2話-街へ
ド遅筆です なんとなく街の喧騒をイメージして曲の落書きをしました→https://youtu.be/FhFfZ3eZPY0?si=oPGPuH4iJ2PAks8c
水の王国・スオミの首都、キアノス。
国土の十分の一にも及ぶ大湖の畔に築かれ、古くから交易の要所として栄えてきた歴史ある街である。
百を超える大小の島々と、それらを囲む無数の運河が織りなす景観は人々を魅了してやまない。
今やキアノスは、大陸中から観光客が集まる一大都市となっていた。
島々を繋ぐ水路では、渡し船や遊覧船が行き交い、湖の風をはらんでゆるやかに水面を進む。
宮殿や中央広場へと続く煉瓦造りの大通りは、朝から晩まで観光客の人波で賑わっていた。
「相変わらず、ここは賑やかだね。僕は基本的に外に出ないから、この喧噪も随分と久しぶりだ。」
「私はよく来るので慣れましたが…
モルガナ卿は政庁の宿舎にお住まいなのですか?」
「いや、ここから五分ほど歩いたところにある小島だよ。」
モルガナは肩をすくめると、気軽な口調で続けた。
「それと、僕には敬称も敬語もつけなくて構わない。直属の上司ではないし、歳は君の方が上なのだろう?」
ルミは少し困ったように眉を寄せ、言葉に詰まりながらも口を開く。
「ですが、その、世襲権を持たぬとはいえ、星読みの長は宮中伯相当の権限を持つ貴族であるということ存じています。
私も、一応は士爵を賜った身ですので、その、対外的な体裁というか……」
士爵としての立場をわきまえての発言なのか。
それとも、同年代の異性と必要以上に近づくことを避けたいのか。
おそらくそのどちらか…いや、両方かもしれない。
モルガナはそう思い至り、自身の浅慮を少し恥じた。
「ああ、気を悪くしたならすまない。
ただ、長い旅路を堅苦しく過ごすのも息が詰まるだろうと思ってね。できれば、これからは友人として、もう少し気軽に接してもらえたらと考えたんだ。」
「…確かに、六国を巡る旅となれば、行程は最低でも二年。目的を考慮すればそれ以上は確実。
おっしゃることには一理ありますね。
…ただ、私の敬語は癖ですので、あまり気になさらないでください。」
「ふふ、真面目だね。」
通り過ぎる観光客のざわめきと笑い声、湖を渡る涼やかな風の音に紛れて、束の間の静寂がふたりの間に落ちた。
「さて。」
ルミが歩きながら、少しだけ姿勢を正す。
「店に着く前に、必要な物資を一度洗い出しておきましょう。」
「ある程度はわかるが、細かい部分は任せても良いかい?僕よりも、君のほうがずっと詳しそうだ。」
「ええ、もちろんです。」
「さすが、頼もしいね。」
モルガナは楽しげに笑って頷いた。
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ふたりはキアノス中央市場の外縁部へと足を運ぶ。
観光客向けの賑やかな露店から少し外れた一角には、軍や旅商人、学術隊らが愛用する、機能性重視の品々を揃える質実剛健な店が並んでいる。
中には「六国の珍品が揃う」と評判の老舗道具屋もあり、ルミにとっては軍に所属して以来、たびたび訪れてきた馴染みの場所だった。
「まずは最低限の携行品ですね。
長旅となれば、軽量で堅牢、なおかつ修理がきくものが望ましいです。」
「ふむ、その辺の目利きは任せるよ。」
ルミは店先の荷車に積まれた装備を見回しながら、淡々と品を選び始める。
「まず防水加工が施された帆布製のポンチョとマントですね。これは寝具としても代用可能ですので、一人二着ほど購入しておきましょう。」
「それと服に関しては、一応シャツとズボンを数着購入しますが…目線や恰幅などは私と殆ど変わらなく見えるので、同じサイズで良いでしょうか?」
「構わないよ。というか、言われるまで意識してなかったけど、確かに殆ど目線同じだね。流石に筋肉量に関して敵わないけれども。」
「まあ軍人は給金をいただいて身体を鍛えている面も有りますからね…
そういえば、モルガナ様……さんは魔法で火はおこせますか?」
「もちろん。しかし僕の使う魔法についてだが、火力には期待しないでくれたまえ。生活がほんの少し便利になるくらいと捉えてくれれば良いさ。」
「火が付くのであれば火力は問題ありません。
ただ、念のため携帯火打石と火口布を一つ買っておきましょう。」
「ふふ、火おこしは任せたまえ。」
「お言葉に甘えさせていただきます。
では、木の器と鉄製ナイフ、それから乾燥携帯食と水筒ですね。」
「ああそうだ。水筒だが、そんなに大きくなくても大丈夫だよ。」
「…それはなぜでしょうか?」
「大容量である必要性は、移動中に安定した清潔な水分の供給が困難だからだろう?
だが僕は、魔法研究の副産物として、雪解け水ほどに澄んだ水を大量に生成できる。」
「飲めるのですか?」
「もちろん。僕自身も飲んだし、他の人にも試してもらったが、問題は一切なかったさ。」
「では、小ぶりのもので十分ですね。しかし、その魔法を使える人が私の部隊にも欲しいです。本当に。」
「ふふん、いい副産物だろう?
その魔法の本領については、旅の途中で披露してあげるよ。」
「ええ、ぜひ。楽しみにしています。
あとは撥水性の高いテント、折り畳みスコップ、麻紐などのツール類に、地図…だいたいこんなところでしょうか。残りは……」
何かを思い出したように振り返ったルミの視線の先で、モルガナが店の奥に展示された奇妙な箱を指差した。
「これ、“ヴェレント・バックパック”だ。」
「……ヴェレント、というと、鉄の国の職人集団でしたか。これは初めて見るバックパックですね。」
「これはね、見た目は革製のバックパックだが、外観の十倍近い容量を持つんだ。製造方法が機密情報だから、詳しい仕組みはわからないのだけれどね。」
「実質的には背負える荷車ということですか。素晴らしい品ですね。」
ルミは感心したように蓋を開け、中を覗き込んだ。
格子状の仕切りの下には、何層もの収納部が隠されており、棚を引き出すようにして物を収納できる仕組みになっている。
内部には軽量化と堅牢性の工夫が随所に見られ、精緻な刻印が美しく彫り込まれていた。
「これ、かなり品薄らしくてね。鉄の国以外にはほとんど出回らないそうだ。高価ではあるけど、物資が増える長旅には非常に有用だろう。」
「なら、買うべきでしょう。妥協せず良い品を選んで道中の労力を減らすのも、旅の重要な準備です。」
「だね。僕もこういうときは妥協しないタチなんだ。」
モルガナは軽やかに言い、ためらいなく商人に購入を告げた。
「では、あと一店舗。薬草と保存用香油の専門店へ向かいましょう。」
「了解。頼りにしてるよ、ルミ先生。」
「…調子が良い人ですね。」
ふたりは人波の間を縫うようにして、次の目的地へと足を向けた。
旅はまだ始まっていない。
だが、彼らの背には、すでに幾つかの物語の種が、静かに芽吹きはじめていた。