き寄せ、もう一度唇を重ねる。
「君の生きる道が好きだ。君の為なら僕はいつまででも待つ。一生でもかまわない。勇利が勇利でいる事が出来る為なら、時間は問題じゃない。僕が生きるって事は、君が君である事なんだ。」
勇利は俺の頭に手を回しソファの上に膝立ちになった。仰向いた俺の顔に彼女の口づけが降る。やがてその掌が俺の頬を包み
「肇は神様が俺にくれた一番の贈り物だ。俺、肇に認めてもらって初めて自分の事が好きになれた。肇の全てになりたい。」
そう囁いた。
「ねぇ、お願いだからこんな俺の事見捨てないでね。俺が愛しているって言った事、信じてね。」
「馬鹿だなぁ。」
有り得なかった。
「僕は一生君のそばにいたいのに。」
それから顎を引き上げ、彼女のキスをせがんだ。
Pain つづく