the Hearts of Boy
隻腕のアーティスト。
電脳という肉体に依存しないシステムにおいては、身体的不利はおおよそ勝敗を左右するほどの理由たりえない。
腕を失った彼女が次なる目標として選ぶには、アーティストはあまりにも適当すぎたのだろう。
「あたしは腕を失くして、確約されていたはずの射撃手としての将来も同時に失った。アンタは電脳だったら腕の一つどころか両手両足なくたって健常者と同じ土俵でハンディキャップなく戦えると思ってるだろう?」
サクラは隻腕のまま口にガムを放り込みながらそんなことを言う。
「いや、そんなことは……いや、そうかもしれない。そう思っているフシがあることは認めるよ」
「素直でよろしい。ここで中途半端な嘘なんか吐いたら蹴り飛ばしてた」
サクラはそう言うと、眉間にしわを寄せる。
「痛むのさ」
サクラはテーブルに転がった義腕を一瞥し呟く。
「どんな鎮痛剤でも休まることのない痛みだ。朝から晩まで、いや、夜中でも容赦無い痛みが疼くんだ。なくなった筈の腕が、どうしようもなく痛いんだ……、幻肢痛ってヤツなんだろうな。レース中でもいきなり痛みはひどくなる」
特に、と彼女は続ける。
「特に、スナイパーカノンを構えた時なんか、腕が万力で圧し潰されるような、ねじ切られるような激痛なんだよ。こんなこと、アンタに言ってもしょうがないというか理解しろって言う方が無理だとは分かってる。理解してくれと懇願もしないさ」
そう言って、彼女は機械の腕を再びもとあるべき場所へと付け直す。
「こいつは良く出来た腕だよ。半年のリハビリでどうにか日常で使える様になったし、今じゃ昔の腕とそう変わりない動きをする」
何度か右手の動きを確かめるように開いたり閉じたりしながら彼女は僕を見つめる。
「はっきり言うぞ、あたしは五体満足の癖にうじうじ湿っぽいアンタにイライラしてる」
「そうだろうね、自分でも、自分のこういうところは嫌いだ」
「そういうふうに悟ったように御託を並べるところはもっと嫌いだ」
「そうだろうね、自分でも理解してるつもりだよ」
「でも、初めてアンタを受付で見た時の雰囲気はちょっとばかり違った」
サクラは続ける。
「いい加減悟ったような、物事を斜に構えた厭世家気取りのスタンスをやめたらどうだ。そんなことは年金暮らしのじじぃになってから死ぬまでの間にやりゃぁいいじゃねぇか。まだ若いんだぜ?もっとシンプルに考えろよ。アンタもわかってるはずだ、今のアンタを遅くしている原因は、アンタ自身で自分にくっつけた余計な物が重すぎるからなんじゃないのか?」
僕は、ゆっくりと口を開く。
「なら、僕はどうすればいい。足りないものばかりのこの才能で、どうすればいい」
サクラは微笑むように口角を歪めて、
「それはあたしの知ったことじゃない、倫ノ助が自分で考えろ。ただ」
そう言って彼女は義腕で僕の肩をしっかりと掴み、
「余計なモノはここに置いていけ、なにもかも捨てちまえ。考えるのが得意みたいな面してるんだったらよ、ヤなことは一旦置いといて、次、どうすりゃ勝てるかだけ考えたらいいさ。あたしは脳筋だからあんまりアドバイスにはできねーけどな」
そう言った後、笑いながら、
「今さっきあたしのカッコイイところ見せてやっただろ?なら今度は倫ノ助、アンタがあたしにカッコイイところ見せてくれよ」
すこし照れくさそうにそんなことを言う。
「じゃぁ、あたしは次のレースの用意もあるしそろそろ行くわ。あとはアンタで決めてくれ」
サクラが席を立ちドアへと向かう。
そして去り際、
「そういやアンタにあげたガムはどうした?まさか捨ててないよな?」
僕はポケットからガムを取り出して見せながら答える。
「僕はガムが苦手なんだ。飲み込めないのにずーっと咀嚼してないといけないのが腹が立つ。ただ貰い物を捨てるのはもっとダメだろう?いつかガムが食べられるようになったらその時食べるよ」
「はは、妙な奴」
サクラはそう言ってドアの向こうへと姿を消した。
一人残された部屋で僕は床を見つめる用にしてしばらく考える。
「置いていけ、か。まるで自分が受け止めてやるみたいな言い方をするもんだ」
無責任な。
と思う反面、
「誰かに放り投げるのは楽そうでもあるんだよなぁ」
頭の大部分を占めるわだかまりを誰かに押し付けて、空っぽの脳みそで走るのは気持ちが良さそうだ。
「……ダメだな。また妙に考えこんでる」
椅子から立ち上がり、背伸びをしながら考えを整理する。
いま自分がいちばん感じていることは何か、丁寧に選別する。
いや、実はそう大して選別する必要も整理する必要も感じてはいないんだけれど。
実は結構スッキリとした考えで僕は動き出そうとしているのだけれど。
しかしこの考えはいかんせん俗っぽいというかなんだかアホらしいのだが。
「でもまぁサクラの言うシンプルに考えろって話には合ってるんだよね」
ドアを開け、廊下を少し進み、エレベーターのボタンを押して開いたドアの中に入り4階のボタンを押す。
行く先は史乃さんのところだ。
「全く、この時代にはそぐわないほどの節介焼きでお人好しだ。幻肢痛の痛みくらい体験したことはなくても患者さんの記録を読んだことくらいはある。浅くとも理解はできるさ」
ブツブツとひとりごとがこぼれるがどうせ誰も聞いちゃいない、それに僕のひとりごとがよく出るのは調子が上がっている時だけだ。「とんでもなくタフなメンタルだな、僕とは正反対だ。あの図太さは羨ましいよ、素直にね」
エレベーターが静止し、両開きのドアが開く。
ちょうどエレベーターホールの壁に部屋割りのパネルがはめてあった。
そこで史乃さんの部屋を確認した僕は、迷いなくそちらへと足を向ける。
「僕に出来ることね、多くは無いけど、少しくらい考えはあるのさ」
史乃さんの部屋の前で立ち止まり、そのドアを三回ノックする。
返事はすぐに帰ってきた。
「どうぞ」
失礼します、と言いつつドアを開ける。
部屋の中はさっぱりとしたものだった。
いくつかの書類棚とパソコンとバリスタマシン、あとはよくわからない機材が幾つか積まれているだけ。
部屋の真ん中に出入口を向くようにして置かれたスチールデスクの向こうに史乃さんが座っている
「わざわざ私の部屋まで来たんだ、お前さんなりに何か思うところがあったんだろう。生憎と予備の椅子はないんでな、立ったままでいいかね?それとも場所を移すかね?」
「立ち話で構いません。長くはなりませんし、できればすぐにでも付き合っていただきたい事がありますから」
史乃さんは少し驚いたように笑う。
「なんだ、結局走ることにしたのか。テストランをするなら付き合うよ」
さすが理解が早い人だ。
「ありがとうございます。あと、いくつか用意していただきたいものがあるのですがよろしいですか?」
「何が欲しいんだい?」
「ブロックヘッドのアーキテクチャデータとプログラムフレームを見せてください」
「……なにをするつもりか知らんが、いいだろう。ただし後で詳しく聞かせてもらうぞ」
怪訝そうな視線を向けながら、史乃さんは椅子から立ち上がった。
「第二レースには間に合わんぞ、第三レース一発勝負だ。それはわかっているかね?」
「無論です。それに、どうせ一発限りしか使えないでしょうし」
「なんだい、えらく雰囲気が違うじゃないか。鬼嶋の嬢ちゃんに殴られでもしたか?」
義腕で殴られると痛いぞ、と軽口を史乃さんは叩く。
「カッコイイところを見せてくれ、って言われちゃいましてね」
頭に手をやりながら僕は言う。
「女の子に『カッコイイところを見せてくれ』って言われちゃったらしょうがないですよ。少しくらいいいところを見せておかないと僕の体面に関わります」
史乃さんが吹き出した。
「は、はっは、そうか、そうかそうか。いや、倫ノ助お前さん意外と男の子なんだな、枯れてるのかと思っていたよ」
そして史乃さんはわしわしと上から押さえつけるように僕の頭をかきむしりながら言う。
「いいじゃないか。惚れた娘のためにカッコイイところを見せたいんだろう?いいねぇ、古今東西探しても一等賞でわかりやすくて純粋な原動力じゃないか。老婆心ながらサポートしてやろう」
勝手に惚れたことにされても困るんだけれどな。
しかしココで無理に訂正しても余計に思わせぶりになるだけだ。
僕が彼女に感じている感情は、そう、憧憬に近いものなのだ。
自分とはおそらく何もかもが対称的で眩しくすらある彼女が、彼女からしたら矮小で取るに足らないであろう僕にカッコイイところ見せろ、と、そう言ってきた。
ならば、やらざるを得ない。
凡愚たるものの矜持として。
「無能の僕が、天才的な彼女に、少しでも印象を刻むことができればいいなって、虚栄心ですよ」
「いいじゃないかいいじゃないか、やってやろうじゃないか倫ノ助。ジャイアントキリングってのはいつでもなんでもハートを揺さぶるものだぞ」
ジャイアントキリング。
そう、ジャイアントキリング。
予想だにしない番狂わせは、天才的な彼女にはできないことだ。
天才的な彼女は、勝って当然、勝つことが宿命。
ただ勝利したところで感動なにもあったものじゃない
その点僕は違う。
どれだけ汚く醜く泥臭くとも、勝つ、ただそれだけでいい。
番狂わせを、彼女に見せてやりたい。
それが、凡愚たる僕の矜持だ。