夜道でいかにも幽霊っぽい女性を乗せたので、とりあえずコーナー攻めてみた
その女性を乗せた時、私は直感的に「ああ、これはあのパターンだな」と思った。
「どちらまで?」
暗い夜道で1人乗り込んできた、俯き気味で生気のない女性にそう問い掛けると、告げられた行先は案の定山奥。
もう決まりだ。これは完全にあれだ。あのパターンだ。
大体からして、山奥にポツンと建つ小屋に1人で住んでいる老婆は妖怪。嵐の海で遭遇するボロボロの船は幽霊船。夜道で1人乗り込んでくる青白い女は幽霊だと、相場が決まっているのだ。
しかも、行先は建物など何もなさそうな山奥。ここまで来れば否応なく察する。これ、絶対途中で消えるパターンだ。
だが、流石に面と向かって「あなた、幽霊ですよね?」とか尋ねるわけにもいかない。
それに、これも何かの縁だろう。この女性が何か思い残したことがあって私のタクシーに乗り込んできたなら、せめて話くらい聞いてやろう。
そう思い、私は素知らぬふりをして車を発進させた。
指定された山に向かって夜道を走りながら、私はルームミラーで後部座席に座る女性の様子を盗み見た。
女性は落ち着いた色合いのブラウスとスカートを身に着けた、二十代くらいに見える大人しそうな女性だった。
しかし、私はすぐに気付いた。今はもう12月だ。女性の服装は、この季節に夜出歩くには明らかに薄着過ぎる。あと、一切手荷物を持っていないのも不自然だ。
それに、やはり表情に生気がない。女性はその青白い顔に暗い表情を浮かべ、じっと自分の膝に視線を落としていた。
「んんっ、こんな時間にどうされたんですか?」
「……」
「最近お客さんが少なくて暇してましてねぇ。よかったら、何か話をしてくれませんか?」
そう問い掛けて辛抱強く待つと、数分の沈黙の後、女性は静かに口を開いた。
「……わたし、何もいいことなかったんです」
「……」
「両親はわたしにとても厳しくて……少しでも機嫌を損ねると、ひどく折檻されました。わたしはいつも両親の顔色を窺って、必死にいい子でいるようにしました……」
ぽつぽつと自分の身の上話をし始めた女性の声に、黙って耳を傾ける。
「親に言われるまま女子校を卒業し……親が決めた相手と結婚しました。でも、夫もわたしに関心がなくて……その上姑さんはわたしを目の敵にしてて、毎日毎日嫌味を言われて掃除や料理も何度もやり直させられて……」
「……」
「ある日、子供も産めない家事も碌にできない女は出て行けと言われて……わたしも我慢の限界で、とうとう家を飛び出して、あてもなく長距離バスに乗り込んだんです。そして……」
そこまで聞いて、私は思い出した。
これから向かう山では、以前落石事故があったはずだ。
長距離バスの上に落石が降り注ぎ、たしか運転手含む乗客十数名が死亡した……
「……そうですか、つらかったですね」
「……」
女性は、もう何も言わず。気付けば車は山道に差し掛かっていた。
私は山道を登り始めながら、背後の女性に語り掛けた。
「私もねぇ。こう見えて昔は小さな会社を経営してたんですよ」
「……」
「でも、ある日部下の裏切りに遭いましてね。会社は大企業に吸収合併され、社長だった私は職を追われました。それ以来、こうやってしがないタクシードライバーをやってるわけですが……」
女性は何も言わない。しかし、私は構わず言葉を続けた。
「会社を追われた時、私は酷くむしゃくしゃしてましてねぇ。しばらくかなり悪い遊びをしてたんですが……そのおかげで色々と吹っ切り、また社会復帰する気になれたんですよ」
「……」
「決して褒められた遊びじゃあないですが……よかったら、お嬢さんも少し試してみませんか?」
「……」
沈黙を承諾と受け取り、私は一旦道端に車を停めた。
料金メーターを止め、全ての窓を全開にすると、帽子を後ろ向きにかぶり直す。
そして指を曲げ伸ばしし、座席の位置を調整すると、私は改めてハンドルを握った。
こんなことで、彼女の気持ちが晴れるかどうかは分からない。
だが、昔の私はたしかにこれで立ち直ることが出来たのだ。
だから、少しでも彼女の暗い気持ちを吹き飛ばせるように、私……俺は今、20年ぶりに風になる。
一気にアクセルを踏み込む。一瞬の急激なGが全身を襲い、次の瞬間弾かれたように車が急発進する。
すぐに急カーブが近付いてくるが、俺は一切速度を緩めることなくそのまま突っ込むと、コーナーの直前でハンドルを切った。
キュキュキュキュキュッ!!
車体が大きく振られ、タイヤが路面を横向きに滑る音が高らかに鳴り響く。
あわやそのままガードレールに突っ込むかと思ったが、その直前でタクシーの使い古されたタイヤはしっかりと路面を掴み、車体を前へと運んだ。
「ふぅ……いい子だ。流石は俺の愛車」
魔改造しまくったかつての相棒に比べればまだまだ足りないところは多いが、今の俺にはこれくらいでちょうどいいだろう。
俺は口元に獰猛な笑みを浮かべると、更に速度を上げて次のコーナーに突っ込んだ。
「ヒィィヤッハァァァーーー!!」
車道を法定速度ぶっちぎってかっ飛ばす高揚感、コーナーのギリギリを攻め込むスリル、肌で風切る爽快感。その全てが俺の血を滾らせる。
まだだ。まだ足りない。もっとだ! もっと速く!!
「チッ、S字か……行けんのか? 行けんのか? おっしゃ行くぞオルァアァァァーーー!!!」
ギャギャギャギャッ!! キュイキュイキュイッ!! ギャリギャリギャリィ!!!
「見たか! 今のが峠の神と呼ばれたシゲさん直伝の慣性ドリフト、“サマーソルトカーブ”じゃい!!」
グワァァーーーン!! キキキィィーーー!!
「これが“シャチホコ裏鬼門”!!」
キュイキュイキュイィッ!!
「これが“ニケ1963”!!」
ギャギャギャギャギャッ!!! ギュワァァーーン!!!
「そしてこれがぁ! 奥義“燕返し零式”だぁぁーーー!!」
俺は人気が無いことをいいことに、センターラインを無視する勢いで山道を爆走した。かつての感覚を取り戻すように、体に染み付いた技を次々と繰り出す。
いつしか俺は、ごうごうと響く風の音の中に、高らかな笑い声が交じっていることに気付いた。
ちらりとルームミラーを見ると、なんとずっと俯いていた女性が顔を上げ、晴れやかな表情で笑っている。
その姿に口角を吊り上げると、俺はアクセルべた踏みで次のコーナーに突っ込んだ。
そうして、山道を爆走すること数分。
不意に背後の笑い声が途絶え、俺の耳元で女性の声が聞こえた。
── ありがとう
その言葉が聞こえた時には……もう、後部座席に乗っていたはずの女性は姿を消していた。
私はゆっくりと車を減速させると、道端に停車する。
ふと横を見ると、そこには車道の横の崖に立てかけるように、いくつかの献花が供えられていた。
私は車から降り、その献花に手を合わせると、たばこを取り出して一服した。
「フーーー……」
彼女は、満足してくれただろうか。
分からない。だが、少しでも、陰鬱な気持ちを抱えたまま彷徨う彼女の気晴らしになったのなら、私も一肌脱いだ甲斐がある。
「また風になりたくなったら、俺の車に乗りな。あんたが成仏する気になるまで、付き合ってやるよ」
最後にそう告げると、私はその場を後にした。……今度は安全運転で。
* * * * * * *
「まったく、最近の若者は年寄りを敬うってことを知らないんだから」
「ははは、そうですねぇ」
はあ、面倒な客に捕まった。
聞いてもいない愚痴を延々吐き続ける老婆に内心辟易しながら、適当に相槌を打つ。
「本当にねぇ……ところで、運転手さんは結婚はしてるのかい?」
「いえ、生憎いい相手がいなくて」
「そうかい。相手の女には気を付けた方がいいよぉ? うちの息子なんて、酷く無作法な娘と結婚しちまってねぇ」
「そうなんですか」
「そうなんだよ。良家の娘だってことだったけど、いつまで経っても子供を産まない家事も碌にできない。挙句ちょっと怒ったくらいで家を飛び出して、そのまま事故に遭って死んじまってねぇ」
「……ほう」
「しかもそれ以来、息子は事業に失敗するわあたしは親戚から白い目で見られるわでいいことなしだよ……。まったく、とんだ疫病神だったねぇ」
「それはそれは……」
言いながら、私は交差点を曲がる。
「ん? ちょっと、道を間違ってないかい?」
「いえ、こっちの方が近道なんですよ」
「……そうかい」
「ところで、最近私は若い女性のお客さんを乗せましてねぇ。これがなんというか、陰気な表情に季節外れの服装。しかも夜道に1人と、完全に幽霊としか思えない女性だったんですよ」
「なんだいそりゃ? 悪いけどあたしは幽霊なんて信じないよ」
「まあまあとりあえず聞いてくださいよ。なんでもその女性、姑に散々いじめられた挙句に出てけと言われ、家を飛び出した先であてもなく長距離バスに乗り、不幸にも落石事故に遭ったと言うんですよねぇ」
そう言った途端、ルームミラー越しに見える老婆の表情が強張った。
「あんた……一体……」
「あぁ、そうそう幽霊と言えば……目の前に見えるあの山、最近面白い噂があるんですよ」
「はあ?」
「なんでも、幽霊船に乗った海賊ならぬ、幽霊バスに乗った走り屋が現れるとかで……ああ来た来た。あれですよ」
夜闇を切り裂くヘッドライト。正面に見える山道から、突如として長距離バスが姿を現した。
その運転席に座る女性と目を合わせ、獰猛な笑みを交わした直後、タクシーのすぐ横をバスが通り過ぎた。
プワアァァーーーーン!!
鳴り響くクラクションの音。それに紛れて微かに聞こえる老婆の声。それらが後方へと消えた時……後部座席には、もう誰もいなくなっていた。
ふとバックミラーを見ると、そこには窓からサムズアップした右手を突き出しながら、華麗なドリフトを決める女性運転手の姿。
「あれは……“燕返し零式”……っ!!」
まさか、あんな大型バスであの技を繰り出すとは。私は意図せずして、とんでもない才能を目覚めさせてしまったのかもしれない。
「ふっ、伝説を継ぐ者、か……」
私はかつての戦友達の顔を思い浮かべながら、口角を吊り上げてそう呟いた。
後日、この幽霊バスの女性運転手が全国の走り屋の間で有名になり、数多くのチャレンジャーがこの地を訪れることとなるのだが……それはまた別のお話。