婚約破棄地獄変 猛将伝
「クルト・アラービ・キーウィンナーの名の下に告げる!
ハイデマリー・ハクサ・イタヴェール! お前との婚約を破棄するッ!!」
「…………そう」
ああ、そうか。
それが……貴方の答え、か。
「……これで、お前はもう自由だ」
「ふぅん」
……自由、ね。
「僕にこれ以上付き合う必要は無い。早く行ってくれ」
「そうね」
「生きてくれハイデマリー……どうか、お前だけでも」
「ええ……そう、ね」
そうか、これから先は私だけで……私一人だけで生き続けろと言うのか。隣に貴方のいない、私一人だけの孤独の中で、残りの一生を……ずっと……。
「……行け、ハイデマリー!」
「……わかったわ」
身体を後ろに向ける。もう二度と彼の顔を、姿を、私の目に映すことは無い。
「愛している! ハイデマリー!」
「私もよ。愛してるわクルト」
振り返りはしない。絶対に振り返ってはいけない。ここでためらえば彼の決意を無駄にすることになる。だから私に迷う暇など無い。無いのだ。
私は、城の地下から下水道へと繋がる隠し通路に向かって駆け出して行った。
彼をその場に残し、自分一人だけで。
「さようなら、クルト。いつかあの世でまた会えることを楽しみにしているわ」
何となく、独りごちる。
……私がこれから為そうとしていることを思えば、死後の私が天国に辿り着けるとは到底思えないけれど。
* * * * * *
こうして私たちの祖国、ミモレット王国は陥落した。
お隣の軍事大国であるカマンベイル帝国の理不尽な侵略によって。
元々ずっと前から、あちらさんはいつか機を見て、こちらの領土を乗っ取る腹積もりだったのだろう。
ここ数十年ばかりの平和的な外交など上っ面だけのものでしかなかったわけだ。
帝国がこちらに対して、何の遠慮も無い武力行使に乗り出した最大の要因となったのが……まさか伝説に語られる「聖女」の出現だとは夢にも思わなかったが。
……聖女。女神の力の代行者。
人間離れした絶大な魔力を保有し、人や物に「加護」を与えることで、その力を限界以上に引き出すだの何だの……。
アミー・オマンジュ。現代のこの世界に降臨した聖女の名。
生まれ自体は単なる平民の、ごくごく平凡な少女でしかなかったはずだと聞いているが……。
…………。
………………。
聖女アミー、か。
なんともまぁ……心の中で字と音を思い浮かべるだけでも反吐が出る響きだ。
その女は聖女の力を秘めていることが発覚するなり、早々にカマンベイル帝国の支配者階級の目に留まり、手厚く保護されたらしい。
一体どれ程の好待遇でもてなされたのかは知らないが……よくもまぁ、ここまでやってくれたものだ。
まさか「治癒の加護」を帝国軍の兵士たち全員に片っ端から付与しまくることで、いくら傷を負っても簡単に再生するとかいう不死身の軍団を作り出すなんて。
なんと醜悪な発想か。考えたのはあの女本人か? 帝国軍人か? まぁそれはこの際どちらでもいいが。
そもそも聖女の魔力とやらは大国の軍隊を丸ごと全部超人に作り替えられるほどの量があるのか?
無尽蔵にも程があるだろう。おぞましい。一般的な回復魔道士を一万人や二万人揃えたって、そんなふざけた真似はできまい。
とんだ超兵器だ。このような化け物が「聖女」「女神の代行者」などという無駄に輝かしい肩書で呼ばれているのかと思うと虫酸が走る。
そうして出来上がった不死身の侵略者たちは、私たちの国をいとも容易く蹂躙した。
いくら剣で斬ろうが矢で貫こうが魔法で燃やそうが、一瞬で全部元に戻る怪物の大軍勢など、どうやって対処せよと言うのか。
帝国軍はもう人間じゃない。全て化け物だ。全員、一人残らず、化け物だ。
化け物の大軍団を作り出したその偉大な聖女様とやらも含めて……あの国には、もう「人間」は一人もいない。
あの国は……人間の世界を侵蝕する、最悪の化け物共の巣窟だ。
私の婚約者だった、ミモレット王国の第一王子クルトは最後まで抗ったが……私はその死に目にも立ち会えなかった。
彼の最期を見届けることすらできなかった。土壇場で婚約を破棄してでも私一人だけが逃がされたから。
あの時、彼は私を自由にしたと言っていた。
敗戦が確定した国の王族などまともな末路を辿るわけがないし、王子の婚約者という立場のままでいれば私にも飛び火するのは免れない。
だから私と彼の婚約は破棄されたということである。
私は彼に生かされた。彼自身を犠牲にしてでも。
……しかし、彼は本当にちゃんと考えていたのだろうか。
彼を失った後の「自由を得た私」とやらが具体的にどうやって生きていけば良いのかということを。
本当にちゃんと考えていたのだろうか。
…………もう、本当に、ちゃんと……考えていたのだろうか、彼は。
私はたった一人でも彼と祖国の敵討ちを決意するという愚かな道に突っ走る、その可能性を。
* * * * * *
「終わりね」
うつ伏せに倒れ伏した敵将の首筋に剣を突きつける。
既に両脚も切り落としたので、絶対に立ち上がることはできない。
「ブルトガング・ディカー・イナーベ将軍。なかなかのお手前だったわよ」
「ッハァ……ハァ……ッ……!」
「私には及ばなかっただけで」
今日もまた全身が返り血まみれだ。最初は胸糞が悪かったが……もう慣れたものだ。風呂ぐらい時間ができたらゆっくり浸かればいい。
戦争は人を狂わせるというのはこういうことらしいな。今の私は……ヒトを剣で切り裂くことに最早何の感慨も無い。
まぁ、帝国軍なんて全員、最初から人間とは思っちゃいないが。
「何か言い残すことはあるかしら? 最期にね」
剣先をごく僅かに敵の肌に刺し込み、出血を確認する。
その傷は再生しない。そもそも両脚も治らない。私の剣で斬った傷だから。
「……地獄に落ちろ、悪魔が……ッ!」
「あっそ」
スパッと剣を振り払う。
首を刎ねてやったから断末魔の叫びなんてものは無い。
今日もつまらない戦いをした。帝国軍なんて結局は不死身の加護に頼り切っただけの羽虫の集まりに過ぎなかったようだ。
加護を無力化するこの魔剣さえあれば、私の敵ではない。
謎の暗黒錬金術師ナムイさんから託された、この黒金の魔剣さえあれば……帝国軍狩りなど、ただの雑草抜きも同然。
……そう、奴らは雑草。刈り取って捨てるだけのゴミ。
全部ブッタ斬ってやる。
全部、全部、全部、八つ裂きにしてやる。
彼と、私たちの国が受けた痛みを……千億倍にでも千兆倍にでも増やして……奴らに全て叩き込んでやる。
今のうちに命乞いをする準備でもしておけばいい……聖女アミー・オマンジュ。
私の牙は、今にもお前の喉笛を引き裂きに行く。
私の怒り、恨み、憎しみを……こんなゴミクズの寄せ集めで、食い止められると思うな。
辺り一面に散らばる大量の屍共を適当に踏み越えながら、私は次に向かっていった。
* * * * * *
「た、隊長ッ、奴ですッ!!」
「ハイデマリーだァァァァァァッ!!」
「逃げろォォォォォォオオオッ!!」
「ば、馬鹿野郎逃げるんじゃねぇ!! 敵前逃亡は死罪だぞッ!!」
「うわあァァァァァァァァァアアアアッ!!」
「ひいィィィィィイイイイイッッ!!」
「戦え!! 戦えクズ共が!! 帝国軍はッ――――」
「母さ――――」
「ごきげんよう、カマンベイル帝国軍の皆さん。貴方たちが私たちの国に沢山、沢山贈ってくださった……『死』というお土産を、今たっぷりとお返しさせていただくわ」
私が横一回転に剣を振り抜いて斬撃の波を飛ばすと、周囲一帯のカス共の上半身が軒並み千切れ飛んでいった。
目につく範囲でもまだ微妙に生き残ってる奴もいるが……まぁ、特に問題は無い。
どうせ全員真っ二つにするから。
「悪魔め……!!」
「オレの兄貴を……返せェッ!!」
「嫌だ、死にたくない……死にたくないッ……!!」
「なんでだよ……オレたちは不死身になったんじゃなかったのかッ……!?」
「うぁ……ぁ……ぅ……ぇ……っ……」
「……コロシテ……ヤル……ッッ!!」
「おい、あっちに逃げ遅れた民間人が……!!」
「何……!?」
それにしてもさっきからうるさいな。
「ママッ! ママァッ!!」
「うあああああああんッ!!」
「クッソッ……民間人までお構いなしかよあの女ッ!!」
「止めろ!! 絶対に食い止めろ!!」
「無理ッス!!」
「クソボケェッ!!」
「畜生がァァァァァァアアアアッ!!」
「ぼ、ぼくだけでも見逃してくださぁい……奴隷でも何でもやりま――――」
飛ぶ斬撃を延々連射しながら町を前進していく。単調すぎてあくびが出そうだ。出さないけど。
そろそろ皇帝の居城も見えてきたのに、最終防衛線ですらこの程度なのだろうか。
「血も涙もない悪魔がァッ!!」
「どれだけ殺してきたんだッ!!」
「クソッ……クソッタレがァッ……!!」
「カマンベイル帝国に栄光あれェェェェェェエエッッ!!」
「無理だ……無理だぁ……」
「嘘だ……夢なら早く覚めてくれよ……」
「お母さんとお父さんを返して……返してよぉ……」
「みんな早く逃げろォォォォッ!!」
「死ねェェェェェハイデマリィィィイイイッッッ!!」
……さて、そういえば私はこの国でどれだけのクズ共を殺してきたのだろうか。今更数えるのも馬鹿馬鹿しい話だが。
何せこの魔剣は奪った命の数だけ成長し、吸い取った恨みつらみの数だけ強く鋭くなっていく。
生きてるだけで世界中の資源を無駄遣いする帝国のダニ共など、私の剣の生贄になってくれた方が余程有意義というものだ。
武装した軍人だろうが丸腰の民間人だろうが関係は無い。老若男女も貴賤も区別しない。こいつら全員一匹残らず漏れなく、この剣の栄養になればいい。
侵略と搾取で得た豊かさをダラダラと享受してきた、この帝国首都の連中など、特に……ね。
「殺さないでください……殺さないで……」
「お願いします……命だけは……」
「ひっ……許して……許してぇ……!」
「お前のせいで……お前のせいでぇ……っ!」
「死ねッ……この悪魔がッ……地獄に落ちろッ……!!」
「そんなに人殺しは愉しいかよッ……!?」
「王国の悪霊が……ッ!!」
「この子だけは……せめて……この子だけは……」
「降参! 降参です! ほら僕は剣を捨てましたよ! それでも僕を斬――――」
くだらない。
くだらない。
くだらないくだらないくだらないくだらないッ!
貴様ら帝国軍は以前私たちの国に攻め込んだ時、そういった悲鳴と命乞いをどれだけ踏み潰してきた。
もう全てを忘れたのか。いざ自分たちが攻め込まれる側に回った途端にもう被害者気取りか。
浅ましい。卑しい。醜い。気色悪い。
最早虫けらと呼んでやることすらおこがましい。野生で健気に生きる蝶やトンボやゴキブリその他諸々に失礼だ。
こんなゴミクズ共は一匹たりとも残らず、この世界から排除し尽くさねばならない。
一刻も早く。一秒でも早く。殲滅する。全滅させる。消滅させる。
「そこまでだ魔剣士ハイデマリー! この聖騎士ローデリッヒ・ディーン・シーレンジーが相手――――」
「やかましい」
何か意気揚々と飛び出してきたちょっとデカいのを縦一文字に両断しておく。
……帝国ってつくづく好きなのねぇ、「聖」の字が。
忌々しいことこの上ない。
「……投降する、これ以上無駄な犠牲を」
もう一つまた偉そうなのが両手を挙げていたが無視して斬り捨てる。
「殿下ァァァァァッ!!」
……あ、今のって帝国の皇子か何かだった? まぁ……別にいいけど。どうせ全員殺すし。
とにかく、そろそろ城に到着だ。
聖女アミーは今頃、土下座の口上でもちゃんと構想してくれているだろうか。
どれだけ盛大な命乞いをしてきた所できっちり抹殺するが。当然ながら。
* * * * * *
「……あらぁ……とうとうここまでご到着なさったのねぇ」
…………ああ。
ようやく会えたらしい。
「初めましてハイデマリー・ハクサ・イタヴェールさん。お噂はかねがね伺っておりますぅ」
そうか、あいつが。
あいつが。
……あいつ、が。
「アミー・オマンジュです、どうもどうも。まぁ、わたしの名前ぐらいは既にご存じかとは思いますけど、一応ね」
この女が。
私が、ずっと追い求めてきた……。
「……初めまして、聖女アミー・オマンジュさん」
彼と、ミモレット王国の……。
「そしてさようなら」
仇。
しかし私が放った、床を抉り取りながら突き進む特大の斬撃は……途中で立ちはだかった一人の騎士によって弾かれてしまった。
「……ふぅん、ちょっとは歯応えのありそうなのが残ってたのね」
女の騎士だった。それも私より少し背が低く、まだ若い顔立ちの。
「出会い頭からの不意打ちとはな」
「騎士の決闘の礼儀なんてやつに私が合わせてやる義理は無いからね。これは戦争よ? ごっこ遊びなら平和な時分にでもやっといてくださる?」
「……まさにその平和を乱しに来たのは貴様の方だろうが、ハイデマリー・ハクサ・イタヴェール……!」
……いちいち名前を呼ばないで欲しいんだけど。耳が腐るから。
ちょっと腹が立ったのでもう二連発ほど斬撃を飛ばしてあげたが、それも奴の持っていた剣で簡単に防がれた。
もうアミーはすぐそこにいるというのに邪魔くさいな、この女。
「ちょっとちょっと、ハイデマリーさん、そんなに慌てないでくださいよぉ」
アミーの方まで無駄に甲高い声で私の名を繰り返し呼んでくるのがまことに鬱陶しい。
……ところで何で平然と玉座に腰かけてるんだこいつ。あれって皇帝とかが座る椅子じゃないのか?
「あなたには是非、会わせて差し上げたい方がいるんですから」
「知るか」
遠距離攻撃だけじゃ片付けられなさそうな敵が久々に現れたので、私はとりあえず問題の女騎士に急速接近して打ち合いに持ち込んだ。
アミーの話とやらはこの際どうでもいい。
「貴様ッ、少しは聖女様の話を聞いたらどうだ!?」
一撃目は難なく受けられたが、すぐさま二の太刀、三の太刀へと繋いでいく。
金属同士がぶつかる音が繰り返し鳴り響く。
私の剣にここまでついてくるとは、これは久々の上物かもしれない。
……まぁ……。
「こ……のッ……!!」
だから何だという話なのだが。
「……ッ!?」
相手の剣を斜め上に弾き飛ばす。
そうしてガラ空きになった所を、即座に。
斬る。
「……何!?」
これで障害は排除し終えた、かと思えば。
女騎士の身体はまだ千切れずに繋がっていた。
床に血もこぼれていない。
「無駄だ! ハイデマリーッ!」
奴は腰にもう一本下げていた剣を抜き、平然と打ち合いに戻ってきた。
おかしい。何故斬れていない。
「私は殺せんぞッ! その魔剣でもなァッ!!」
何かふざけたことを抜かしているが、それはもうどうでもいい。
一発で死なないなら……。
「うるさいのよ」
何発でも斬ればいいだけだ。
「あらあら、本当にせっかちな人なんですねぇ、ハイデマリーさん……」
四回は斬ったが未だに傷一つついていない。
今度ばかりは私の魔剣ですら斬れない、本物の不死身の超人だとでも?
……ふざけたことを。
「諦めろハイデマリーッ!!」
本当にいちいちうるさい。敵の分際で何度も何度も私の名を気安く呼んで。
そして頭から叩き割るように「五回目」を入れてやった……が。
奴は最早こちらの攻撃を防ぐことを完全に捨てていた。
「ッるァァッ!!」
奴はわざと己を斬らせながら、剣を振り抜いた瞬間の私に対して、両手持ちの横薙ぎを無理矢理介入させてきた。
「チッ……!」
後ろに飛び退いてギリギリでかわす。今のはちょっと危なかったな。
「無駄だと言っているんだ。百回だろうが千回だろうが何度斬られようと私は死なん」
「ああそう……じゃあ一万回ブッ殺してあげる」
「そこまで貴様の体力が持てばの話だがな!」
今度は向こうから突撃してきたので応対する。
……しかしどうしたものか。口ではああ言ったが流石に一万回は現実的に無理がある。
私は確かに奴の身体に致命打を与え続けている。何故効かないのか。何かカラクリがあるはずだ。
とりあえずは「六回目」をくれてやった、が。
奴は捨て身のゴリ押しに味を占めたらしく、再び私の攻撃後の隙に割り込んできた。
「…………面倒ね」
再びギリギリで凌ぐ。
奴の太刀筋は既にほとんど見えている。防げるには防げるが……。
まずいな。思ったより状況がよろしくない。
「どうした! 私を一万回殺すんだろうが!」
このままではジリ貧になる。結構久しぶりだな、こういう手こずり方。
飛ぶ斬撃が出来上がってから、苦戦らしい苦戦なんてほとんど無くなってたから。
「今こそ貴様に殺されてきた我が帝国人たちの恨みを――――」
「は?」
考えるより先に身体が動いていた。
奴の反応が一切追い付かない速度で首を刎ねる。
しかし首と胴が離れない。なので仕方なく頭を蹴り飛ばす。
奴が床にブッ倒れた所に即座に飛び乗る。
「う゛……ッ!」
腹を踏みつけながら、奴の上半身を。
斬る。
斬る。
斬る。
斬る。
斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って斬って……。
「無、駄、だァァッ!!」
奴が仰向けの姿勢から右手の剣を無理矢理振り上げてきたので、また飛んで退避する。
「クソッ……!」
悪態をつきながらも奴が再び立ち上がって来る。相変わらず無傷だし、床には血の一滴もこぼれちゃいない。
……本当に不死身か。ふざけてるな。
…………このままじゃ本当に一万回ブチ殺しても死なないかもしれないな、これ。
「ちょっとぉ、ハイデマリーさんってばぁ」
奴の後ろ側から再びアミーの耳障りな声が聞こえてくる。
目の前のこいつさえ片付けばすぐさまお前の首を刈り取りに行くというのに、何だその気色悪いほど甘ったるい音程は。
「いい加減わたしの話を聞いてくださいよぉ、会わせたい方がいるって言ってるじゃないですかぁ」
知ったことじゃないんだが。
「ルシア~、あなたもちょっと負けそうじゃないのよぉ、どうすんのよ」
「ご心配無く。私は死にませんから。貴女様の加護のおかげで」
「死ななくても剣ではさっきから負けてるわよ?」
「……あれだけ動けばいずれ奴の体力は限界を迎えます。私は殺されても死にませんが、あの女は一回でも急所に入れば死にます」
「む~」
……この女騎士の名前はルシアというのか。まぁどうでもいいが。
ともかく、聖女の加護で不死身になっているのは確からしい。
ただそれだけなら今まで殺してきた帝国兵の連中と変わらないはずなのだが……加護の強度が今までとは段違いなのか?
「……私の魔剣ですら貫通できなくなるほど強力な加護を、そのルシアって女にかけたわけ?」
「は~い正解で~す、ハイデマリーさん、あったまい~い」
……本当にイライラするな、この声。今すぐ地獄の最下層まで叩き落としてやりたい。
「ここまで強化してあげるの、流石のわたしでも結構疲れたんですよぉ。でもその甲斐あったでしょ。どうです、この不死身ぶり!」
「恐縮です、聖女様」
まぁ確かに辟易するほどしぶといが。
帝国軍一般兵連中が受けていた加護は、質より量で雑にバラ撒いただけだったということだろうか。
まったく、私の一番の標的であるところの聖女アミーはもうすぐそこにいるというのに、こんな所で苦戦している場合じゃないんだが。
「そういうわけなんでハイデマリーさ~ん、これ以上ルシアと戦ったって無駄なのはもうわかったでしょ~?
その物騒な剣はさっさと捨てて、わたしの靴の裏でも舐めてキレイにしてくださるんなら許してあげなくもないですよぉ~?」
……何言ってんだあいつ。
「聞いたかハイデマリー、今すぐ聖女様の寛大さを身に染み込ませて床に頭をこすりつけるといい」
ルシアとかいうのも、こっちもこっちで何か意味不明なことをのたまっている。
こんな気色悪い雑音をこれ以上聞いていたら私の脳が腐る。早く殺さないと。
話し込むのも時間の無駄だし、再度剣を構えて前進する。
「聞く耳持たずかッ……!」
結局また剣の打ち合いに戻る。
しかしどうやって攻略すべきか……。
「……まったく、そのせっかちさは昔から変わらないなぁ……ハイデマリー」
「…………え?」
……今の声、って。
今、私の名前を呼んだ声は。
アミーでもルシアでもなく、今聞こえた男性の声は。
何かの聞き間違いか? 幻聴か? いやしかし……。
その声は……。
その懐かしい、声、は……。
「はァッ!!」
「ッ…………!!」
剣戟の真っ最中に眼前の敵から意識を逸らすとは何事か。
油断した。本当に馬鹿みたいに油断した。
私の腹にルシアの剣先が食い込んだ。
「づッ……!」
背中まで貫通する前に後退したが……今のはどこかしらの内臓をやっている。まずい。
腹から血が止まらない。
「おお~、ルシア一本取ったじゃ~ん」
アミーの声が耳障りだ。いちいち茶々を入れないと気が済まないのか。
「……選べハイデマリー。その忌々しい魔剣を捨て、這いつくばって聖女様に許しを請うか、それともこのまま私に殺されて晒し首になるか!」
ルシアもたかだか一撃入れることに成功した程度で図に乗り過ぎだろうが。
この程度の窮地で私の心が折れるとでも思っているのか。
そんなふざけた二択に対する私の答えなど決まっている。
全員ブチ殺して私が勝つ。それだけだ。
……だが、そこに。
「まぁ待てよルシア」
再び、あの男性の声。
「僕もハイデマリーとは話しておきたいことがあるんだから……殺す前にね」
「…………!?」
二度目だ。今度は聞き間違いなんかじゃない。確かに聞こえた。
私はこの声を知っている。聞いたことがある。
忘れるわけがない。私のよく知った声だ。間違うはずもない。
この声を、私が……忘れるはずも……ない。
「ハイデマリーさーん、さっきから会わせてあげたい方がいるんだって言ってるのに全然聞いてくださらないからぁ、もうご本人からぁ、はいっ、どうぞ!」
何だ。どういうことなんだ。
アミーが挙げているその人物とやらは、まさか。
まさか。
そんな。
「ははっ、やれやれ……久しぶりに会えたなぁ……」
アミーが座っている無駄にデカい玉座の後ろから、一人の男性が姿を――――
――――嘘だ。
ありえない。
「ハイデマリー」
嘘だ。
どうして。
なんで貴方が、どうして、なんで。
なんでッ……!!
「クルトッ……!?」
嘘だ。
彼はとっくの昔に死んだ。こんな所にクルトがいるはずがない。嘘だ。なんでそこにいる。
クルトは私一人だけを逃がすためにあの時自分の身を犠牲にした。そうだ、彼は死んだ。死んだんだ。
何なんだ、このタチの悪い幻覚は。幻覚だと言ってくれ。そうなんだろう?
彼は私のために死んだ。どうしてこんな所で再会するんだ。今まで一体何をしていた?
……ああ、そうだ。今まで彼は、一体、何を、していた……?
……腹の痛みが身体の芯まで響いて来る。寒気を感じ始めている。このままじゃまずい。まずいが。
それどころじゃ、ない。
「……くくっ……」
クルトの笑い声が聞こえ…………何?
笑っているのか? 今この状況で?
「くははははははっ!!」
クルトは笑っているのか? 私の今の状況を見て? 腹を刺されて身体が脱力しかけている私の姿を見て?
あの、クルトが?
私と愛し合ったはずの、あの……クルト、が?
戦いの真っ只中に傷つき、膝をつくのを何とか堪えている私を……あざ笑っている……?
「実にいい顔をするじゃないかハイデマリー! その表情を見られただけでも帝国についた甲斐があったってもんだ!」
……は?
「僕はとっくの昔っからアミーに鞍替えしていたとも知らずにいつもいつも僕に付きまとってきて! 本当に鬱陶しい女だったよ!
どうせ僕のことはあの時死んだものだとでも思ってたんだろうが違うんだよなぁ! あの時もう既に僕は父上の首を手土産に帝国につくことを密約済みだったのさ!」
は?
「王国が落とされた日にお前一人だけ逃がしてやったのは一応元婚約者としての最後の情けのつもりだったが、いやまさかここまで滅茶苦茶やる女だったとはな!
なぁハイデマリー! 『僕の敵討ち』は愉しかったか!? どれだけ殺した!? この殺人鬼が!! こんな本性を隠してやがったなんてもっと早く婚約破棄してやるべきだったな!!」
…………。
「カマンベイル帝国は最高の国だ!
もし僕があのままつつがなくミモレットなんて弱小国の王位なんか継いでたら、隣の帝国にペコペコ頭下げてご機嫌取りに追われるような日々を送っていたのかと思うと寒気がするね!」
………………うるさい。
「だからいっそ大陸全部をこの最強国家カマンベイルが支配しちまえば盤石の世界平和が出来上がるはずだったってのによ!
それをお前は何だハイデマリー! 何だよその剣! 加護殺しの魔剣だか何だか知らないが好き放題やりたい放題やりやがって! お前は世界の敵だ! 悪魔だ!」
……………………ああ。
「さっきアミーは剣を捨てて降参すれば許してやるなんて言ってたが、いやいやもうそんなことは言ってられないな!
ルシア! もういいぞ! さっさとその世紀の極悪殺人鬼の両手足を切り落として芋虫同然にしてやれ! 帝都の中央広場で首吊って見せしめにしてやろうぜ!」
「いやぁん、クルトったら結構エグいこと言っちゃうのねぇ」
「やはりそれしかありませんか。聖女様、この女に許しなど必要ありません。今ここで私が――――」
一つ、いいことを思いついた。
私はさっき出来た腹の傷に魔剣を貫通させた。
「……は?」
「え?」
「なッ……!?」
即座に剣を引き抜く。より盛大に出血する。口の中も血の味で満たされる。
ああ痛い。痛いな。意識が飛びそうだ。飛んだらそのまま死ぬだろうな。
「何だ!? 絶望して自決を選んだかハイデマリー!? 僕に裏切られたことがそんなに辛かったかぁ!?」
「おっ……おほほっ、まぁ無理もないわよクルト! だってあの人今までずっとあなたの敵討ちのつもりでここまで頑張ってきて――――」
何かクソボケ阿呆カス二人組のしょうもない会話が聞こえてくるが、別にもう好きなだけ適当ぶっこいていればいい。
私が今からやることはただ一つだ。
そう、私が今からやることは……。
「……おい……何だ、それは……」
お次はルシアの引きつった声だった。
まぁ、驚くのも無理はないか。なんせ私自身も結構、予想以上の成果を感じているから。
「……うぁ……!?」
「ひっ……!?」
いかんな、出血多量で視界がぼやけつつある。まぁでも、右腕にあるこの感触で大体わかるから別にいい。
いいぞ。実にいい。素晴らしい成果だ。流石は今までずっと私と共に戦ってきた最高の相棒だ。やはり君こそが私の運命共同体だった。ヒトどころか生き物ですらなくてもな。
右腕周りに赤黒い稲光が迸っている。実に力がみなぎっているな。
ありがとうナムイさん。こんなに素敵な剣をくれて。
「ルシアァッ! 今すぐそいつを殺せェェッ!!」
「くっ……ぅ……ッ……私は……不死身だッ……殺せるものかッ……そんな剣で、私をッッ……!!」
……私の魔剣は奪った命の数だけ成長し、吸い取った恨みつらみの数だけ強く鋭くなっていく。
そう、その対象は……私だって、例外じゃない。
どうだ相棒。私の血は美味いか。私の怒り憎しみ恨み絶望は美味いか。美味いだろうな。その輝きを見ればわかるぞ。本当に最高の相棒だよ君は。
刀身をこんなに強く美しく輝かせてくれたことなんて今までなかったもんな。本当に綺麗な赤い光だ。惚れ惚れする。
「ルシア! あなたは不死身よ! わたしの加護を目一杯かけたんだから! あんな剣効くわけないわ! ほら! さっきあれだけ斬られても平気だったんだから!」
「そうです……そうです聖女様ッ!」
その通り、さっきあれだけルシアを斬り刻んでも傷一つつかなかったのは、魔剣ですら斬れないほどの強力な加護がかかっていたから。
ならば話は簡単だ。単なる力の大小の問題でしかないのなら、私の魔剣をもっと強くすればいい。たったそれだけの話だった。実に単純明快。
今ならやれる。やる。
……さぁ、それじゃあ。
「……クルト」
「ひィッ……!!」
最期の一仕事といこう。
「さようなら」
相棒を両手で握りしめて大上段に構える。
「ッッッッ……やれェェェルシアァァァァァァァッッッッ!!」
標的は
アミー
では
なくて。
「うおォォォァァァァああああああああああああああッッッッッッッ!!」
「ハイデマリィィィィィィイイイイイイイイッッッッ!!!」
お前だ
クルト。
* * * * * *
何も見えない。
視界が真っ赤な血で全部染まって何も見えない。
「クルト……? クルト……ッ!?」
私は顔面を刺されたらしい。私が相棒を振り下ろして最大限の斬撃を飛ばす瞬間に、割り込んできたルシアの一撃が入ったようで。
まぁそのルシアを一刀両断してやった手応えはしっかりあったのだが。
「ねぇクルト!? あなたにも加護はきっちりかけておいたはずよね!? ねぇ!?」
問題は私が最期に狙ったクルトの方だ。ちゃんと当たったか? あの一発は。
「今……今、治してあげるから……わたしは聖女よ……聖女アミーちゃんの力なら、こんなぐらいの、傷……!」
何か聞こえる。この耳が腐りそうな甘ったるい声はアミーだったか? 多分そうだろう。
「ほら、ルシアも早くこっちに来なさいよ……ねぇ……なんで……なんで『そのまま』なの……?」
…………アミーって誰だっけ。思い出せないぐらいなら別にどうでもいい奴だったのかもしれない。多分、まぁ、そうなんだろう。
「なんで…………なんで…………どうして、二人とも…………元に戻らないの…………?」
……赤かった視界がどんどん真っ暗になっていく。
音も聞こえない。寒い。眠たい。いや……寝ちゃ駄目な気がする……。
駄目だ、早く、早く起き上がらなきゃ…………。
「う……あ……ぁ……」
…………早く…………起きて…………。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ァァァァァァァァァアアッッッッッッ!!」
あいつら…………皆殺しに…………して…………。
「ク゛ル゛ト゛ォォォォォォオオオッッ!!! ル゛シ゛ア゛ァァァァァァアアアッッ!!!」
…………や…………る…………。
* * * * * *
ミモレット王国の公爵令嬢にして、大陸史上最強最悪の殺戮者、ハイデマリー・ハクサ・イタヴェールは討ち取られた。
聖女アミー・オマンジュの婚約者であるクルト・アラービ・キーウィンナー、及び最強の護衛騎士たるルシア・ノウ・リベントの二人を道連れにして。
不死の加護を最大限の強さでかけていたはずの二人が惨殺される様を直接目の当たりにしたアミーは、完全に心を折られていた。
気が付けば、彼女は聖女の魔力を失っていたのである。
カマンベイル帝国軍はハイデマリー一人によって既に半壊していたものの、残りの兵士たちもいつの間にか不死の加護が途切れていた。
結果、ここにきてミモレット王国の第二王子であったクラウス・キヌービ・キーウィンナーを中心とする反帝国組織が、一気に巻き返しを見せる。
そのままカマンベイル帝国の首都はあっさりと陥落した。まるで、かつて帝国がミモレット王国の首都を落とした時の蹂躙劇を、逆に再現するかのように。
「……やめてくださぁい……わたしはもう何の力も無い、ごく普通のか弱い女の子なんでぇす……聖女様なんかじゃありませぇん……」
帝国が他国への侵略を始めるきっかけを作った大戦犯であるところのアミーは捕えられた。実に簡単に。
「なんでもしますぅ……だからお命だけはぁ……お願いですぅ……」
その後、彼女がどうなったかは……わざわざ、説明するまでもないだろう。
「お、お兄さん、わたしといいことしませんか? わたしこう見えても結構……」
「知らんな」
「お助けぇ…………」
カマンベイル帝国によるミモレット王国への大侵略に始まったこの残酷な戦争は、結果としては、双方盛大な痛み分けに終わったと言うべきか。
それぞれの国のかろうじて生き残った人々も、しばらくは争いをやめるにやめられなかったものの、最終的にはどうにか融和の道を見出すこととなる。
やがて二つの国は長い長い年月をかけて、一つの国へと統合されていった。
* * * * * *
ざまぁ見さらせってのよ。
クルト、アミー、このクソッタレ共が。