第十四話 盲いの徳
仕方が無いと、俺は自分の為だけにミルクティを入れる事にした。
そのはずが心は自然に勇利に飛んでいた。
本当に今日が最後になる。この春休み二人は恋人らしい逢瀬を楽しむだろう。俺の入る隙間なんか無い。基が家のスペアキーをしばらく貸して欲しいと言い出した時、勇利に長期間で貸すつもりだと分っていた。
三人で一緒に暮らすなんて馬鹿げた事を基は言っていたが、そんな事出来るはずが無い。彼が家にいる気配、バスタオルの残り香、手の込んだ食卓。彼が基に向かって話しかけ、基に向かってだけ特別な微笑みを浮かべる。二人並んでお休みを言い、ふざけながら階段を駆け上り、密やかなかみ殺すような笑い声を奏でる長い夜。
想像がつく。
それは生き地獄だ。
だから俺はこの夜からしばらくこの家を離れる、そう決心していた。
二人を祝福するふりが上手く出来るとは思えなかった。
牛乳にクリーム、シナモン、ブラウンシュガー、そしてブレンドした紅茶の葉。
そう言えば古い映画であったな。心を料理に溶かす女性の話しが。恋人が親の都合で自分の姉と結婚してしまい、その結婚式に出す料理を切ない心で不味くするんじゃ無かったか。そして同居するその男の為に、今度は愛を込めた料理を毎日作り続ける。そしてついに結ばれたはずの二人は、その情炎の為に文字通り焼け死んでしまう。
俺と勇利が恋心ゆえに焼け死んでしまう?まさか、そんな事・・・・。
その妄想を破ったのは勇利だった。
彼は済まなそうにリビングのドアを開けた。
勇利が来てくれた。その歓びで俺は後先を考えられなくなった。
自分が飲むはずだった大きめのカフェオレボウルを持って行くと、彼は両手で受け取った。それから一口すすり、
「おいしい。」
小さな声で礼を言った。その姿があまりにも小さく感じ、俺は話しかけるタイミングを無くした。俺は自分が嬉しいのか悲しいのか分らなかった。
卒業おめでとう。
ただそれだけの言葉に詰まってしまった。
独り掛けのソファに埋もれながらボウルを弄ぶ彼の横で、俺はしばらくその様子を眺めていた。
ふう、ふうと時折息を吐き、水面に波を立てている。その様子を伏せた目で追いながら、ぼんやりと何かを考えているようだった。
白いシーツに彼を横たえたらどんな気分だろう。
“ 汚れ ”
と人は言うけれど、彼ほど汚れの無い心は無いと俺は思う。俺はそのつま先に額ずき、口づけを落とす。
“ 僕が守るから ”
そう言えたら、どんなに幸せだろう。
“ 勇利の背負っている重荷を全部僕にくれないか。 ”
俺の胸の中、必死で涙を堪える彼が思い出されてならない。だから俺は誓えるものなら誓いたい。
“ 一生愛し続ける。何にも替えない。背神行為も、基への裏切りも、何もかも罪は僕が被るから。君の為なら、業火に焼かれても本望だ。 ”
君が苦しまない為ならば、俺は何だってする。ああ、そうさ。だから俺は耐えなければいのか。
「基との関係はいつまで続ける気だ。」
言うつもりの無かった言葉が口をついて出た。彼の体がびくりと跳ねたのが分る。沈黙が流れた。
「済まない。」
俺は顔を背けた。
偉そうに聖人ぶって、男同志で汚らわしいと思わないのかと示唆したい訳じゃなかった。もちろん勇利を一人悪者にしたいなんて露程も思わなかった。俺の中にあるのは、もっと利己的な感情だ。
ふと目の端に映った彼の手は震えて、唇を噛み静かに泣いていた。
今日勇利が二人の将来の話をしに家にきた事は明らかだった。基が大学にいけば二人は遠距離恋愛だ。今までみたいに毎日会う事はおろか、話しさえままならなくなるだろう。
リビングでは昨日基が山のように貰ってきた花束が、むせ返る様な芳香を放っていた。
「基と、別れてくれ。」
彼の目を見て言う事はできなかった。彼になぜ?と聞いて欲しくなかった。
勇利は泣き声を殺し必死に耐えていた。その切なさのあまり体が震え、手に持つボウルが大きく揺れる。
「危ない。」
とっさにそれを支えた。二人の手がしっかりと重なった。彼の瞳は涙で潤み俺を見上げている。俺はカップを受け取りテーブルに追いやると、ほんの少し開いた唇の先に、小さな口づけを落としていた。
彼は瞬き、首を傾げた。
「泣かないで。」
彼が腰掛けるソファの上に上がり込み、その頭を抱えた。
「泣かないでくれ。お願いだ。」
それからもう一度、口づけた。彼の手がしっかりと俺のシャツを掴む。
「勇利・・・・」
俺は彼を抱きしめた。
「君が好きなんだ。だから君を泣かせたくない。お願いだ。僕は君を泣かせたい訳じゃない。」
嗚咽はやがて静かなすすり泣きに変わった。もう18になるというのにその姿はひどく幼稚で、風に舞う落ち葉のように、握りしめたらくしゃくしゃと音を立てて崩れそうだった。
ああ、もうこれでお終いだ。俺はどうしようもない絶望感と同時に、これでよかったんだと諦めの境地に立った。まるで死刑執行の日が決まった囚人の様に。
なだめようとする俺の手は、彼の髪の毛を梳く。手のひらに当たる頭皮の暖かさが彼の熱を伝えた。
「基じゃ無い。俺が好きなのは基じゃ無い。でも・・・・どうしていいか解らない。」
俺がその言葉の意味を理解する為には、ほんの少し時間が必要だった。
俺はいつでも勇利にだけは全盲になっている、そんな気がしていた。他のヤツに見えている明るい勇利の姿は俺には見えない。でも反対に見えないはずの辛さや苦しみ、行き場の無い悲しみならば痛々しいほど分るから。だからその瞳に宿る想いを見誤る事は無かった。それは俺が欲してやまない物。思わずその首筋に唇を這わせ、力の限り口づけをした。
勇利ののどの奥から蕩けるような嬌声が上がる。女のように甘い声で。
「好き、兄貴が好き。」
俺の中で嵐が吹き荒れた。
Pain つづく
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