第7話 第八魔王誕生
波旬の森の西に位置するシュタイル王国にて、ボスマンス辺境伯からの報せが早馬で王城に届いた。
曰く、辺境領の冒険者たちが森で黒い魔物に殺されることが続いたこと。領の冒険者たち、ひいては領民たちの安全を守るため、討伐団を組織して森へ向かったが、黒い魔物の悪魔のような所業にて撤退を余儀なくされたこと。正確な報告のため、辺境伯自らが王都へ参上する旨が記されていた。
「このような有事に辺境伯が自ら自領を離れるとは……報告など他の者に任せても良いだろうに」
国王が長い髭を扱きながら呟く。渡された書簡を読み、宰相も同じように疲れた顔をした。
「ボスマンス辺境領は代替わりしてから戦もありませんでしたからな……荒事に不慣れで浮足立っているのでしょう。国境を守る立場として相応しい振る舞いとは思いませんが……」
国王と宰相は互いに溜息を吐いた。
四日後、王都に着いたボスマンス辺境伯が登城し、対策会議が開かれた。
「――と、件の黒い魔物は人の言葉で我々を惑わし、空を翔ける竜すら使役する恐ろしい存在であります!」
ボスマンス辺境伯の熱弁が続き、感情的な甲高い声が会議室に響く。
「奴がその目で睨んだだけで、兵たちは次々と倒れたのです。そのような魔性、如何しても国を挙げて討伐を果たさねばなりませぬ!」
不運にも辺境伯の両隣の席に座った文官が迷惑そうに飛んでくる唾を拭いている。辺境伯の説明が一段落したところで、外務大臣を務める老境の貴族が静かに手を挙げた。進行役の官吏が発言を促す。
「ボスマンス辺境伯の仰っしゃりたいことは分かりました。しかし、その恐ろしい黒い魔物は森からは出てはこないのでしょう。であれば、こちらから仕掛けない限り害はないのでは? 森は我が国の領土ではないのです。いたずらに兵を向ければ、森に隣接する他の二国を刺激することにもなりかねませぬ。現在は不問としている森への立ち入りを禁止する方が穏便なのではないですかな?」
出席者の半分に賛成の表情が浮かんだ。分かりやすく頷いている者もいる。その大半が文官であった。
逆に武官の出席者の多くは渋い表情であった。この二十年、他国との表立った戦はない。要は分かりやすい武勲と出世が欲しいのだった。
会議卓の最奥に座る国王は表情には出さず、静かに溜息を吐いた。確かに森への立ち入りを禁止してしまうのも悪くはない。しかし問題もある。
一つ目は見ての通り軍部の不満が解消できないということ。軍というものはその性質上、訓練や演習だけでは長くは成り立たず、どうしても実戦が必要なのだ。遠征団を派遣することで備蓄している糧秣の入れ替え等、経済への副次的な効果もあるだろう。
二つ目は森への立ち入りを禁止すると、一部の冒険者たちが日々の稼ぎの場所を失うということ。変化に適応できない者が困窮し犯罪に走って治安が悪化したり、これまで森から得た素材で回っていた循環が止まってしまう。
森に接する他の二国へは、先んじて使者を立て説明しておけば大きな問題にはならないだろう。国王がそこまで考えてから口を開こうとしたところ。
「しかし外相殿、十年前にも原因不明の魔物の集団暴走が発生しております。哀れにも森の近くにあった開拓村が壊滅しました。もしまた集団暴走が起き、その先頭にあの黒い魔物がいたとしたら、被害はさらに大きなものとなるのは間違いありませぬ」
辺境伯が駄目押しと言いきる。武官たちからは賛同の声が上がった。
国王が鷹揚に立ち上がる。臨席した全員が口を閉じ言葉を待った。
「ボスマンス辺境伯の話はよく分かった。国軍から波旬の森へ、黒い魔物の討伐団を派遣するものとする。森に接する他の二国へは予め使者を立てよ。書記官、前回の国軍による討伐団派兵について述べよ」
脇に控えていた痩せぎすの男が一歩前に出る。
「前回の国軍討伐団の派兵は十二年前、場所はキリケ村の西にある草地、対象は異常発達したワームクイーン、個体名称は『第七魔王スピノザ』です」
「うむ。では此度の討伐対象である黒い魔物はこれより森の西の黒い魔王、『第八魔王エラスムス』とする」
国王の決定に武官たちは喚声をあげた。
興奮して一緒に声をあげるボスマンス辺境伯の襟の裏側には、ヘルトが魔法で召喚した間諜用の小さな蟲型魔物が身動ぎせずに付いていたが、気付く者は誰もいなかった。