兎とアフロ
暗い、暗い、洞窟を。ぴょこぴょこぴょんと兎が進む。
冷たい、冷たい、海の中。ふわふわふわりと兎が泳ぐ。
私はウサギ。ごくありふれた亜人種、兎人で、どこにでもいるドコカノうさぎだ。
兎人と純人とのハーフ、つまるところ兎人としてはクォーターといったところか。
大きな兎耳が特徴で、それ以外はあまり純人と容姿に大きな差はない。ハッカ部長には思わず守ってあげたくなる可愛い兎少女、と言われている。
誇ってもいいのだろうか。私からすればハッカ部長の方が可愛くて、守らずにはいられないのだけど。
部長が狐耳をぺたりと伏せて「こゃ~ん……」とか困っているときなんて、もう抱きかかえて自宅にお持ち帰りしたくなる。
などと取り留めもないことを考えながら、たった一人で暗い海の底を漂っていた私は現実逃避も長くは続かずについつい弱音が口をついて出た。
「暗いぴょーん……ここはいったい、どこだぴょ~ん……」
ドコカノうさぎ、ここはどこだと道を見失いながら、深淵海域をただいま放浪中である。要するに落下部の皆とはぐれて迷っているのだ。ほんのちょっと、周囲の風景に注意を奪われていたら皆の姿が消えていた。その後は誰とも合流できないままに、この広い海域を一人で孤独にさまよっている。
「さっきから同じところをグルグル回っている気がするぴょん……。どこがどこだかわからなくなってしまったのです……。うぅぅ……助けてー! ウサギは、ここにいるぴょ~ん!!」
こんなことなら道連れに鹿人の相棒も連れてくればよかった。苦しい時はいつだって、お互いに苦しみを押し付け合った仲だ。
二人そろえばジビエーズ、なんてふざけたユニット名で獣ごっこして遊んでいたら、野山で本気の狩人に追いかけまわされたのは全くいい心的外傷になっている。お互いを餌に狩人の追跡から逃れようと、生き汚い逃走を繰り広げたものだ。
ウサギ追われし彼の山、幼き日の思い出であった。
そんな昔の記憶を脳裏に思い浮かべながら暗い海を当てもなく漂っていたとき、ふと前方にある海底の岩陰から得体の知れない何かが飛び出してきた。
「ぴゃっ!?」
「…………!?」
その正体不明の何かも意思を持っているのか、ウサギの声に反応してぴたりと動きを止めた。警戒しているのだろうか。
目を凝らしてよく観察すると、暗くて細部は確認できないが人型のシルエットであることはわかった。
――ただ、本来なら人の頭があるべき場所には、もやもやと揺れ動く丸い球体が据え置かれていた。その一点だけが、人であるかどうかの判断を狂わせた。
ウサギは寂しさと人恋しさで、人を見かけたなら駆け寄って飛びつきたい気持ちだった。それを理性で抑え込み、果たして目の前の存在が本当に人であるのか、まずはそれを冷静に確認しなければならなかった。ここは魔の海域だ。どんな魔物が潜んでいてもおかしくない。
相手との距離を一定以上は保ちながら、色々な角度から人影を注意深く観察する。だが、どの方向から見ても頭部は丸い球体状で変化がない。普通の人間では――ない。
「ま、毬藻怪人……?」
暗い、暗い、闇の奥。もこもこもこりと毛玉が動く。
寒い、寒い、海の中。もやもやもやりと毬藻が流れてやってくる。
「ひっ!?」
ゆっくりと、毬藻怪人が近づいてきた。あちらはもう、こちらとの接近に迷いがなくなったらしい。正体を掴めていないのはウサギの方だけなのか。
わずかに、ごくわずか海面からの光が差し込んだ位置に、毬藻怪人が足を踏み出した。真っ黒だったシルエット、その姿がうっすらと見えるようになる。
「あ……どうも。アフロっす」
「ど、どうもだぴょん?」
正体は長身アフロの男性だった。ごく普通の一般的な潜水服に身を包んでいる。しかし異常な点が一つあるとすれば、アフロだ。水の中だというのにアフロが丸い形状を保ったまま潰れずにいる。
「そのアフロ、どうなってるぴょん? どうしてペタンコに潰れないぴょん?」
今、尋ねるべきはそんなことじゃないとわかっていても、聞かずにはいられなかった深淵なる謎に触れてしまうウサギ。それに対する毬藻怪人……もといアフロのお兄さんの答えは簡潔だった。
「アフロは……魂だから」
「な、なるほどぴょん?」
それ以上の答えはないという言い切り方だった。魂はどんな圧力にも屈しないということだろうか、例え深海の水圧にも。ウサギにはちょっと難しくてよくわからない。
「えっと……ウサギは……ごく普通の兎人。どこにでもいる、ドコカノうさぎ、ぴょん!」
「うっす……。俺は、スイエン。探検隊のスイエン。よろしく……」
なんと、この毬藻怪人……じゃなかった、スイエン氏は探検隊の人だったようだ。落下部で岩礁地帯に集合したとき近くにいた、あの一団であろう。
「…………」
「…………」
二人して向かい合い沈黙が流れる。
深い海の底での沈黙、ひたすらに気まずい空気だ。いや、空気すらない海底なのだが。
しかし、いつまでもこのままというわけにもいくまい。そして、ここでの出会いは迷子のウサギにとっては救いだ。
「スイエンさんは……一人で探索ぴょん?」
「ああ……一人で探索していて、皆と合流する途中で……」
「ぴょん!? そういうことなら、ウサギも一緒に行っていいですか!? ウサギ、迷子になっていたぴょん!」
「俺もはぐれて迷っていた……」
「ぴょ……ぴょん……」
またしても気まずい沈黙が流れる。
「とりあえず、一緒に行くか……。せめて最初の集合地点まで戻るのを目標に……」
「そうするぴょん……一匹より二匹。道連れは多い方が寂しくないぴょん」
こうして一匹のウサギと一体のアフロは、連れ立って仲間との合流を目指すのだった。





