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第4話 夢と子竜

 夢を見た。


 麦の刈り入れが終わって一段落した時期、ヘルトは波旬はじゅんの森の浅いところで獣を狩っていた。弓の腕はたいしたものではなかったが、今日は運良く兎と狐が獲れた。スープには肉が入るし、村にきている行商に皮を売れば妻と娘に土産を見繕うことができる。


 森を訪れる冒険者たちが途中に立ち寄るおかげで、村は規模や領都からの距離のわりに宿泊施設や行商が扱う商品が充実していた。


 妻には編み糸が良いだろうか。秋冬の衣類の準備にそろそろ取り掛からないといけないと言っていた。妻と娘の明るい髪色に合う糸はまだ残っているだろうか。


 娘には何が良いか、見当がつかない。最近は年が近い男の子たちに混じり、村で共同で飼っている犬を追いかける遊びがお気に入りらしい。犬は迷惑そうにしていると聞いた。


 五年前、農家の四男に生まれたヘルトは自分の畑を持つため、波旬はじゅんの森からほど近くに開村したばかりの開拓村の移住者募集に飛びついた。幼馴染に告げるとどうしてもついて行くと言うので、それならばと気持ちを伝え合い夫婦となった。入植してからは夫婦でがむしゃらに畑を耕したが、やがて娘が生まれ今年で三歳になった。


 ヘルトは今の生活に幸せを感じていた。決して華美ではないが、身の丈にあった素朴な幸せだ。血を抜き解体した獲物を大事にしまって家路についた。


 帰り道、木々の葉の隙間から見える空が赤く染まり、何かが燃える臭いがした。遠くから地響きと低い唸り声のようなものが聞こえる。


 ヘルトはできる限りの速さで村へと走った。森から村へ続く小道が踏み潰されている。嫌な予感が膨れ上がっていく。足元がぐにゃりと曲がった感じがして、自分がまっすぐ立てているのかも分からなかった。荷物を全て捨てとにかく走った。


 辿り着いた開拓村は滅茶苦茶に破壊されていた。村を囲っていた木柵は残骸が一部残っているだけだった。畑は踏み荒らされ見る影もなくなっている。今朝まで気安く挨拶していた村人たちの死体があちこちに転がっていた。


 縋るような思いで家へと急ぐ。うまく呼吸ができない。やっとのことで家へと着くと、壁は半ば崩れ落ちていた。中で犬型の魔物が数匹集っている。ナイフを抜き必死に振り回して追い散らす。


 妻子とも奥の部屋ですでに事切れていた。妻は顔などの柔らかい部分を食べられていたが、覆い被さり最後まで守ったのだろう、娘はまだきれいだった。ヘルトは突然鳴り出した甲高い音を不快に感じたが、それが自身の悲鳴であることには気付かなかった。


 やがて隣国との国境近くの砦から兵士たちがやってきて、村に残っていた魔物を駆逐した。村を抜けた魔物は途中で力尽きるか、その先の町などで順次駆逐された。


 妻と娘を弔った後、ヘルトは自分も死のうと思った。自分は人生の宝を失ってしまった。もう一度立ち上がれるほど強くはない。ナイフを抜いて喉に切っ先を当てる。


 刃が入るにつれ感情の針が大きく振れる。いや……どうせ死ぬのなら一匹でも多く魔物どもを道連れにしてやろう。刃を収めて血を拭う。半壊した家を漁り、可能な限り武装して森へと足を向けた。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「アニキ、うなされてたみたいだけど大丈夫? オイラ心配だよ」


 目を開けると白銀色の小さな竜がヘルトの顔を覗いていた。竜然と言うには幼く小さな顔が緑色の目を大きく見開いている。


「ああ、何でもないんだ」


 気怠げに前足で顔を掻く。


「いつもは死んでるみたいに静かに寝てるのに、珍しいなぁアニキ」


 体はじっとりと汗で湿っている。久しぶりに人間だった頃の夢を見た。あるいは魔物に変わった際に体験した人間たちの生を自分のものと思い込んでいるのかもしれない。


 顔を覗き込んでいる子竜の名はクエレ。雌だそうだ。数百年生きているとのことだが、体は成犬ほどと小さく中身もまだまだ子供であった。独り立ちしろと親竜から巣を追い出され、この森に辿り着いて適当にフラフラしたり、数年単位で寝たりしていたらしい。


 森の深部を目指していた時に、たまたま起きてきたクエレに出会った。襲ってきたので殺そうとしたが、彼女は早々に降参した。それからヘルトに付き纏い、いつの間にか子分のような位置に収まってしまった。本人曰く色々な魔法が使えるそうで、数百年の知識とやらも含め便利そうかと思い受け入れた。




 ヘルトが魔物となって十年が経った。森のほとんどは踏破した。森は人の足では途方もないほどに広大であり、東と西で植生が大きく異なるほどだった。


 波旬はじゅんの森は大陸の中央部に広がる大森林である。ヘルトが人間であった頃に暮らしていた西のシュタイル王国を含め、南、東と南半分を囲まれるように三つの国と面しており、かつどの国にも領土として属していない。


 森の北には大山脈が聳えている。大山脈からの膨大な湧き水が複筋の渓流となって森を北から南へ貫き、森を抜けた先でも他の河川と合流して大陸全土を潤していた。


 二年ほど前に辿り着いた森の最深部では、巨大な縦穴が地面にぽっかりと空いていた。人間だったころ住んでいた開拓村がまるごと入ってまだ余裕がありそうな、大きく歪な穴だった。


 穴からは匂い立つほどに濃密な魔素が溢れ出ていた。穴の中は魔物となったヘルトでも見通すことができない真の闇だった。底から繋がるのは、きっと人間が言うところの地獄や魔界なのだろう。想像を超える光景ではあったが、ヘルトの心は大きくは動かなかった。溜息を吐き、暗い目で踵を返す。


 以前に気紛れで救った獣人の母娘の村落のそばには、ヘルト専用の寝床と供物台が用意された。獣人たちからは守護神のような扱いをされているらしい。大人たちは畏れて距離を取るが、子供たちはお構いなしに跳びついてくる。


「危ないからあまり近くに寄るな!」


 体を覆う鋭い毛を思い出して遠ざける。子どもたちは驚いて固まった。涙を溜めている子もいる。


「ほら……こっちならいいぞ」


 無毛の尻尾を揺らす。子供たちが纏わりついた尻尾を上げたり下げたりした。キャッと笑う顔を見て、ヘルトは内心で苦笑した。


 寝床の敷藁は定期的に乾いたものに交換され快適だった。供される肉は僅かに赤みが残る程度に焼かれ、表面には岩塩と胡椒がまぶされており、絶品であった。


 クエレは自分が妹分であると声高に主張し、ヘルトの寝床の隣に自分用の寝床を作ってもらった。子供たちには犬猫のような扱いをされ愛想よく遊んでいるが、その正体が竜だと知る大人たちからは明らかに怯えられていた。


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