第十六話 答え
R 15
うっとりと蕩けて朦朧とした瞳。その焦点が緩やかに合うのを見つめていた。光を集めたような光彩がきらきらと揺らめき、俺の視線に気がつくと、恥ずかしそうに体を揺する。
「動かないで。」
そう言いながら、いまだつながっている彼女の感触を味わった。
勇利が頬を染める。さっきまでは俺にしがみついていたはずの両手は、躊躇いがちに腰の辺りをさまよい、そっとその上に乗せられた。
人は貪欲だ。
つい今朝までの俺は、好きだとさえ言い出せず、檻の中の熊よろしく逃げ道を探していただけだって言うのに。
今の俺は支配欲の固まりのようだった。
白い肌には夢中になった俺が落とした花びらの様な痣が広がり、まるで10代の様な情熱を見せていた。
上目遣いで見上げている彼女の額に張り付いた髪の毛をそっと整えると、長い睫毛がゆっくりとしばたき、小さな笑顔が浮かんだ。例えようも無く、綺麗だった。
「ねぇ、勇利。」
一目惚れなんか信じる男じゃなかったはずなのに。
「できていたら、産んでくれるんだよね?」
今の俺は彼女無しでは生きてさえいけないと思っている。
彼女を俺の膝の上に乗せた。本当に軽い。華奢という訳じゃない。少女にしては肉付きが悪いと言った感だろう。それでも運動と減量をしているせいか、まるでしなやかな柳の枝のようだった。
それは風に揺れて、天上から降る様な涼やかな葉音で俺を満たす。
勇利は俺の胸に耳を押しつけるようにもたれた。
「嘘みたいだ。」
「嘘だったら困る。」
困るなんてモノじゃない。不意に実感が欲しくなり、その背中を手の甲でさする。滑らかだった。
「俺の事、男だと信じていたくせに。」
全く。騙していたのは勇利の方じゃないか。
「僕がどんな想いで告白したか、解るかい?」
もう二度と顔も合わせてもらえないだろうとさえ思っていたのに。ひょいと見上げるいたずらっぽい白い歯が笑う。
「知らない。」
なんてヤツ。躯を引き寄せその唇を塞ぐ。俺はこの一時間の間に地獄から天国に押し上げられたって言うのに。
別にゲイが悪いと思わないけれど、今まで自分の嗜好はノーマルだと思っていた。だから勇利の事を考える度に覚える胸苦しさに戸惑った。情けない話しだが、念のためにとその手の写真集を手に取ってみた。会社の資料室に唸るほどあるあの写真集だ。有名フォトグラファーが撮った絵は確かに綺麗だったが、それ以上の事は無かった。結合に関しては、むしろ抵抗が有るぐらいだった。
“女房”
と呼ばれるぐらいだから、彼が下なんだろうと漠然と考えながら、自分と勇利をその写真に重ねてみても違和感が有った。そのくせ勇利を抱きたいと思うから不思議だった。
俺は彼女の躯から立ち昇る甘い香りを胸一杯に吸い込んだ。
「紛らわしい香りなんかつけて。」
耳たぶを噛んでやった。きゃっと可愛い声が上がる。恥ずかしそうに隠していた胸元があらわになったかと思うと、素早く体を丸めて隠した。すくいあげる様にかえされる視線。それが口火になった。再び燃え上がった俺の躯は勇利を求める。
少し驚いた彼女が緩慢な仕草で俺の上に乗って来た。
「・・・・・・。」
それは、ふぅと聞こえた。
「がっかりさせたらごめん、俺、多分下手だから。」
そう言いながら彼女はぎこちなく躯を揺すり始めた。
「好き。兄貴だけ。兄貴だけが好き。他なんて、どうでもいい。」
彼女の手は俺の手を取りその腰まで導いた。
「兄貴の手で俺の事作り替えて。俺、兄貴の手で女になりたい。」
彼女は言葉を魔法のように使う。俺がいなければ女になれないと、俺だけが彼女にとって男なのだとそう言っているんだ。
「肇。兄貴じゃない。俺の名前は木下肇。」
だから忘れてほしくなかった。
「君を愛しているのは兄貴の俺じゃない。肇の俺だ。」
「は・じ・め」
一言一言をきちんと切って発音した。
「はじめが好き。」
明るい日の光を背に受けて彼女は切なそうに揺れた。
「肇が好き。」
二人で甘い夢を見た。彼女が叫ぶたびに俺はその唇を塞ぐ。何度も塞ぐ。彼女の半開きの口元から鳴き声の様な吐息が漏れ、俺を求め名前を呼ぶ。両手で彼女の背中を包むように撫でるとさも嬉しそうに躯が震えた。
“はじめ”
の言葉をたった一つの知っている言葉のように綾なす彼女。だから俺は愛を繰り返す。勇利の深くて傷つきやすいその一番大切な所で繋がりたかった。
彼女が全てだった。
Pain つづく