一話
初めてのオリジナル小説です。
少しでも楽しんでもらえると嬉しいです。
強い日差しの中、山中康平は、とあるカフェへと向かっていた。
徒歩で一時間以上かかる場所にあるので、かなり汗だくである。
店内に入る前に一度汗を綺麗にしなければいけないなと、考えながらハンカチで額の汗を拭った。
汗だくで歩く男を見たら公共交通機関を利用すれば良いのにと誰しもが思うだろう。
しかし、俺の住む地域ではそもそも路線が少なく、カフェの位置は絶妙に電車の経路から外れていた。
また、バスも一日に数本とかなり少ない。一本逃せば炎天下の中、三時間待たされる事もざらにある。
タクシーは料金が高い。
つまり徒歩は、考え抜いた最善の策だ。
身体も絞れるし一石二鳥だなんて言い訳を添えて自身を納得させる。
そんな苦労をしてでも俺は定期的に通っていた。
理由は、このカフェを経営している西嶋愛華にある。
西嶋とは高校一年の頃に同じクラスになり、知り合った。
人見知りを発動して人の輪に入れず、一人で本を読んでいる俺に
「君の鞄に付いてるアクキーってVTuberの金糸雀ちゃんだよね?私も好きなの」
と笑顔で話しかけてくれたのだ。
それから推しのVTuberを通してお互い趣味が似ていることが分かり、仲が良くなるまでの時間は短かったように思う。
彼女は眉目秀麗、文武両道、おまけに非常に明るい性格から高内外問わず人気者だった。
男子生徒のみならず、女子生徒からも告白されている現場を目撃したことがある。アイドルやモデルのとんでもないモテエピソードに匹敵するほどの人気ぶりだった。
俺は所謂陰キャと呼ばれる人間だったのだが、西嶋の影響を受けて、みるみると明るい性格へと変化していった。
三年生になる頃にはクラスの委員長を務められるほどに成長した。
中学時代の友人に会うと『ドッペルゲンガーだったん?』だの『きこりの泉にぶち込まれた』だの未だに酒の席でいじられる。
自分を変えてくれた西嶋に対して抱いていた感謝や尊敬の念が好意に変わっていったのは、異性に対してはごく自然な感情の変化なのかもしれない。
いつも近くで見ていたはずの笑顔が輝いて見えた時、彼女に惚れたんだと自覚した。
だが、心地良い友人関係を壊すのを恐れて告白には至らぬまま、高校の三年間を過ごした。それでも、仲のいい友人として共に過ごせたので満足しているのだが。
社会人になり数年経ったある日、西嶋からLINEで『カフェを開業するから、もし良かったら遊びに来てよ』と連絡があった。
前述の苦労の通り、マップ情報的に家からは距離があったのだが『会社の帰り道だから』と嘘をついてしまった。友人関係とはいえ、多少格好はつけたいものだ。
暫く通っていてわかったが、やはりカフェの経営は厳しいらしい。
開店当初は物珍しさでお客さんは来ていたものの、数ヶ月後には常連がパラパラと来るのみ。お世辞にも潤っているとは言えない。今では継続して他の従業員を雇うのも難しいようだった。
そんな状況でも、カフェ経営が幼いころからの夢だった西嶋は、店を畳むという選択肢はないと言い切っていた。やっと掴んだ夢を手放したくないと。
それなら、少しでも彼女の助けになれたら嬉しいと思った。
通う理由はそれだけのことだった。
なんて昔の思い出に浸りつつ山道を進むと、レンガを基調にしたヨーロッパ風の小さな建物が姿を現した。目的地のカフェだ。
窓際の花壇に植えられた植物たちはみずみずしく葉を広げ、枯れた葉は綺麗に手入れされている。
彼女の幼馴染で、俺の親友である宮下亮が、たまに掃除などを手伝っているらしい。
彼は非常に端正な顔立ちをしており、秀才、様々な部活に助っ人を頼まれるほど運動神経が良い、バスケ部で背が高い、おまけにオタク趣味にも理解がある。漫画の中から飛び出てきたのかというほど高スペックだ。
西嶋を通して亮を知った時は、恋敵になるかもしれないと勝手に思い込んで少しぎこちない態度をとっていた。だが、彼はすぐに俺の不自然な態度に気づいたのか「愛華に対してそういう気持ちはない」と告げてくれた。
最初こそ疑ったが、三人で遊んでいく内に本当に彼は西嶋のことを友人もしくは兄妹の様にしか思っていないのだと分かった。他の男が彼女に向ける目をは明らかに異なっていたからだ。
手伝った日はバイト代としてコーヒーとシナモントーストのセットをごちそうされるんだと、亮が嬉しそうに話しているのを思い出す。
店の前で汗を拭き取り、制汗スプレーをかけ、OPENの札がかかった扉を押す。
ー…カランカラン
扉に付いたベルが、軽快な音を鳴らす。
店内の冷気が外へ流れ込み、肌を撫でた。
…………あれ?
いつもなら扉を開けたらすぐに「いらっしゃいませ!」と明るい声が飛んでくるはず。カウンターを見ると西嶋の姿はなかった。
店内を見渡すと客も一人もいない。
経営が上手くいっていなかったとはいえ、何組か常連は存在した。
今日は日曜の午後二時。常連の一人である正堂という男性がコーヒーを飲みながら読書をしに来るはずだ。
正堂さんは開店当初から通っている最古参の客。何度も顔を合わせる内に友人に近い関係になっていた。
彼と最近読んだ本の感想を発表し合ったり、好きな本をお勧めし合うのがカフェに来る楽しみの一つだった。俺は静かに肩を落とす。
彼に勧めるために持参した『異邦人』はまたの機会に持って来よう。
店内にはコーヒーの香りが漂っている。どうやら店を閉めているわけでも無さそうだ。
扉にOPENの札がかかっていたので当然と言えば当然だが、札を返し忘れた可能性も考えていた。
なおさら違和感がある。
「西嶋?」
名前を呼ぶ声が店内に虚しく反響した。
そういえば、店内BGMもかかっていない。あまりに静かすぎる。おかしい。
―…もしかして裏で倒れているんじゃないか?
一抹の不安が頭を過ぎる。どんなに元気な人間でも、いつ何が起こるかなんて予想はできない。コーヒーの準備をしている途中で突然倒れてしまう…なんて可能性もゼロではない。
若さは関係ない。人は案外呆気なく死ぬもの。
過去の経験から十二分に理解しているつもりだった。
客がしてはいけない行為だと知りつつも、足早にスタッフルームへと向かう。
とにかく安否が気になり、確認せずにはいられなかった。
「西嶋!大丈夫か!?」
スタッフルームと店内を仕切るカーテンを勢いよく捲る。
「ー…え?」
目の前に広がる光景に、俺は言葉を失った。




