第十二話 基の夢・俺の悪夢
久々に基から彼の名を聞いたのは二次試験が終わった週末だった。
いつになく穏やかに試験の手応えを話すその表情から、まずまずのできな事は読み取れた。
俺はとっておきのアイリッシュウイスキーを出し彼に勧めた。そうする事で彼を褒めているつもりだった。そのくせ鼻先のグラスにむせ、氷を追加する姿を小さく笑った。
たあいない話の後、基は目を伏せながら浮かんで来る笑みを押さえるような表情をし、本当に言いたかった事を話し始めた。
「勇利とも上手くいきそうだ。」
それから、自分が家を出ても部屋を残していてくれと頼んだ。
「大学の休暇中はここで生活したいんだ。」
一時、男二人で都心にマンションを借りてこの家は貸しに出すという案もあり、現にこの春基が筑波に行く事になったらそのつもりだった。何しろ広い一軒家。一人で住むのには管理も大変だ。
そこに基が思いもよらない話しを始めた。将来の基盤をこの家に置きたいと。大学を卒業したらこの家に戻って来て勇利と一緒に暮らしたいという。
「兄貴には言ったけどさ、俺、本当に本気だから。」
弟はほんの少し照れくさそうに肩をすくめ、上目使いに俺を見上げた。
「お互いまだ18で一生を決めちゃうなんて、兄貴の目から見たら子供っぽいって思うかもしれないけど、あいつと生きて行くってもう決めてるんだ。ほら、兄貴だって知ってるだろ?勇利って凄く良いヤツで、明るくって、優しくって。それに見た目より可愛いし。反対、しないよな?」
「勝手にしろ。」
俺はウイスキーをあおった。美味いはずのそれは辛いだけの代物だった。
「親に相談するんだな。僕にはこの家の決定権は無いからね。まあ、お前らが本当に夫婦になるって言うのなら、好きにすればいい。その時はご祝儀にこの家の権利を全面放棄してやるよ。一生二人で住めば良い。」
「そんな、薄情だなあ。」
基がおかしそうに笑った。何がそんなにおかしいのか。
「別に兄貴に出て行けって言ってるんじゃないよ。勇利、ああ見えて兄貴の事気に入ってんだぜ。きっと毎日美味いものいっぱい作って俺たちの帰り待っててくれるよ。家にいるのが楽しくなるから。兄貴が結婚するまで三人で共同生活してもいいじゃないか。絶対上手くいくって。」
勇利と三人一緒に暮らすだって?
「ふざけるな。」
ありったけの嫌悪感を込めてそう呟いていた。基ははっとしたかと思うと、へぇって顔で片方の口の端を持ち上げた。
「兄貴でもそんな風に言うんだなぁ。」
その両手をソファの背もたれに投げ出し、左の唇をゆがめニヤニヤと笑った。
「いやよいやよも好きのうちって知ってる?勇利に惚れた?駄目だよ、そんなの。あいつ、俺の物だから。誰にも渡さない。第一、兄貴に男の趣味は無いだろう?」
明らかに挑発しているその台詞に俺は怒りを抑えられなくなった。
「お前の事を弟だと思うから警告しておく。勇利の事をモノ扱いするな。はっきり言って、俺はホモセクシュアルなんか大嫌いだ。でも、だからといって人として尊重する気持ちを失っている訳じゃない。いいか、些細な一言に心が現れているんだよ。」
そう言ってヤツの胸元を指差した。
「今お前は
“勇利は俺の物だ”
と言ったな。それを彼にも言うのか?考えろ。彼は物じゃない。彼には彼の意志が有る。彼の生き方は彼自身が決めて来たはずだ。それなのに勝手に
“絶対上手くいく”
だって?そんな甘い考えで勇利の心を引き止めておけるほどお前は出来た人間か?知らなかったね。まあせいぜいガキの考える範疇で幸せになるんだな。」
俺は基と言う名の実弟を深く傷つけてやりたかった。そして何よりも基をおとしめる事で、彼を選んだ勇利をおとしめ、必死になって愛想を尽かそうと思っていたに違いない。
Pain つづく