遅れて来た男
探検隊と落下部が深海の奥底にある魔法陣を前にしていた時、海上を小型ボートに乗った一人の人物がさまよっていた。
「おかしいな……確かにリーチャ隊長の固有座標から反応があったんだけど……」
黒いコートに半ズボン、黒毛の猫耳が可愛い男の娘ゼレヴィア隊員だった。
「誘いに応じて来ては見たものの、ボートが故障して盛大に遅刻……。探検隊の誰一人とも会うことができないなんて、運がない……」
故障の原因は、燃料が古くなっていたことから発生したエンジンの燃料フィルター詰まりだったが、燃料タンクを洗浄して予備の新しい燃料に入れ替えたことで何とか再稼働させることができた。
「そろそろ魔導式エンジンに変えようかなぁ……交換部品も売っている所が少なくなってきたし……」
ヘボボボ……と不安な駆動音を鳴らす機械式エンジンの音を聞きながら、ゼレヴィアは周囲の岩礁をうまく避けながら、リーチャ隊長の固有座標が確認された付近を探索していた。
ふと背の高い岩場へ目をやったとき、ゼレヴィアは浅く海中に沈んだ箇所に何かが落ちているのに気が付いた。
「なんだ……? あの白いの……」
青黒い岩場では妙に目立つ、真白い物体が岩と岩の隙間に挟まっていた。
「人の、頭蓋骨?」
ボートを近くに止めて、岩場へと降り立つ。近づいてみるとそれは確かに人間の頭蓋骨と思われるものだった。海難事故にでも遭った人の骨なのだろうか。もし自分もボートの故障が直らずに遭難していたら、このような姿になっていたのかもしれない。そう考えると恐ろしさに体が震えた。
「早く、隊長達と合流しよう……」
不安を感じてボートに戻ろうとしたとき、突然、髑髏から黄色い靄が噴き出してゼレヴィアに襲い掛かってきた。
「えっ? ええぇっ!? わっ、わぁあああっ!!」
あまりにも唐突なことにゼレヴィアはびっくりして、岩場から足を踏み外し転げ落ちてしまう。波のうねる海面へと投げ出されて、ろくな装備もないままに海中へと沈み海流に呑まれ押し流されていった。
探検隊、落下部、その他の冒険者達が深淵海域の探索を始める際に拠点としていた大きな岩礁の上では、探索に疲れて休憩に戻ってきた者や、体調を崩したり怪我をして手当を受けている者など、幾らかの人が集まっていた。
「おーい、ミナヅキぃ~。大丈夫ぅ?」
「う……ウニが……。うにぃぃ……」
その中の一人、岩場にマットを敷いて横になっている猫人少女のミナヅキは、深海で何か恐ろしいものにでも出会ったのか、意識も曖昧なままにうわ言を呟きながらうなされていた。傍らにはジャージを着た狐人の女性、タックが付き添っている。
そんな二人の元に、魔導兵装に身を包んだ少女ゼロが海中より飛び出してくる。
「タックさん、ミナヅキの様子はどう?」
「おや、ゼロさん。見ての通りだよ。そちらはどう?」
「部長達は探検の続きをするって。よその探検隊と協力して、この海域の秘密を探るらしいです」
「へぇ? 落下部にしては、少し深入りしすぎているような気もするね……」
「自分もそう思うけど、この海域で起きていることは無視できない。部長もそう判断したみたいで――」
『――わっ、わぁあああっ!!』
ゼロがタックへの説明をしていたところ、遠くから人の叫び声が聞こえてきて言葉を遮られる。
声が聞こえた方を見ると、少し離れた海上に黄色い靄が立ち昇っていた。
「人の声が聞こえたね」
「はい。それにあの黄色い靄、幻想種でしょうね。誰か襲われているのかも。放っておくのは危険です」
「しゃーなし。私達で始末しに行こうか、ゼロさん」
言うが早いか、タックは驚異的な跳躍力で岩礁を飛び跳ねて渡り、黄色い靄の立ち昇る場所まであっという間に距離を詰めていく。
接近するタックの存在を察知したのか、黄色い靄が鎌首をもたげるようにして戦闘態勢らしき形状を取る。
黄色い靄がキラキラとした光の粒を辺りに放散すると、岩場に転がっていた石ころが浮き上がり、礫となって弾けるようにタックめがけ撃ち出された。
「ふぅ……。ほっ! はっ!」
当たれば重傷にもなりうる勢いで飛んできた石礫を、岩の足場を蹴りつけて跳び回り全て避けきる。攻撃を避けながらも徐々に距離を詰めていき、タックは背中に背負った棒を握ると黄色い靄に向かって叩きつけた。
殴打などの攻撃であれば通り抜けてしまいそうなところ、タックが振り下ろした棒が黄色い靄に触れると蒸発音と共に靄の一部が消失する。存在の一部を消し飛ばされた黄色い靄は身を捩らせるように揺らめき、おぞましい金切り音を上げて威嚇した。
――キキキキイイイキイィイッ!!
黄色い靄から先ほどの数倍もの密度で光の粒が放散され、周囲の岩が砕けて無数の石礫が浮遊する。これだけの数の礫を放たれてはタックも避けきることはできない。即座に海中へと飛び込み、撃ち出される石礫の雨から身を守った。
そして、黄色い靄がタックへ攻撃を集中している間に、魔導兵装を装備したゼロが間近に迫る。
ゼロ本体から分離した小型の魔導兵装が黄色い靄を取り囲み、四方八方からレーザーを照射して靄を焼き払う。見る見るうちに焼かれていく我が身を守るためか、あるいは海中に逃げたタックを追うためか、黄色い靄もまた海中へと飛び込んでいく。海面との反射でレーザー光も威力を分散される。
「それで逃げられるとでも?」
すかさずゼロも海中に飛び込み、魔導兵装を操って黄色い靄を目標に複数のレーザーを交差するように照射した。
交点におけるエネルギー密度を増幅させた、水中でも十分な殺傷能力を発揮するレーザー攻撃だ。海水が一瞬で沸騰して小爆発を幾つも起こす。
黄色い靄は、わずか一握りほどの大きさにまで削られた。
そこへ棒を両手で握りしめたタックが止めの一撃を叩き込む。海中で霧散するように黄色い靄が溶け消えていった。
同時に、靄を発生させた髑髏から黄色い閃光が迸り、コォオオオォッ!! と、海域全体に怪音が鳴り響く。
光の玉が一つ、海底を目指して飛んでいくのをゼロは黙って見送った。あれが結局なんなのかはわからないままだが、ハッカ部長達が調査してくれているはずだ。
「とりあえず、やっつけられたかね……」
手近な岩礁に這い上がったタックが、濡れた体をぶるぶると震わせて水を切る。普段はふわふわの狐尻尾も、今は水に濡れて重そうに垂れ落ちている。ゼロも空中で軽く回転し水を弾き飛ばすと、タックの元へ近づいていった。
「今の幻想種だよ? タックさん、よく武器で殴れたね。なにそれ?」
「悪霊退散棒。ゼロさんにも一本あげようか?」
一見して蕎麦の生地を伸ばすような麺棒なのだが、表面に細かく複雑な紋様が刻み込まれている。魔導回路の一種だろうか、あまり見慣れない形式のものだった。
「……遠慮しておきます。一応、自分用の近接武器は持ってるから」
「下手な霊剣なんかより効果あるし、便利なのに」
「う~ん……ビジュアル的になぁ……」
正直、ゼロの魔導兵装とこの悪霊退散棒を合わせるのは見た目のバランスが悪い。
ぐいぐいと悪霊退散棒を押し付けてくるタックから逃げるように視線を逸らしたゼロは、岩場の片隅に落ちた一冊の手帳を見つけた。
「手帳が落ちてる。この骸骨の人の持ち物だったのかな」
手帳は航海日誌となっているようだった。最後の一頁には家族のことを想う父親の日記が書き込まれている。
“娘が航海の暇潰しにと持たせてくれた仕掛け絵本。あれは面白い仕組みだった。魔導による演出付きの本なんて高価なはずだが。妻が買い与えていたのだろうか?”
「……父親を慕う娘が、娯楽用の魔導書を持たせてくれたんだね。仲のいい家族だったんだろうな……」
「でも、ここに髑髏があるということは、家族の元には帰れなかった」
「悲しいけど、そういうことになりますね」
手帳はだいぶ古いものだ。この娘というのも今は生きているかどうか怪しい。
航海から帰らぬ父親。全ては過去に起こった悲劇。
ゼロの感傷がタックにも伝わったのか、彼女もまた目を瞑って深淵海域の過去に思いを馳せる。
「この海で何が起きたのかなぁ?」
「さあ……。ただの海難事故だったのか、それとも僕らには想像もつかないことが起きていたのか」
「そういえば、さっき聞こえた人の声はなんだったんだろうねぇ?」
「近くに人影は見当たらないし、手遅れでしたかね」
「ま、ここが危険な場所だっていうのは誰もが承知していることだから。助けられなくても仕方ないかな」
冷めた様子のタックに、ゼロも特別に思うところはないのか、周辺の捜索は打ち切って元来た岩礁広場へと目を向けた。
「……とりあえず、戻りましょうか。あまり長い時間、ミナヅキを一人にしておくのは不安です」
「あの場にはハタノさんもいたから平気だよ」
「ハタノさん、いたんですか? 見かけなかったけど?」
ハタノさんは落書きみたいな風貌で素顔を隠した、落下部の中でもとりわけ謎の多い人物だ。
「あの人は隠遁の術が得意だから」
「何ですそれ……? 初耳なんですけど」
「とにかく大丈夫。だから、ゆっくり戻ろうか。ちょっと疲れたしね」
明るい態度を取っていたタックだが、相当に疲弊していたらしい。
魔導兵装で飛び回っているゼロは疲労を感じにくいが、それでも今日は深海に潜っての戦闘もあれば海上に上がってきてまたすぐの戦闘。だいぶ体に負荷はかかっていた。
「確かに、疲れましたね。ゆっくり戻りましょうか」
「そうしよう。そうこうしているうちに、部長達も戻ってくるでしょ」
深淵海域の探索が始まってから既に四時間ほどが経過している。
太陽も段々と傾き、孤独をもたらす海は赤く染まり始めていた。





