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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

私が身体を許さないからって婚約破棄する? ちょっと王太子殿下、焦りすぎてません? それに殿下が関係した女性、何人もの男性遍歴があって、性病の危険も。国がヤバいですよ?

作者: 大濠泉
掲載日:2025/11/26

◆1


 季節は秋。肌寒くなった日。

 クレティア・ギース伯爵令嬢は、王太子フランシス・トゥルージュによって、王宮の中庭テラス席に呼び出され、いきなり宣言された。


「クレティア嬢。僕はもう君とはやっていけない。婚約破棄だ!」


 テーブルの対面に座るクレティア伯爵令嬢は、ティーカップを皿に置き、居住まいを正す。


「私が殿下に身体を許さないのが、我慢ならないのですね?

 でも、やはり、私には婚前交渉はできません。

 私は医師の娘ですから、父から色々と聞いております。

 その結果、現在の王都で暮らす殿方との性交渉に、不安が感じられてならないのです。

 男女問わず、奔放な方もおられるようですが、それだからこそ、私にはできません」


 フランシス王太子はドン! と拳でテーブルを叩く。


「無礼な!

 たしかに以前、君にお願いしたことはある。

 認めよう。

 だが、それが婚約破棄の理由ではない!」


「では、何が理由で?」


「愛を知ったのだ。

 お前は欠陥人間だ。

 対して、ラメール嬢は優しい。

 男心が良くわかる。

 僕はラメール・ダニエル男爵令嬢と婚約し直すんだ!」


 フランシス王太子は晴れ晴れとした表情をしていた。

 ようやく言ってやった、とばかりに。


 クレティアは対面に座る婚約者フランシスの、得意げな顔を窺う。


「ちなみに、『男心が良くわかる』というのは具体的には、どういったことで?」


 フンと鼻息を荒くして、王太子は胸を張る。


「男心がわかるというのは、簡単だ。

 僕の気持ちに寄り添って、僕が寂しいときに、呼びかけに応じて、僕に愛を捧げてくれることーーそんなことができる女性を、僕は求めていたのだ。

 だけど、君は二言目には、

『それは不衛生です。

 そんなことをしたら危険です』

 などと言って、まるで僕をバイ菌のように扱っただろ?

 未来の夫に対して、それが妻の取る態度なのか?

 僕は許せなかった。

 どうして僕の気持ちと情熱を、わかってくれないのだ。

 何度も何度も、君に怒りを感じていた。

 そんな時に、ラメール男爵令嬢は優しく僕の手を取って、僕を抱き締めてくれたんだ。

『まぁ、お可哀想に。

 殿方はいろいろと大変ですのに……』

 と言って、僕の心に寄り添ってくれた。

 柔らかな唇を近づけてくれたんだ。

 どうして君は、そんな女らしいことができないんだ。

 君には幻滅した。

 だから君とは、もうこれっきりだ!」


 ほとんど恫喝ともいえる口調だ。

 だが、クレティア・ギース伯爵令嬢は、毅然とした姿勢のままで忠告する。


「もしかして殿下、ラメール嬢と深い関係になりまして?

 だとしたら、お医者様にお見せになったほうがよろしいですよ?」


 フランシス王太子は顔を真っ赤にして、椅子から立ち上がる。


「うるさい!

 彼女は病気でも何でもない。

 要らぬお節介をするな。

 彼女のことを、とやかく言うな!

 彼女は無垢で、可憐な少女なんだ。

 僕が守らなきゃいけない、天使のような存在なんだ。

 君なんかに何がわかる?

 二言目には、

『これでも医師の娘ですから』

 と抜かして、くだらない、でたらめな素人判断を他人に当て嵌めて。

 知ったかして、診断するんじゃない、小賢しい!

 彼女、ラメール嬢は、そんな失礼なことはしない。

『初めてなの。優しくしてね』

 と僕は言われたんだ!

 そんな彼女が、性病なんか持ってるわけないだろ!」


 語るに落ちた、とはこのことである。

 いくら王太子といえども、婚約中に、婚約者と別の女性とベッドを共にするのは御法度だ。

 でも、そんなことはフランシス王太子は百も承知なはず。


 クレティア伯爵令嬢は溜息をついて、確認する。

 私たち二人の間に、もはや愛がないことを。


「やっぱり関係をお持ちなのですね?」


「うるさい、うるさい!」


 ドンドン! と王太子フランシス・トゥルージュは足を踏み鳴らす。

 フランシス王太子はもとより、カッとなりやすい性格だったが、最近、特に感情の起伏が激しくなったように思う。


(やはり、ここは婚約者としてだけでなく、国を担う貴族家の令嬢として、さらには王宮にお仕えする医師の娘として指摘しておかねば……)


 そう思い、クレティア・ギース伯爵令嬢は、フランシス王太子に向けて、さらなる追い討ちをかけた。


「でも、ラメール男爵令嬢と言えば、夜な夜な王都に出没し、流行りのダンスホールで踊り狂っているという噂を聞きましたよ。

 派手な衣装に身を包んで、踊り子さながらに腰をくねらせ、身体を猫みたいに曲げて、とても上手に踊るとのこと。

 その噂の『踊り子令嬢』が、ラメール嬢によく似ているという噂でしたわ。

 まさか、ほんとにラメール・ダニエル男爵令嬢でなければよろしいのですが。

 あそこのダンスホールから性病が蔓延している、と父は言ってましたからね」


「良い加減なことを言うな!」


 怒鳴るフランシス王太子に対して、クレティア嬢は冷静に青い瞳を細めて語る。


「王都で性病が流行っているのはたしかですよ。

 私の父が運営する診療所では、連日、貴族家の殿方が押し寄せてきて、父はてんてこまいの忙しさです。

 これ以上、そんな病が流行ったら、大は国家から小は各家庭まで、いったいどうなることかと心を痛めているんです。

 だから男女の仲というのは、平民は仕方ないにしても、貴族方にはルーズなことはしてもらいたくないというのが、私たち親子の意見です。

 現在、蔓延している性病に関しては、いまだ治療法は確立しておりません。

 ただわかってることは、潜伏期間が長いということくらいで、対処法としては、清潔に身を保つことと、見ず知らずの者との性行為を控える、ということしかありません。

 とはいえ、こういった提言に関しては、むしろ貴方たち貴族や王族の殿方よりも、平民たちの方がよほど言うことを聞いてくれます。

 今、平民たちの間では、病の流行はおさまりつつあるのに、貴族たちの間では、相変わらず、というか、むしろ激しく流行っているというのは、なんとも皮肉な話じゃありませんか。

 そもそも、貴族家の殿方が遊びすぎなんですよ。

 夜になると、ご婦人方は大人しく寝静まっているというのに、殿方は面白半分に商売女と関係を持って……。

 おかげで、夜遊びで商売女を抱いた殿方のせいで、ご婦人方にまで病が感染する事態が多発しているのですよ。

 しかも、ご婦人方は病に罹っても、そのことを恥じて隠そうとする場合が多く、使用人たちの手を借りて、父の診療所に担ぎ込まれたときには、もう手当ての施しようがないほど病が進行していて、皮膚は(ただ)れて異臭を放っていて、それはそれは悲惨なありさまで、自ら生命を断つお方が何人もいて……。

 石に齧りついてでも生き延びたがる殿方とは大違いーー」


 フランシス王太子はドスン! と椅子に座り直すと、半分、笑いながら、クレティア嬢を叱責する。


「ははは。

 お前は女なんだから、男同士の付き合いがわからないんだ。

 娼館に通うのだって、閣僚方に招かれてのこと。

 重要な仕事の一環なんだ。

 たしかに夜職の女を相手にするけれども、ああいうのはスキンシップなんだ。

 酒の席に、女はつきものだろう?

 酔いが回ったら、女の手を取る、乳房を揉みしだく、それが紳士の嗜みなんだ。

 どうしてお前は頑なに聖女ぶって、男の気持ちに寄り添おうとしないのか。

 そういうとこだぞ!」


 クレティア伯爵令嬢は、やれやれとばかりに肩をすくめる。

 それでも忠告をやめない。


「紳士の嗜みについて、とやかく言うつもりはありません。

 ですが、性病の蔓延は社会問題です。

 もうすぐあのダンスホールも閉鎖になる予定ですよ。

 特にあのダンスホールでは、平民も貴族も無礼講で、仮面舞踏会さながらに、皆が仮面をつけて踊り狂って、その後気に入ったお相手と夜の街に消えるという噂ですもの。

 下は十代の少女から、上は六十代の男性まで、様々な階層の男女が入り乱れて踊り狂うカーニバルのようなところだそうで。

 ラメール男爵令嬢も、そのダンスホールの常連と伺いましたよ」


 王太子はバン! とテーブルを両手で叩き、再び立ち上がった。


「そんなはずあるか!

 ラメール嬢はお淑やかで、可憐なんだ。

 お前のような冷血人間とは違うんだ。

 血の通った優しい女性なんだ!」


 身を乗り出すフランシス王太子を目前に据えながらも、クレティア嬢は背筋をピンと伸ばしたまま。

 以降もずっと、激昂する王太子と、沈着冷静な伯爵令嬢との会話の応酬が続いた。


「あの人、髪の毛抜けてましたよ」


「髪の毛が抜ける病気のことか?

 そんな病気はもう治った。

『むしろこれからは、鳥が羽毛を生え変えるように、病気に罹らなくなるわ』

 と彼女は言っていたぞ!」


「貴方は勘違いしています。

 それ、完治したんじゃありませんよ。

 症状が潜伏しただけです。

 彼女についての噂と、周囲の状況から考えますと、性病の可能性は極めて高いかと。

 噂の出所?

 ダンスホールでの乱行具合と、ラメール男爵令嬢のお話をしていただいた方々は、皆、父が営む王都の診療所で入院している患者さんたちです。

 皆、涙を流して後悔なさっておいででした。

 あんなダンスホールで踊り狂ったことを。

 ラメール嬢のような女性と肉体関係を持ったことを。

 殿下も、そんな患者さんの一人にならなければ良いのだけれど……」


「僕はそんな病人どもとは違う。

 ラメール嬢もだ。

 至って健康体だ」


「そうでしょうか?

 最近、体調の変化を感じてませんか?

 倦怠感や、焦燥感、全身の痒みなどーー。

 失礼ながら、私の見立てでは、殿下は今現在、危険な状態にあるように見受けられます。

 ですから、正直、私は殿下から離れられるようになって嬉しいです。

 気付いてます?

 殿下の額に瘡が出来ておりますよ?

 ほんと、私、身持ちを堅くしておいて良かった」


「ふん。勝手に言ってろ!

 だが、ラメール嬢に関しては、噂のようなことはまったくない。

 僕の額の瘡だって、単なるおできだ。

 ラメール嬢は心もそうだが、身体も清らかなんだ。

『殿下が初めて……』

 と消え入るようなか細い声で涙を流し、震えてたんだ。

 そんな彼女が、性病持ちのはずがないんだ。

 じつに、くだらない誹謗中傷だ。

 君も、彼女に対しての嫉妬と、くだらぬ言いがかりは、やめてくれ。

 医師の娘だから、なんだって言うんだ。

 君に病の診断ができるのか?

 治療ができるのか?

 医師でもないくせに、余計な口出しをするな!」


「殿下がラメール男爵令嬢と関係をもっておられたとしても、病に罹っておられないなら、私も安心なんですが。

『病に罹ったから、婚約者を見捨てた』

 などと、私も後ろ指をさされたくありませんから。

 でも、覚えておいてくださいね。

 殿下の方から私をフッたのですからね」


「ああ、言うまでもない。

 冷酷なお前に婚約破棄を言い渡したのは、間違いなく僕だ。

 文書にしても構わない」


「ありがとうございます……」


 軽くお辞儀をしつつも、クレティア伯爵令嬢は哀しげな表情になる。

 ほんとうに殿下との関係は終わってしまったようだ。

 物心ついた頃からの婚約関係ゆえに幼馴染でもあるわけだから、別れるとなると、さすがに感慨深い。

 王太子フランシス・トゥルージュ殿下は感情的になりやすい面もあったが、もともとは優しい性格だった。

 舞踏会などの衆人環視の場ではなく、こうして二人だけの場で婚約破棄を言い渡してくれたところにも、殿下の配慮がうかがわれる。


 クレティア伯爵令嬢は去り行く婚約者に、最後の情けをかけた。


「あと最後に、私からの気持ちです。

 この薬をお受け取りください。

 父が最近になって、ようやく開発したものです。

 これを一日三回、食後に飲んでいただければ、だいぶ症状は収まるかと思います。

 完全な治癒には至りませんが、病の進行を抑える程度にはーー」


 クレティア嬢は席を立って王太子に近づき、薬瓶を渡そうとする。

 だがフランシス王太子は、その手を振り払う。


「僕に構うな!

 薬なんか、要らない。

 こんなもの、要るか!」


 ガラスの瓶は、クレティア嬢の手元から離れた。

 そして、ガチャン! と音を立てて割れて、テラスの床に流れ出てしまった。


「まぁ! なんともったいない。

 これは貴重な薬ですのに。

 王都の貴族の間で、この種の病が蔓延しているのですよ。

 この薬を、もう何日も待っている貴族だってたくさんおられるのに。

 知りませんからね、私」


「ああ、もう君との関係は切れたのだ。

 僕はラメール嬢の許へ行く。

 さよならだ。

 二度と僕の前に顔を見せるな!」


 こうして、十五年以上の婚約関係が破綻し、王太子フランシス・トゥルージュと、クレティア・ギース伯爵令嬢はもの別れとなったのだった。


◆2


 それから、わずか一ヶ月後ーー。


 王太子フランシス・トゥルージュは、ラメール男爵令嬢の許ではなく、クレティア伯爵令嬢の父である医師レーモン・ギース伯爵の診療所に入り浸りとなっていた。

 大勢の使用人を引き連れて来て、高価な薬を買い求め、これを毎日飲んでいる。

 ほんの一月前には、振り払って瓶ごと割った薬を、もはや手放せなくなっていた。


 そして一日中、その薬を湯に溶かし込んだ薬湯に浸かり、看護師や侍女が、フランシス王太子の身体をさすり続ける。

 王太子の身体に浮かび上がった斑点が、一刻も早く綺麗に消え去るようにと願って。

 寝る時以外はその薬湯に浸かり通しで、食事も湯の中で食べているそうだ。

 王太子として、痣が目立ったり、身体から腐敗臭が漂うようでは、人前に出るのに不都合だ。

 悪くすると、王位継承が厳しくなる。

 なので、病状の悪化を隠すために懸命の努力をしていた。


 でも、もう時間の問題だろう。

 確実に、病はフランシス王太子を(むしば)み始めていた。


 フランシス王太子は二人の年若い侍女に背中をさすってもらいながらも、延々と恨み言を口にする。


「僕は悪くない。

 僕の情熱を受け止めない、あの女ーークレティア嬢が悪いんだ。

 ラメール嬢のことは、嫌いにはなれない。

 僕の情熱を、正面から受け止めてくれたからだ。

 だけど、許せないのはクレティア嬢だ。

 あいつは、最後まで、やらせてくれなかった。

 あいつのせいだ!

 あの女がもっと早くから身体を許してくれさえしていれば、僕はこんな病気にかからなかったはずだ。

 憎い憎いーー!」


 侍女たちは注意を促す。


「ですが、殿下。

 クレティア伯爵令嬢の父上レーモン卿は、今現在も殿下のお薬を処方しておりますので、そんな憎しみや怒りを向けるのはーー」


「そうですよ。もし小耳に挟まれでもしたら……」


 フランシス王太子は両手でバシャン! と湯を弾いて、吐き捨てる。


「むろん、医師がいる場では黙っているさ。

 けれど、殺したいほどに憎たらしいのは、あの元婚約者のクレティア・ギース伯爵令嬢なんだ。

 あいつのせいだ。

 あいつのせいだ。

 クレティア嬢が、僕とやらせてくれさえしたら、こんなことにならなかったんだ。

 ラメール嬢と関係を持つことはなかった。

 彼女との夜は楽しかった。

 素晴らしい想い出なんだ……」


 支離滅裂な言動だった。

 ただ、元婚約者のクレティア伯爵令嬢を憎み、ラメール男爵令嬢を愛おしく想っていることだけは、一貫しているようであった。


◇◇◇


 一方、クレティア・ギース伯爵令嬢は、朝から吐息を漏らし、一ヶ月ほど前にあった、フランシス王太子との別れの場面を思い出していた。

 そして、改めて思う。

 今回、王都に蔓延した性病は恐ろしいものだ、と。


 なにしろ、不治の病だ。

 いまだ治療法は発見されていない。

 そんな中で、王太子フランシス・トゥルージュ殿下という、自分にとって身近な、婚約者までが罹患者となった。

 もし私、クレティアが、一時の気の迷いや、心の弱さから、彼の欲求に応じて肉体関係を持っていたら、自分も一生、心と身体に深い傷を残したかもしれない。

 そう思うと、夜も眠れない。


 ところが、思わぬ方角から、我が身に危険が迫って来た。


 フランシス王太子はあの通り、私を嫌っているのに、ジョルジュ・トゥルージュ国王陛下が婚約破棄を認めてくださらない、というのだ。


「どうしましょう、父上。

 殿下はとうに私との関係を望んでおりませんのに……」


 自宅の食堂で、父と共に朝食を摂りながら、私、クレティアは眉間に皺を寄せる。

 そんな私に、父のレーモン・ギース伯爵は真面目な顔で、


「愚かな話だ」


 と口にした。


「そうですね」


 と私が応じると、父のレーモンは大きく身を乗り出す。


「違う! 愚かなのは、王太子殿下ではない。

 殿下が訴えるままに婚約破棄を受け入れるお前の方だ!」


 あまりにも意外な発言に、私は目を丸くする。

 口をあんぐりと開けたまま、何も言えないでいると、父は急にテーブルに手をついて立ち上がり、捲し立てた。


「その、なんとかいう、ダンスホールで踊り狂った娘は、確実に例の病気持ちだ。

 国王陛下が、そんな娘を将来の王妃に迎えようとするわけがなかろう。

 当然、知性に溢れ、健康体である、我が娘、クレティア、お前を息子の王太子フランシスのお相手として選ぶに違いない。

 これは王命にも等しい。

 お前も王国貴族家の令嬢ならば、王命におとなしく従いなさい!」


 さすがに、クレティア伯爵令嬢は、喉を震わせる。


「お父様は、病気のことを、誰よりも良くご存知ですよね?

 にもかかわらず、私に王太子殿下と添い遂げろ、とおっしゃるのですか?」


「そうだ!」


 父レーモン・ギース伯爵は、両眼をギラつかせながら腕を組む。

 娘のクレティアは心底、驚いた。


 フランシス王太子と結婚すれば、彼とベッドを共にせざるを得ない。

 だが、私は断じて王太子殿下と肉体関係を持ちたくない。

 フランシス王太子が例の病に罹患しているのが、明らかだからだ。

 結果、私のみならず、生まれた赤ん坊にも悪影響があるに決まってる。


 それに、近いうちに王太子フランシス殿下が他の患者のように、寝たきりになって、全身に痣が広がり、皮膚が(ただ)れていくはず。

 となれば、たまたま奇跡的に性病が移らなかったとしても、私は妻として、王太子妃としてだけでなく、侍女たちと共に、看護師兼介護士の役割を押し付けられるに決まっている。

「お前には愛を感じない」「冷たい女だ」と私を罵って、別の女を褒め称える男の看病をする生活が、待ち構えているのだ。


 冗談ではない。


 お父様には心底、がっかりした。

 今現在、蔓延している性病について、最も良く知ってるのに。


 私は父レーモン・ギース伯爵を尊敬していた。

 看護師だった母が病没してからも、私に何不自由ない生活を送らせてくれた。

 王国一の医師であって、王宮にも仕えて、多忙であるにもかかわらず、朝晩、食卓を共にする際には、気軽に雑談を交わしつつも、医学についての知識をふんだんに与えてくれた。

 日夜、患者相手の実践治療に加えて、新たな治療法の開発のため、薬剤の調合や、論文の執筆にまで手を染める父レーモン伯爵の姿に、畏敬の念すら感じていた。


 だから、私は父の後を継いで、医学の道へ進みたいと思っていた。

 にもかかわらず、その崇敬する父レーモン・ギース伯爵が、


「フランシス王太子と結婚しろ、関係を持て!」


 と娘の私に迫る。

 父レーモン伯爵は、顎髭を撫で付けながら、言い募る。


「子供を産めば、お前の勝ちだ。

 我がギース伯爵家にとって、じつに名誉なことだ。

 王太子の子をーーそれも、必ず男の子を産むんだぞ!

 そうすれば、このトゥルージュ王国は我らのものだ!」


 完全に狂気の目で、私、クレティアを父は見据えていた。

 クレティア・ギース伯爵令嬢は打ち震えた。


(お父様は他の誰よりも、今、流行している性病の恐ろしさをわかってらっしゃるくせに!

 娘である私が、どうなっても良いと言うの?

 愛してはくださらないのですか!?)


 と、クレティアは心の中で叫んだ。

 が、口を突いて言葉にすることができなかった。

 唇を噛んで、うつむいてしまった。

 それぐらいショックだった。


 衝撃を受けて震える娘を相手に、父レーモンは、さらに自分の計画を口にした。


「いいか、クレティア。

 あの王太子は、もう長くない。

 お前もそれは勘付いているだろう?

 だから、その前に、必ず子種をお前の胎内に宿すのだ。

 そして、男の子を産むんだ。

 そしたら我がギース伯爵家は、王族の中枢に食い込んで、一生繁栄できる。

 名誉なことだ。

 じつはな、私は、もともと子爵家の次男坊でな。

 陛下が旅行中に病に伏せったのを助けた恩賞で、特別に伯爵位を賜ったのだ。

 次いで、今は亡き王妃殿下の担当医師になったおかげで、娘のお前を王太子殿下の婚約者にねじ込むことができた。

 私が伯爵となったときも、お前を殿下の婚約者としたときも、それはそれは様々な嫌がらせを受けたものだ。

 高位貴族から妬まれたり、怨まれたりした。

 それでも苦労の甲斐あって、元子爵家の次男坊の娘が、ついに王妃になろうとしている。

 これはとんでもない、奇跡的な出世なんだ。

 神様からの祝福だ。

 王国を担え、という神様から授かった使命なのだ。

 その神様からの使命が、いま、お前に託された。

 これは千歳一遇のチャンスなんだぞ!

 お前の息子が次期国王、そして俺は国王の祖父になるんだ!」


 耐えきれず、クレティアはついに顔を上げ、問いかけた。


「お父様。

 それでは、私はどうなっても良いのですか?

 私のことを何とも思わないのですか?」と。


 すると、尊敬するお父様は、満面の笑みを浮かべて、お答えになった。


「何を言っている?

 賢いクレティアになら、とうにわかっていることだろう。

 娘なんて政治の駒だよ。

 決まってるだろ?

 チャンスが巡ってきたら、使うに限るのさ。

 あははは」


 と言って、大声でお笑いになった。


 クレティア伯爵令嬢は弾けるようにして、立ち上がる。


(こんなところには、居られない!)


 と、強く、そのとき思った。

 動揺を深くする娘を目にしながらも、父は滔々と語り続ける。

 悲劇的な現実と、狂った計画を。


「じつは、ここだけの話、お前にだけ言うけど、国王陛下も罹っているんだぞ、例の病に。

 かなり以前から、王宮に踊り子を呼んで、遊びまくったからな。

 王妃殿下がおられるのに、堂々とした遊びっぷりだった。

 もっとも、病を得ると知っていれば、踊り子を抱くこともなかっただろうに。

 アハハハ!

 要するに、あの国王父子は、揃ってもうじき死ぬんだよ。

 そしたらお前が産んだ子供が国王になるんだ。

 私は国王の祖父だ。

 さあ、大変なことになるぞ、これからは。

 なにせ、八百年の歴史ある王国の中枢を、我らが担うのだからな。

 お前も頭が良いんだ。

 存分に王太子妃として、いずれは国母として知恵を働かせてもらうことになろう。

 そうなるためにも、お前は、絶対に男の子を産むんだぞ!」


 お父様は目を爛々と輝かし、堪えきれずに、また大笑いし始めた。


 父レーモンの狂態ぶりを目にしながら、娘のクレティアは考え込んでしまった。

 あんなに落ち着いて、穏やかだったお父様が、急にこんなおかしなことを口走るなんて。

 ひょっとして、お父様は、頭にまで病が感染しているんじゃないのか?

 いや、そうではない。

 頭ではなくて、お父様の心に、不治の病が巣喰ってしまったのだ。

 自分の名誉と我が家の繁栄のためだけに酔い痴れるーーそんな権力欲に取り憑かれてしまった。

 いつの間にか、心が狂ってしまったのだ。

 性病に罹患するよりも、恐ろしい。

 クレティア伯爵令嬢は、そう思った。

 だから、決心した。

 この家から一刻も早く、出て行かねばならない、と。


◆3


 クレティアが、父レーモン・ギース伯爵の狂態を見てから、三日後ーー。


 クレティア伯爵令嬢は住み慣れたギース伯爵邸から、馬車で逃走した。

 父の診療所で働いてた助手のロベールが、クレティアを逃亡させてくれた。


 ロベールが手配する馬車に、クレティア・ギース伯爵令嬢は男装して、使用人に扮して乗り込んだ。

 本来なら、未婚の男女が馬車に同乗するのは忌避されるが、今は非常事態だ。


 マロリー子爵家の三男であるロベールは、そっと私の手を取ってくれた。


「フランシス王太子殿下と肉体関係を持ったら、クレティアお嬢様にまで確実に感染してしまいます。

 お嬢様まで、あんな病に罹らせるわけにはいきません。

 なぜお師匠様も国王陛下も、それをご承知の上で、お嬢様を王太子殿下に縁付かせようとしているのか。

 理解に苦しみます」


「貴方の言う通りです。

 お父様はもはや、私が良く知るお父様ではありません。

 それこそ名誉欲、権力欲に取り憑かれて、正常な判断ができなくなった、心の病に罹った、手の施しようがなくなった患者と思わざるを得ません。

 もう、お父様のお近くには、怖くていられない」


 ロベールは、より真剣な顔付きとなった。


「お嬢様の身に危険が迫っているのは確実です。

 私は、何よりもまず、お嬢様の心と身体の健康を優先したく思います。

 ですから、私と一緒に外国に亡命してもらいます」


「覚悟して参りました。

 ですが、診療所の患者さんは、どうなさいますの?」


 現在流行中の性病患者のみならず、診療所では、大勢の入院患者や、通いの患者を抱え込んでいたはず。

 ところが、ロベールは哀しそうな顔をして、首を横に振った。


「残念なことに、その心配は必要ないのです。

 なぜなら、診療所はもう閉鎖されてしまったからです」


「え? どうして……」


 クレティアが目を丸くすると、ロベールは吐き捨てるように言った。


「お師匠様がーーお嬢様のお父様レーモン・ギース伯爵が、突然、診療所から患者を放り出したんです。

 代わりに、夜な夜な、変な貴族や王族たちを集めて、王位継承対策会議とやらを始めて、弟子である私にまで政治活動に参加するよう強要するのです。

 しかも、お師匠様から、

『治療するにも、薬を作るにしても、すべて王族のためにだけにしろ。

 平民はもちろん、下級貴族の者はことごとく無視しろ。

 薬も手間ももったいない』

 と言われました。

 お師匠様が狂われたとしか思えません。

 お師匠様があんな状態では、もう私も、この王国で仕事をすることはかなわないーー」


 自分と同様の体験を、ロベールも味わっていたのだと知って、クレティアは少し安堵した。


「でもーーこれから向かう先に、(アテ)があるのでしょうか?」


「私の留学先だったラビリ聖公国です。

 隣国ストイム王国の、さらに北方にあります。

 ラビリ聖公国は医学が進んだ先進国で、私が学んだ恩師に、お嬢様の置かれたお立場をお話すれば、きっと(かくま)ってくださいます。

 ですが、潜伏するとなると、悪くすれば、お嬢様が貴族の身分を失ってしまうかもしれませんが……」


「構わないわ。

 死にたくないもの」


「ありがとうございます。

 ですが、その恩師も、お嬢様のお父様の兄弟子に当たるので、捜索の手が伸びてくるかもしれません。

 恩師に迷惑がかかるようでしたら、次の手として、修道院付きの教会に駆け込むことになるかもしれません。

 聖公国では、修道院は治外法権であることを認められております。

 彼の国は女子と男子で修道院が分かれておりますが、日々のお勤めさえ果たせば、衣食住は保証されます。

 しかも、様々な技能資格を取得することが奨励されておりますから、資格勉強中は修道院から学校へ通うこともできるのです」


 突然の逃亡だというのに、ロベールは色々とすでに手を打っているようで、クレティアは素直に感心した。


 常々、ロベールのことは、優秀で、頼もしい人だとは思っていた。

 診療所での仕事もテキパキしていて、小さい子供や女性にも優しいし、その端正な顔立ちと爽やかさが、職場に良い空気を醸し出していた。


 彼の温かな手に触れると、つい気が緩んでしまう。

 こんな状況なので、クレティアは不覚にも、つい泣いてしまった。


「お、お嬢様。いかがなさいました!?」


 驚いて、さらに強く手を握るロベールに、クレティアは笑顔を見せた。


「ありがとう。

 貴方の心遣い、とても嬉しく思います。

 今まで私は、王太子殿下から、

『君は冷たい人間だ』

 と罵倒され続け、お父様からは、性病になった王太子の許に嫁いで、跡継ぎを産めと強要されてきました。

 そんなときに、初めて、優しい声をかけてくださったのが、貴方なのです」


 クレティア伯爵令嬢は、もうこの人についていくしかないと思って、


「これからのこと、よろしくお願いします」


 と、自分の方から、強く手を握り返した。


「任されました。安心してください。

 我が身に替えましても、お嬢様をお守りします」


 ロベール・マロリー子爵令息は、私を強く抱き締めてくれたのだった。


◇◇◇


 ラメール・ダニエル男爵令嬢が亡くなったのは、クレティア伯爵令嬢とロベール・マロリー子爵令息が国外逃亡した後のことだった。


 それまで、王宮に(かくま)われて治療を受けていたが、ラメール男爵令嬢の最後の様子は、酷いものだった。

 鼻がもげ、眼窩の窪みが深くなり、身体中から悪臭を放っていた。

 赤黒い斑点が全身に広がり、見るも無残な身体となり、一日中、部屋に閉じ籠るしかない生活を送っていた。

 食欲もなく、寝た切りとなった。

 ところが、死の前日、生命が風前の灯となったとき、ベッドの上で両眼をカッと見開いて勝利宣言をしたという。


「ざまぁみろ!

 私だけ、独りぼっちで死にはしないわ。

 皆、道連れよ!

 ほほほほ!」


 街中のダンスホールで、大勢の男性と逢引きした「踊り子令嬢」の最期の言葉であった。



 ラメール・ダニエル男爵令嬢が力尽きてから一年も経ずして、今度は国王ジョルジュ・トゥルージュと王太子フランシスが続けて亡くなった。


 おかげで、トゥルージュ王国は未曾有の混乱に陥った。

 空席となった王位を巡って、宮廷闘争も激化し、王国貴族同士で乱戦が展開した。


 医師レーモン・ギース伯爵は、その最中に、王弟派の騎士に「国賊」として誅殺された。

 本来なら治療すべき患者を見殺しにした、そればかりか、性病の流行も、自らの権力獲得のために放置した、と言いがかり同然に糾弾された。

 その結果、自宅に逃げ込んでいたレーモン伯は騎士団に急襲され、槍で突き刺され、首を刈られたのである。

 死顔はみっともなく、泣き崩れた状態だったという。



 その後もトゥルージュ王国の混乱は続き、周辺諸国からも、「王位継承権がある」と主張する、王族の親戚が相次いで押し立てられ、各地で紛争が勃発した。

 十年以上に渡る混乱を経て、結局、トゥルージュ王国の王位を継承したのはラビリ聖公国の聖職者ダンケであった。

 亡き国王の遠い親戚に当たる存在だ。


 ちなみに、ダンケ新国王の許には優秀なお抱え医師夫妻がおり、特に医師の妻で、クレティアと称する修道女から還俗した女性が、トゥルージュ王国の水先案内人となって、聖公国が王権を奪取することに貢献した。

 ダンケが新王に即位するとすぐに最先端の医術に基づいた診療所が王都の中央に建設され、例の医師夫妻が責任者となって、身分の区別なく患者を迎え入れたという。


(了)

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