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ほたる亭のあやかしごはん~天狗の町で過ごす夏休み~  作者: 栗栖ひよ子
一ノ膳 猫又と食べられないキャットフード
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(8)

 ソウセキの名を呼びながら、私と日暮さんは町中を探し回った。ソウセキが好きだった散歩コースや、お気に入りのメス猫がいる家、草がぼうぼう茂った空き地まで、手足が虫さされだらけになるのも構わず、日暮さんはずんずん進んでいった。


「どこにもいないんですか? 他に行きそうなところなんて……」


 途方に暮れたように、日暮さんが額の汗をぬぐう。探し始めたのはお昼くらいだったのに、陽がずいぶん傾いてきている。

 ソウセキが行きそうなところ。生きているときに縁のあった場所でなければ、猫又になってからの……?

 瞬間、ぴんと思いつく場所があった。どうして最初に出てこなかったんだろう。


「もしかしたら、あそこかもしれません」


 ほたる亭の裏の川、私とソウセキが出会った橋の上に、ソウセキはいた。昨日と同じように、釣竿の隣に寝そべって。


「いた……! ソウセキ!」


 私と日暮さんが近寄ろうとすると、ソウセキはシャーッとうなりながら


「来るなニャン!」


 と叫んだ。


「ソウセキ、どうして」

「吾輩、飼い主になでてもらう権利なんてなかったニャン……。猫又になったあとすぐに飼い主に会いにいって、飼い主が自分を責めて泣いているのを見てしまったニャン。泣きながら、木の根元にある餌皿に、キャットフードを入れていたニャン。吾輩が好きだった、ダイエットフードじゃないほうのキャットフードニャン……」


 私が橋のたもとで立ち止まってソウセキの話を聞いていると、日暮さんも隣に並んだ。


「吾輩はおなかがすいていて、餌皿の前まで行ったけれど、どうしても食べられなかったニャン……。猫又になったのも、キャットフードが食べられなくなったのも、罰だと思ったニャン。わがままで死んでしまって、飼い主を悲しませた罰……」

「――違うよ! 日暮さんはそんなこと思ってないし、ソウセキだってそんな理由で猫又になったんじゃないよ!」


 気付いたら、私は全力で叫んでいた。こんなに大きな声を出したのは久しぶりで、ソウセキがびくっと震えたのがわかる。


「ソウセキはただ、ひと目でいいから日暮さんに会いたかっただけなんじゃないの? ごめんねじゃなくて、ありがとうが言いたかったんじゃないの!? 未練じゃなくて、強い願いがあったから猫又になったんだよ!」


 日暮さんが、はっとしたように息をのむのが隣から聞こえた。


「日暮さんがソウセキのこと、もっと長生きさせてあげられたかもって思うのも、好きなように生きさせてあげれば良かったって思うのも、大好きな人が死んじゃったら、みんなが思うことだよ! 私もおばあちゃんも、死んじゃったおじいちゃんに対して、おんなじことを思ってるよ……!」


 私は、日暮さんの気持ちがよくわかる。でも、ソウセキの気持ちもわかってしまう。わがままでお母さんの用意した夕飯を食べなくて、もし私がそのせいで死んでしまったら、きっとソウセキと同じように自分を責めただろうから。


「ソウセキも、日暮さんも、どっちもお互いのことを思っているのに、どっちも自分のことを責めてる! 相手のことなんてどっちも責めていないのに! だからふたりとも、後悔する必要なんて、ぜんぜんない……っ」


 大声を出したせいで、声がひっくり返って盛大にむせてしまった。ごほごほと咳をする私の背中を、日暮さんが控えめな手つきでさすってくれる。


「大丈夫ですか、夏芽さん」

「は、はい……。すみません」

「ソウセキは、そこにいるんですよね」


 私の呼吸が落ち着きを取り戻すと、日暮さんはすっと前に進み出た。


「ソウセキ。ごめんね、僕はあまりいい飼い主じゃなくて。飼い主が自分じゃなければソウセキはもっと生きられたのかな、もっと幸せだったのかなって、そんなことばかり考えていた」


「そんなことないニャン……」とつぶやくソウセキの弱々しい声は、日暮さんには届かない。はらはらしながら見守っていると、日暮さんは今までと違うやわらかい笑顔をソウセキに向けた。


「でも、そうじゃないんだよね。ソウセキは猫又になってまで僕に会いにきてくれた。本当にありがとう。長生きはさせられなかったけれど、君と過ごした十二年間は本当に幸せだったよ。僕の猫でいてくれてありがとう。ずっとずっと、僕の猫はソウセキだけだよ」


 日暮さんが膝をついて、両手を広げる。


「修治……!」


 ソウセキが初めて日暮さんを名前で呼んで、ぴょんと飛びついた。日暮さんはソウセキがそこにいるのがわかるかのように、ぎゅっとその身体を抱きしめる。

 その光景はとても神々しくて、愛しさに満ちていて、私は泣きそうになりながらふたりを見つめてしまった。


「吾輩も、修治が大好きニャン! 好き嫌いしてごめんニャン。ずっとずっとそばにいられなくてごめんニャン。悲しませてごめんニャン。吾輩のことを愛してくれて、ありがとうニャン……」


 二又だったソウセキのしっぽが、一本に戻っていく。


「ソウセキ、しっぽが……!」


 日暮さんの胸に抱かれながら振り向いたソウセキの身体は、光に包まれていた。


「ソウセキ……?」


 同時に日暮さんが、信じられないような声でつぶやいた。目を大きく見開いたまま、ソウセキの顔を凝視している。


「修治、吾輩の姿が見えるのかニャン?」

「どうやらそうみたいだ。声も聞こえるよ。いつもソウセキと話せたらいいなと思っていたけれど、こんな形で叶うなんて……」


 日暮さんが、声をつまらせる。そうこうしているうちにも、ソウセキの輪郭はだんだんと薄くなってきていた。


「やだ、ソウセキ、消えないでよ……!」


 涙があふれて、足が震えて前に進めなかった。


「泣かないで欲しいニャン。最後に、夏芽に渡したいものがあるニャン。こっちに来て欲しいニャン」


 ぐすぐすと泣きじゃくりながら日暮さんとソウセキに近付くと、ソウセキは前足で私の身体に触れた。

 触れ合った部分から生まれた金色のあたたかな光が、私の身体に吸い込まれていく。


「猫又の加護ニャン。昨日のごはんの、お礼だニャン。夏芽にも、会いたい人が、後悔していることがあるんじゃないのかニャン? 今度は夏芽の番ニャン……」


 言いたいことがたくさんあるはずなのに、しゃくりあげるばかりで言葉が出てこない。


「みんな大好きニャン……」


 最後にそう言って、ソウセキの身体は光の粒子になった。ふわふわしたいくつもの光が日暮さんのまわりに浮かんで、シャボン玉が弾けるように消えてしまった。


「ソウセキは、消えてしまったんですね」


 しゃがみ込んで泣き続ける私に、そんな日暮さんのつぶやきが降ってきた。思わず、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げてしまう。

 私よりもつらいはずなのに、日暮さんは穏やかな表情でソウセキがいるであろう空を見つめていた。


「夏芽さん。最後にあの子に、おいしいものを食べさせてくれて本当にありがとう」


 そう言って、私が泣きやむまでずっと、日暮さんはそばにいてくれた。そのあたたかさがソウセキの体温と似ていて、私の涙はなかなか止まってくれなかった。



 数日後。おじいちゃんの命日に、私とおばあちゃんはお墓詣りに来ていた。

 墓石をふたりで洗い清め、お花を入れ替えてお線香を供える。おばあちゃんは長いこと、お墓の前で手を合わせていた。


「おばあちゃん、おじいちゃんに何か話しかけていたの?」

「いろいろとねえ」


 よいしょ、と立ち上がりながら、おばあちゃんは遠くを見つめる。その表情がさびしそうだったから、私は昨日から考えていたことを思い切って口に出してみた。


「あのさ、おばあちゃん。思ったんだけど、おじいちゃんはおばあちゃんと私が後悔するのを、望んでいないんじゃないかな……」


 桶と柄杓を持った手元に視線を落としながら、霊園の出口に向かって歩く。


「たぶんなんだけど、幸せな人生だったよって、わかっていて欲しい気がする。ソウセキのことで、感じたんだけど……」

「そうかもねえ。きっとおじいちゃんだったら、そう言うだろうねえ」


 今日は黒っぽい着物を着ていたおばあちゃんは、歌うような口調で同意した。


「そうだろうっていうのはね、わかっていたんだよ。でもどうしても、後悔するのをやめられなくてねえ。でもこれからはおじいちゃんのためにも、楽しい思い出だけ振り返ることにするよ」

「うん。そうしよう」


 してあげられなかったことを憂うのではなくて、一緒にしてきたたくさんのことを想おう。誰よりも幸せな人生だったよって思うことが、亡くなった人が望んでいるいちばんのことかもしれないのだから。


『皐月、夏芽』


 ふっとあたたかい空気が流れてくるのを感じ、お墓を振り返ると、懐かしい人がそこに立っていた。

 一瞬誰だかわからなかった。半袖のポロシャツにグレーのズボン、白髪をオールバックにしてなでつけたその姿は、生きていたころのおじいちゃんそのままで、あまりにも自然だったから。

 おじいちゃんは優しい笑顔で私たちを見つめていて、そして――。


『正解だよ』


 そんな声が聞こえてきた気がした。


「お、おばあちゃん、今、おじいちゃんが……!」

「え?」


 おばあちゃんの手をつかんで再び振り返ったときには、おじいちゃんの姿はなかった。


「今、お墓の前に、おじいちゃんが」


 胸がドキドキして、つっかえながらそう伝えると、「まあ」と言っておばあちゃんは嬉しそうに微笑んだ。


「じゃあ、今夜の夕食はおじいちゃんの大好きなものを作らないとねえ」


 まるで今でもおじいちゃんに恋しているみたいに、おばあちゃんはそう言った。

 夫婦って、すごい。そう思ったことはおばあちゃんには内緒だ。



 そしてもうひとつ、びっくりすることがその後あった。

 お墓詣りを終えてお店に戻ると、おばあちゃんがいつものようにテーブルに置いた料理を食べる動物の姿があった。

 新しいあやかし!? と思って後ずさる私を振り返ったのは、でっぷりした三毛猫で、そのしっぽはふたつに割れていた。


「ソ、ソウセキ!?」

「見つかっちゃったニャン」


 消えたはずのソウセキは、照れくさそうにぴょんと椅子から下りた。おにぎりの海苔が、鼻の頭についている。


「どうして? 成仏したんじゃなかったの?」

「そんなこと言ったかニャン?」

「だってこの前、消えちゃったじゃない!」

「吾輩がずっと猫又でいたら、修治はずっと吾輩のことを心配したままニャン。だからちょっと、一芝居うったニャン」


 ぺろっと舌を出して顔を洗うソウセキの言葉に、私は唖然としてしまう。

 テーブルに置いてあったはずのおにぎりは、具が鮭のものだけきれいになくなっていた。


「あ、あ、あんなに泣いたのは、なんだったのよ~っ!」


 昨日の自分の姿を思い出すと恥ずかしくて、頭をかかえて座り込んでしまう。


「夏芽、ごめんニャン」

「うぅ……」


 すり寄ってくるソウセキに恨みがましい目を向けたが、内心ではまた泣きそうになっていた。もちろん、ソウセキに会えたことが嬉しくて、だ。


「しばらく許さないんだからね!」


 ソウセキをむぎゅっと抱きしめると、顔をそむけられて「苦しいニャン」と文句を言われた。

 今日の夕飯は、四人で食卓を囲もう。私とおばあちゃんとソウセキ、見えないおじいちゃんと。

 知らない人が見たら不思議な光景かもしれないけれど、私たちにとってはとびっきりのおいしい食卓なのだから。


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