大切な記憶
もう十五年ほど前の話だ。
中学三年生の冬を迎えた頃、俺は夜の公園でブランコに揺られながら、親友と呼べる四人と将来の夢について話していた。
それぞれが、自分の夢や、なぜその職業に就きたいのかを笑顔で語っていく。
俺も、自分のなりたい職業について話した。
「俺は、リハビリの先生になりたい」
きっかけ自体は、本当に他愛もないものだった。
兄が薬学部に入り、ある日、兄とふざけ合っていたときのことだ。
転んだ兄を起こした俺に、兄は何気なく言った。
『リハビリの先生にでもなってみたらどうだ』
たった、その一言だった。
本当に偶然のような言葉だったのに、不思議と自分の中にすっと入ってきた。
――なんか、それがいいな。
そう思えた。
そんな中学生の他愛もない会話をしていた時間も終わり、月日はあっという間に過ぎていった。
小学生の頃から仲の良かった俺たちは、高校進学を機に離れ離れになった。
振り返ってみれば、中学三年生の一年間は、今でも特に印象に残っている。
授業をサボって親友の家でゲームをしたり、遅刻して先生に怒られたり。
怒られているのに、なぜかみんなで笑っていた。
家族との関係がうまくいっていなかった俺の話を、親身になって聞いてくれた親友のK・S。
みんなでカラオケに行って、『けいおん!』の曲を歌った。
カードゲームもした。
今思えば、何気ないことばかりだ。
それでも、あの頃の俺にとっては、とても濃く、大切な時間だった。
卒業式の日も、俺たちはいつものように親友の家へ集まった。
昔の話をしながら遊び、それぞれがそれぞれの高校へ進み、新しい生活を始めていった。
そして、高校入学と同時に、俺の人生にも大きな転機が訪れた。
両親の離婚だった。
高校の入学式を二日後に控えた日、両親から離婚することを告げられた。
多感な時期だった俺にとって、その事実は大きな衝撃だった。
けれど、それと同時に、どこかでこう思っていた。
――あぁ、俺の役割は終わったんだ。
俺にとって、父親のお守りをすることが家庭の中での役割だった。
父親が不機嫌にならないように、幼稚園の頃から機嫌を取っていた。
お年玉をもらえば、自分が本当に欲しいものよりも、父親と一緒に遊べるゲームを買った。
父親が楽しければ、機嫌が悪くならない。
母や兄が暴力を振るわれないように、とにかく父親の機嫌を取っていた。
子どもの俺なりに、家の中が壊れないようにしていたのだと思う。
そんな自分の役割が、両親の離婚によって一瞬にしてなくなった。
そこからの俺は、まるで抜け殻のようになった。
それまで以上に授業を真面目に聞くようになった。
家でも勉強するようになった。
けれど、自分が何のために頑張っているのかは、よく分からなかった。
ただ何かをしていなければならないような気がして、勉強をしていた。
そんな日々の中、家の近所を散歩していたとき、偶然K・Sに会った。
「最近、調子どう?」
そう聞かれて、俺は答えた。
「親が離婚した」
「大変だね。そういえば、来月俺の誕生日なんだ」
「そうなんだ。誕生日おめでとう。早く死ねるな」
冗談めかして言った俺の言葉に、K・Sは笑った。
俺も笑っていた。
もちろん、本気でそんなことを思っていたわけではない。
いつものような、くだらない冗談だった。
けれど、その後に見た夢は最悪だった。
K・Sがベッドの上でもがき苦しんでいる夢。
息も絶え絶えになりながら苦しんでいる彼を、俺はなぜか第三者のような視点から見ていた。
助けたいのに、何もしてやれない。
ただ、そのもどかしさだけが残った。
その夢のことを、俺は今でも忘れられない。
そして、その約一か月後の夜。
母親から言われた。
『K・S君……死んじゃったって』
「……………………嘘でしょ」
それ以上、言葉が出なかった。
俺の問いかけに返事はなかった。
俺はただ、ついていたテレビを呆然と見つめていた。
数日後、K・Sの葬儀に参列した。
棺の中にいる彼を見て、ようやく少しだけ現実を理解した。
「本当に死んだんだ…………」
虚無感と喪失感が、一気に心を覆った。
父親に続いて、今度は親友。
自分にとって大切な人が、次々といなくなっていく。
大きなストレスに押し潰されそうになっていることは、自分でも分かっていた。
それでも、それを認めたくなかった。
だから、がむしゃらに勉強した。
教室の掲示板には、理学療法士や作業療法士の仕事について紹介する張り紙があった。
それを見つめるたびに、俺は勉強した。
けれど、どれだけ勉強をしても、心にできた穴が埋まることはなかった。
両親が離婚してから、もともと父親が寝ていた場所で俺が眠るようになっていた。
枕も父親が使っていたものを、そのまま使っていた。
そこからは、まだ懐かしい父親の匂いがした。
ある夜、その枕で眠りについた俺は、一つの夢を見た。
夕暮れのような光が、中学校の教室を照らしていた。
教室の中には、四人の親友たちがいた。
みんなで一つの机を囲み、楽しそうに談笑している。
俺はその輪から一歩離れたところに立ち、みんなの姿を見ていた。
時間が経つにつれ、一人、また一人と席を立ち、教室から出ていった。
そして最後に残ったのが、K・Sだった。
K・Sは後ろから差し込む光に照らされながら、俺の方へ歩いてきた。
「楽しかったな」
「うん。凄く楽しかった」
「でも、もう行かなくちゃ」
そう言うと、K・Sは光の差す方へ振り返り、歩き始めた。
「行くなっ!! まだ、ここで楽しもうよ……」
俺は必死に叫んだ。
――あれが夢だったんだ。
――今が現実なんだ。
そう思いたかった。
辛かったことが全部夢で、今この教室にいる時間こそが現実ならいい。
涙を浮かべながら、俺は懇願するようにK・Sへ言葉を投げかけていた。
そんな俺を見て、K・Sは微笑んだ。
「もう、終わりなんだよ。ただ、ずっとしんどそうにしてるから、伝えたかっただけなんだ」
そして、少し間を置いて続けた。
「俺の分も生きてくれよな……。それと、リハビリの先生になって、困ってる人を助けてよ。俺の分まで生きてもらえるように」
そう言うと、K・Sの身体は光の方へ浮かび上がっていった。
その顔には、満足そうな笑顔が浮かんでいた。
いつもの彼と同じ、無邪気な笑顔だった。
その姿を見ながら、俺は泣いていた。
けれど同時に、笑ってもいた。
「絶対にリハビリの先生になって、お前の分も患者さんに良くなってもらうからっ!!」
俺の言葉を聞いたK・Sは、いつものように笑って、
「じゃあね」
そう言った。
そして、光の中へ消えていった。
その瞬間、俺は目を覚ました。
目からは涙が流れていた。
止めようとしても止まらず、嗚咽まで漏れていた。
それでも、不思議なことに、それまで胸の中にあった虚無感のようなものが消えていた。
代わりに、胸の奥が少しだけ温かくなっていた。
あの感覚を、俺は今でも覚えている。
あれから、多くの出来事があった。
親族には脳卒中になった人がいた。
大切にしたいと思った彼女には、障害による生活のしづらさがあった。
いろいろな人と出会い、いろいろな出来事を経験した。
そのたびに、あの日の約束を思い出した。
そして俺は、本当にリハビリの先生になった。
年に一度。
できる限り、K・Sのもとを訪れるようにしている。
線香に火をつけ、手を合わせながら、彼に報告する。
「約束通り、リハビリの先生になったぞ」
あの夜に交わした約束。
ようやく、その一歩を踏み出すことができた。
そして、もう一つ伝える。
「これからも頑張るから、応援してな」
夏の昼間。
見上げれば、雲の向こうまで続いていきそうな青空が広がっていた。
俺は、あの日の約束を果たすことができた。
――そう、思いたい。




