沈められた船
「よし、気を取り直して、俺達も行くぞ!」
空気ボンベと水中マイクを装備した俺は、隊員達の準備が整ったのを確認して探検開始の合図を出す。ここは隊長の俺が号令をかけなければ、いつまで経っても隊員達は動けないからだ。
わーっ! と探検隊の皆が海へと走っていく。隊員達は「うぉ~っ!? 深いな!」「底が見えなーい!!」「ここを落ちるのかぁ!?」などとはしゃいでいる。
「あっ……隊長、もう行ってしまうんですか? 実はこの海域の重要情報があるんですけど……説明したかった……」
海に飛び込もうとしていた俺を引き留めたのは、小柄な猫耳少女のヒバ隊員だった。なんと、ヒバ隊員はここ深淵海域の重要情報を握っていたらしい。ヒバ隊員も、ヤタノ隊員に負けず劣らず情報通なのだ。
「待て待て、そういうことなら説明を聞いてからにしよう」
「ええ、これは知っておいた方がいい情報です! そもそもこの海域はこれまで、強力な結界によって閉ざされた領域だったんです。それがここ最近になって結界に綻びがあるとわかって、内部を調査できるようになったんです」
「結界で封じられていたのか……不思議な海域だな」
「実は冒険者ギルドの調査隊が先行して、ここ深淵海域に潜ったんですが……数日前から連絡が途絶えています。大昔、ここは魔の海域とも呼ばれていたそうで、船舶の海難事故も多かったとか……」
「油断ならないってことか……これは気を引き締めてかからないとな。皆! そういうことだ! この海域には何か危険が潜んでいるらしい! くれぐれも注意して――」
俺が振り向いた時には、岩礁の広場に残っている隊員は数人しかいなかった。
「あらまあ、うふふ……」
そんな俺を微笑ましく見ていたのは銀髪魔女のお姉さん、リーゼ隊員だった。やや露出度の高い服装で、紫色のローブを羽織っている。複数の組織を渡り歩く、第一級の魔導士だと聞いている。
リーゼ隊員に見つめられて赤面している俺のところへ、申し訳なさそうにやってきたタカミネ隊員が状況を説明する。
「隊長。……もう半数以上の隊員が、海の中へ飛び込んでしまいましたわ……」
なんてことだ! 隊長の俺を置いて先に行ってしまうなんて、元気な隊員達だな。
「よーしよし、いいじゃないか隊員達! やる気があっていい! それじゃあ俺達も行くぞ!」
「参りましょうか」
「行こう、行こう!」
ヤタノ隊員、シエラ隊員、それにヒバ隊員、狐さんなど残っていた隊員達が俺の後に続いて海へと飛び込んだ。
(――お、おぉ……)
飛び込んだ海の中は想像を超える風景だった。海底は暗くて見えにくいが、水の透明度が極めて高いためかなり遠くまで見通せる。それだけに大きく口を開いた海中の窪地が真下に広がっているのがよくわかるのだ。思わず感嘆の声が漏れ出る。
「ずごびばごべば!!」
「隊長! 隊長! 空気ボンベと水中マイク! ちゃんと付けて!」
感動を口にしようとしたら大量の海水が喉に流れ込んできた。慌てた様子でシエラ隊員が俺の背後に回り、空気ボンベの給気管と水中マイクの集音機を装着してくれた。
「すごいなこれは!!」
気の利いたセリフなど出てこない。ただひたすら自然の偉大さに圧倒されていた。足元の空間がぽっかりと抜けたようになっているのに、落ちていかないでゆったりと浮遊する感覚。下腹の辺りがムズムズとして、下手をすると腰が抜けそうになる。
陸で生活し、海岸付近でしか遊んだことのない人間にはわからないだろう。これが、深淵海域――。
「さて隊長、遊泳を楽しむのもよろしいですが、そろそろ本格的な探検へ行きませんか? ちょうどあそこに皆が集まっています。何か見つけたようですよ」
ヤタノ隊員が手を差し出して、俺を深海の探検へと誘う。ヤタノ隊員が指さす方向を見れば、なにやら海底に沈む大きな物体がある。そこに隊員達は集まっているようだった。
「え……? なになに、あれ? なんか皆、楽しそうだな……」
隊員達が集まっていたのは、海の底に沈んだ船の甲板だった。俺はひとまず帆柱の上部に設けられた物見台にゆっくりと着地し、船の全体像を観察した。
「沈没船……ヒバ隊員の言っていた海難事故に遭った船ということか」
下に見える甲板で隊員達が一ヶ所に集まり、相談している姿が見える。
「何か見つかったのか?」
「おー、隊長。見てくれよ、これ」
「……古い、手帳があった」
幽狐族のタラコ隊員がガイア隊員の持つ手帳を指さしている。この沈没船もそうだが、手帳はいつ頃の時代のものなのだろう? 手帳の中身は几帳面に毎日の航海日誌が書かれていたようだが、長い間海中に沈んでいた為か、ほとんどのページは文字がかすれてしまって読めない。比較的、新しいであろう最後のページには文字が殴り書きされていた。
“こんな馬鹿な話があるのか? たった一冊の本のために、私の船が沈められた……!! ”
それはまさに怒りの込められた一文だった。興奮した状態で書かれたのだろう。日誌としては要領を得ない。だが、意味がわからないなりに無視できない内容も読み取れる。
「本一冊のために、船が沈められた……?」
「何か希少な書籍でも運んでいたのでしょうか、この船は」
「本の海上輸送中に海賊にでも襲われたのかな? でも、ボクだったら本よりもっと高価な積み荷を乗せた船を狙うけどなー……」
「高価な書籍といったら魔導書に違いありませんわ! それなら召喚術で取り寄せることもできないので、船による海上輸送に頼るほかないはず!」
ヤタノ隊員、シエラ隊員、タカミネ隊員が頭を突き合わせて謎に迫る。いい線いってると思う。俺はよくわかってないけど。
「なるほど、魔導書か……。それはありそうじゃないか? なあ、リーゼ隊員」
いつの間にか傍らに立って微笑んでいた銀髪魔女お姉さんのリーゼ隊員に意見を伺う。こういうのはやはり、最後に専門家の意見を聞くべきだ。
「そうですねぇ、隊長の言う通りその可能性は高いかと。魔導回路の刻まれた魔導書は、召喚術に干渉してしまって長距離の転移ができませんから。人の手で運ぶしかありません」
さすが専門家だ。質問に対して、完璧な返答をしてくれる。俺には魔導の難しい仕組みは理解できなかったが、確信だけは強まった。
「マジかよ! じゃあ、この船は高価な魔導書を積んだまま沈んだってことじゃね!? 探せ探せ! お宝だ!」
タラコ隊員が目の色を変えて舟の捜索に乗り出した。他の隊員も感化されたのか、船の中に潜り込んで調べ始める。
「しかし、こんな海中に長い間浸かってしまったら、劣化しているんじゃないか?」
「安物の本はダメですねぇ。ですが、高価な魔導書ほど耐水紙に消えにくいインクを使用するなど、様々な劣化防止策を施してあるものですから。百年とか二百年くらいなら、水に浸かっていても問題ないはずです」
「じゃあもしここで無事な本がみつかったとしたら……」
「それこそ魔導書である可能性が高いですねぇ。ふふふ」
これは少し期待できそうな話だ。探検を始めてすぐ、お宝に遭遇するかもしれない。
「……むむぅ。この船に魔導書は、ない。何も反応が返ってこない……」
先ほどから紫色に光る魔法陣を出現させて、魔導による探索術式を船に使っていたガイア隊員が残念そうに結果を告げる。三角帽子を深く被り直して、つまらなそうにむくれている。
「あらあら、ガイアちゃんが言うんじゃ本当になさそうですねぇ」
リーゼ隊員はある程度の予測がついていたのか、魔導書がないことにがっかりした様子はなかった。俺は正直、がっかりした。
そんな話をしていると、謎獣人のキノスラ隊員が何か見つけたのか小脇に物を抱えて、舟の横っ腹に開いた穴から出てきた。
「キノスラ隊員! 何か見つけたのか!?」
「ん~……」
自信なさそうにキノスラ隊員が持ってきたのは一体の人形だった。ひどく不気味な造形の人形で、二頭身の大きな頭にはこちらをじっとり見つめてくる虚ろな瞳がはめ込まれ、大きく開けた口の中は鋭い歯が同心円状の配列で奥まで続くように作りこまれていた。そこだけ妙にリアルな作り込みだ。
「シエラ隊員、これはなんだかわかるか?」
「ボクは知らないかな、こんな造形の人形。何をモデルにしたんだろ?」
「ヤタノ隊員、これはなんだろうか?」
「魔獣か何かをモデルにした縫いぐるみでしょうか? とはいえ、思い当たる魔獣はいません。ただ気になるのは、わずかですが魔力の気配がしますね」
「タカミネ隊員は思い当たるところあるか?」
「呪殺人形ではないかしら! 私、これに似たものを呪術師のお家で見た気がします。この人形を媒介にして、憎らしい相手に呪いをかけるんですの!」
「ガイア隊員はどう思う?」
「……その人形、何か不吉な感じがする……」
「リーゼ隊員……」
「私は可愛いと思いますよ。魔女には人気が出そうなお人形さんですね。うふふ……」
隊員の意見を総合して俺が下した決断は――。
「キノスラ隊員、その人形は捨ててきなさい」
「んもっ!?」
せっかく見つけてくれたキノスラ隊員には悪いが、俺もちょっとその人形は怖い。名残惜しそうに人形の頭を撫でていたが、尻尾を力なく垂らして、しょんぼりしながらキノスラ隊員は人形を元あった場所へと置きにいった。
かわいそうだが仕方ない。我が探検隊の魔導勢が全員、普通ではないと判断した人形なのだ。ここは俺の直感が、遠ざけるべきだと危険信号を発していた。
「……隊長、リーチャ隊長」
「ん? 今度はアット隊員か。何か見つけたのか?」
多足型魔導人形の体を有したアット隊員は器用にすいすいと海中を泳いでくる。大事そうに胸へ抱えて俺達の元に持ってきたものは――骸骨だった。
「ほわぁあっ!? これは、人の骨!? 頭蓋骨じゃないか!? どこにあったんだ?」
「船の甲板に転がってたよ~。アットちゃんが見つけたの~」
幽狐族のオッツマン隊員が、アット隊員の頭を撫でながら答える。表情はあまり変わらないが、アット隊員は誇らしげだ。
少し気が引けたが、アット隊員がせっかく持ってきたものだ。検分しないわけにもいくまい。恐る恐る頭蓋骨を受け取ろうしたところで、ヤタノ隊員から待ったがかかる。
「隊長、その頭蓋骨……。先ほどの人形とは比べ物にならないほどの魔力を感じます」
「これは……ちょっとまずい」
ガイア隊員が警戒するように防衛用の魔法陣を展開する。ヤタノ隊員も金色に光る九本の尻尾を膨らませて、俺を守るように立ち塞がった。
「え? え!? ちょっと!? これ、どうすればいいの!? アット隊員、大丈夫なのか!?」
「???」
頭蓋骨を抱えたアット隊員は何も問題なさそうだ。ただの骨ではないのか?
場の緊張が高まったその瞬間、頭蓋骨から茶色の靄が立ち昇りアット隊員を取り囲む。タカミネ隊員が叫んだ。
「幻想種ですわ!! 髑髏に憑依した亡霊です!!」
――幻想種。それは実体を持たない精霊や悪魔の類を総称した呼び名だ。
実体を持たない彼らは靄状の存在で掴みどころがなく厄介だ。たまに他の生物と融合したり、融合までしなくとも憑依していることがある。もし悪意のある幻想種と遭遇して戦うつもりなら、本体である靄を完全消滅させないといけない。
「ヤタノ隊員! アレは、倒すべき敵なのか!?」
「えぇ、残念ながら敵意を感じます。私達は歓迎されていないようです」
茶色の靄がアット隊員の体に入り込もうとしており、アット隊員は水中を激しく動き回りこれを振り切ろうとしている。
その様子を眺めながら、リーゼ隊員が頬に手を当てて首をかしげる。
「まあ、困りましたねぇ。魔導人形は幻想種が宿る素体としては最高ですものね。アット隊員が狙われるのも当然なのですけど……」
「……憑依される前に、決着をつける」
ガイア隊員は展開していた魔法陣をアット隊員の周囲に移動させて、茶色の靄から守る壁とした。アット隊員に近づけないとなると、茶色の靄は今まで憑依していた頭蓋骨を持ち上げ、水中だというのにものすごい勢いで防衛魔法陣に叩きつけてくる。しかし、ガイア隊員が作り出した魔法陣はびくともしなかった。
「うちの隊員さんを持っていかれては困りますから、静かにしてくださいね? 『魂の檻』よ!!」
リーゼ隊員が太腿の脇に吊り下げていた短杖を手に取り髑髏に向けると、杖の先端から光の帯が飛び出して髑髏ごと茶色の靄を絡めとっていく。
茶色の靄はもがき暴れて、半ばから分裂すると海中に逃れようとする。
「逃がしませんよ」
すかさず回り込んだヤタノ隊員が金色尻尾の一本を伸ばして、茶色の靄を包み込む。そして、そのまま尻尾をぎゅっと絞り上げると茶色の靄は光を発しながら消滅していった。
「……やったのか?」
「隊長、それ禁句~」
つい漏れ出た言葉にシエラ隊員が突っ込んでくるが、ヤタノ隊員とリーゼ隊員は余裕の笑みをこぼして戦闘終了を告げた。
「殺りましたよ、間違いなく」
「やりましたわ、この通り」
リーゼ隊員の手元には、ほんのりと光る小さな立方体が乗っていた。これが先ほどの光の帯が収束した形なのだろう。見事に幻想種の封印に成功している。ちなみに、分裂した片割れはヤタノ隊員が滅殺したようだ。
そして幻想種が倒されてから数秒後、元凶となった髑髏から突如として海域全体に伝わるほどの怪音が鳴り響き、眩いばかりの茶色の光が迸る。
「うぉおおおっ!? ええっ!? な、なんだ!!」
さらに髑髏の眼窩から拳大の光の玉が出現すると、それは高速で深淵海域の海の底へと飛び去っていった。
「あれは……なんだったんだ?」
「さあ、なんでしょうね……?」
ヤタノ隊員も眉根を寄せて解答を濁す。他の隊員達もあれがなんだったのか、明確な答えは出せないようだった。
一同が困惑して立ち尽くしていると、先ほどの怪音と同じ音が海域のどこか別の場所から聞こえてくる。音が突き抜けていったあと、やはり拳大の光の玉が飛来してきて海底に開く大穴へと吸い込まれていった。
「同じ音が別の場所から? いったいこの海域で何が起きているんだ……?」
また少し遅れてもう一回怪音が鳴り、三度光の玉が同じ場所へと飛んでいく。二度、三度と偶然ではない事象が起きている。
深淵海域の謎は深まり、俺達の探検は本格的な始まりを迎えた。





