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第1話 死と転生

「ハッ……ハッ……ハッ……」


 闇に包まれた夜の森をヘルトは走っていた。


 全身は彼自身の血や、魔物の血脂、泥などで赤黒く汚れている。温い風が自身の悪臭を鼻に運ぶが気にする余裕などなかった。


 複数の気配が背後から迫っている。地を蹴り藪を突っ切る音も近づいていた。夜の森でほとんど何も見えないヘルトは木々にぶつかり足を根に取られながら、少しでも戦いやすい場所を求め彷徨っていた。


 これまで、この波旬(はじゅん)の森には浅いところまでしか入ったことがなかったため、すでに自分が森のどの辺りにいるのか分からない。やがて木々の間に薄く光が見えはじめ、月星の明かりが届く開けた場所に辿り着いた。


「ハッ……ハッ……ハァ……」


 息を深く吸い呼吸を落ち着ける。目の端にはこの場にそぐわない明らかな人工物――石造りで腰くらいの高さの祠――を捉えたが、すぐに意識の外へ追いやり、足場が良さそうな場所へと移動した。出来ればこのような場所ではなく、木などの障害物を利用したいところだが、暗くて見えないのでは話にならない。


「ハァ……ハァ……来やがれ……呪われた獣どもめ……ハァ……殺してやる」


 汚れてくたびれた手斧を握り直す。


 ガサガサと背の高い草が揺れ、魔狼の群れが姿を現した。全部で五匹、涎を垂らし低く唸りながら、小さなつり目が月光を反射している。その体躯は大きく、頭の高さはヘルトの胸まであった。


 群れの中では少し小さめの個体が二匹、左右からヘルトの後ろへ回り込もうとする。囲まれる前に右側の個体の進路を塞ぐと一拍の後、大きく顎を開け跳び掛かってきた。


 渾身の気合で手斧を振り下ろす。斧の刃は魔狼の鼻と口先部分に深く食い込んだが、その負荷で木製の持ち手は折れた。腕の勢いを殺さずに地面を低く転がり、巨体に押し倒される状況を回避する。


 素早く立ち上がる。鼻面に刃をぶら下げたまま血を撒き散らす個体に折れた持ち手を投げつけた。腰のナイフを抜き、後ろから組み付いて目に突き立てる。刃を眼孔から奥に入れ脳を掻き混ぜた。


「フッ……フゥ……死ね……死ね……」


 ヘルトの首と右腹が燃えるように熱を持った。二匹の魔狼に噛みつかれ仰向けに引き倒される。ナイフは痙攣している個体の目に刺さったまま手放してしまった。前肢で組み伏せらせ、必死で体を捩ったが無駄だった。首に食い込んだ顎の力が万力のように増していく。


 ゴギッ。


 ヘルトは自分の首の骨が砕ける音を聞いた。手足から急速に力が抜けていく。失禁もしたが気付かなかった。


(死ね! 魔ものは……しね)


 妻子の死に顔を思い浮かべ、死の淵でも呪詛の言葉を繰り返すヘルトを、魔狼たちは生きたまま食べ始める。腹を裂き破り、我先にと臓腑を引き出しては喰んでいる。鈍痛しか感じなくなったヘルトは、その様子を虚ろな目で他人事のように眺めていた。視界の隅では石造りの祠が崩れていた。先ほどの戦闘で魔狼がぶつかったのかもしれない。


(し……ね…………)


 やがてヘルトの瞳は光を失くし、意識は闇に沈んでいった。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 魔狼の舐めずりから逃れたヘルトの血は、意思を持ったかのように一筋に流れた。地の高低すら無視した流れの先は崩れた祠であった。血の筋が到ってしばらくすると、祠の下からはカタカタと石を除ける小さな音が鳴った。


 異音に気付いた魔狼たちが顔を上げて耳を向ける。元は祠だった石塊の隙間から、大人の拳ほどの黒い塊が這い出してきた。


 威嚇し吠える魔狼たちを無視するように、黒い塊は血の道に沿い這っていく。しばらくして半ば喰われたヘルトの上に辿り着くと、散り散りになって口や鼻、耳から中へと入っていった。


 頭から首、肩へと、ヘルトの身体が黒く染まっていく。やがて黒色が全身に及ぶと身体は溶けるように輪郭を失くし、粘性を持つ流体になった。


 体躯が一際大きい群れのリーダーが短く吠えて撤退を指示する。本能的にも経験的にも、腹の底から感じる危機感には従った方が良いことをこの個体は知っていた。


 脱兎のごとく逃げ出した魔狼の群れを囲むように、元はヘルトだった黒い流体は地面を薄く走り、端から立ち上がって半球となった。魔狼たちの悲鳴のようなくぐもった鳴き声が外まで聞こえる。


 半球の中から何も聞こえなくなったころ、中の魔狼や小動物、虫や草、祠の残骸は全て溶け一つになっていた。半球は不要物を外に除外するように魔力を黒く松葉状に飛び散らせながら、その径を狭めていった。


 径が大人が二人両手を広げたくらいになった頃、半球は薄まり消えた。白み始めた空の下、跡には朝日から逃げ遅れたかのような漆黒の魔物が転がっていた。


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