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ほたる亭のあやかしごはん~天狗の町で過ごす夏休み~  作者: 栗栖ひよ子
一ノ膳 猫又と食べられないキャットフード
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(4)

 家の裏手にある川は、山の上から民家の裏を流れてきて、やまのふもとまでつながっている。上流のほうは『おいしい山の湧水』と評判になっており、県外からわざわざ汲みに来る人もいるくらいだ。

「山からのおいしい湧水が流れてきているから、真鍋のお米はおいしいんだよ」というのは農家の人からよく聞く言葉。

 大人だったら、ところどころ頭のてっぺんを覗かせている石をわたって端から端まで行けるくらいの、あまり広くはない川だけど、いちおう簡易的な木の橋はかかっている。


「きゅうり、きゅうり……。あれかな?」


 その橋のたもとに網がかかっていて、きゅうりごと涼しそうに揺れていた。橋の上では猫がお昼寝しているし、なんだかほっこりしてしまう。

 川の端っこから手を伸ばし、服が濡れないようにきゅうりが何本か入った網を回収したあと、橋の上に向かう。

 ついでに猫ちゃんを撫でさせてもらおう、と思ったのだが、なんだか様子がおかしい。


「えっ、これ、ちゃんと生きてる……?」


 ふつう、猫はおなかを見せないものなのに、まるで行き倒れたみたいに手足を伸ばしてひっくり返っている。


「この棒、なに……?」


 そして猫の横に、糸のからまった長い枝が転がっている。

 まさか、この棒でいじめられて気絶しているんじゃ! いやそもそも、生きているかどうかすらあやしい。

 私はその棒でおそるおそる、猫のでっぷりしたお腹をつついてみた。


「……にゃ、にゃ……」


 太めの三毛猫ちゃんは、目を閉じたまま鼻をひくひくさせている。良かった、とりあえず息はあるみたい、とほっとしたときのこと。


「ぶにゃ――ッ!! なにをするニャ!」


 猫が大声をあげながら、怒りの形相で立ち上がった。


「えっ、えっ……!?」


 驚いて、座った体勢のまま尻もちをついてしまった。私を見下ろすように、猫は鼻息を荒くしている。

 猫が人間の言葉をしゃべるのも、二本足で立ち上がるのもおかしい。寝ているときにはわからなかったが、猫のしっぽは二又に分かれていた。もしかしてこの子は……。


「お前は誰だニャ! 吾輩のおなかを気安くつつくだなんて失礼な! 名を名乗れニャ!」

「は、箸本(はしもと)夏芽です……」


 猫の勢いに圧されて、思わず素直に名乗ってしまう。


「夏芽……? もしかして、皐月(さつき)の孫かニャ?」

「そ、そうです」


 皐月というのは、おばあちゃんの名前。


「吾輩は猫又である。名前はソウセキだニャ」

「ソ、ソウセキ……」


 文豪かぶれした喋り方のこの猫又には、しっくりくる名前だと思った。


「ふむ、よく考えれば、夏芽とソウセキで、夏目漱石になるニャ! これはいい出会いだニャ!」

「は、はあ。良かったですね。じゃあ私はこれで……」


 なんだか面倒くさい猫又だな、と私の五感が叫んでいる。早いところ退散しようと、そそくさと回れ右したのだけれど……。


「待つニャ!」


 ソウセキはがしっと、私の足にしがみついてきた。もふっという感触のあとおなかのやわらかさが伝わってきて、一瞬だけ口元がふにゃっとなごんでしまう。身体のあたたかさと肉球のつめたさのコントラストもすばらしい。

 いやいや、かわいいけれどこの子は猫又なんだ。


「な、なに?」

「なんで行き倒れていたか、訊かないのニャ?」


 ソウセキは小首をかしげて、上目遣いになっていた。これは絶対、自分のかわいさをわかっている仕草だ。


「えっ、行き倒れていたの?」

「そうだニャ……。この釣竿で魚を釣っていたのだけど、うまくいかなかったんだニャ」

「それ、釣竿だったんだ……。でも猫なんだから、魚を釣らなくてもキャットフードとか猫缶とか、いろいろあるじゃない」


 そう言うと、ソウセキは私のふくらはぎから離れてかなしそうな顔をした。猫に眉毛はないのに、への字になった眉毛が見えるようだ。


「ダメなのニャ。飼い猫だったときに食べていたものは、猫又になってから食べられなくなってしまったのニャ……」


 飼い猫。そうか、他のあやかしや神さまと違って、猫又はふつうの猫がなるものなんだっけ。長生きすると猫がのしっぽが分かれてくる、なんて話を聞いたことがあるし。


「他にも、玉ねぎはダメとか、味が濃すぎるものはダメとか、猫舌だから熱いものが食べられないとか、猫だからいろいろと制約があるニャ。食べなくても猫又だから死なないけれど、ひもじいのはしんどいのニャ……」


 今まで人間に食べものをもらってきて、かわいがってもらって。ぬくぬく生きてきたのに、急に誰にも見えなくなるなんて悲しいだろうな。

 気が付いたら、ソウセキに同情している自分がいた。高校に入ってから空気になってしまった自分と、同じ匂いを感じていたのかもしれない。


「あのさ、夕飯の時間になったらうちにおいでよ。すぐそこのほたる亭。おばあちゃんのことを知ってたってことは、うちが食堂なのも知ってるんでしょ?」

「ふつうの猫だったときは、ほたる亭の前を通りがかるたびにかわいがってもらったニャ。でも、吾輩が猫又になったときは皐月さんはもう、吾輩のことが見えなくなっていたニャ。だから猫又になってから、ほたる亭には行ったことがないニャ……」


 ソウセキが、不安そうにうつむいた。耳もいっしょにぺたんと折れている。


「大丈夫、おばあちゃんは今でもあやかしや神さまが大好きだから。じゃあ私、おつかいの途中だったからそろそろ行くね。あ、あとちょっとお願いが……」

「……何だニャ」

「ちょっとなでてもいい?」


 そわそわしながら伝えると、ソウセキは黙って頭を下げてくれた。

 きゅうりを抱えた反対の手でソウセキの頭をなでると、気持ちよさそうに目を細めてくれる。そのまま、あごもなでようと思ったのだけと……。


「調子にのるなニャ! もう終わりニャ!」


 シャーッ、という声を出しながら後ろに飛びのかれたので、「ごめん」と謝る。そっちだって気持ちよさそうにしていたのに。


「じゃあ、待ってるからね」


 そっぽを向いてしまったソウセキを残して、お店に戻ることにする。

 こっそり何度か振り返ったのだが、ソウセキは橋の上からじっと私の帰る姿を見ていた。目が合うと、ぷいっと逸らされてしまったが。

 その姿が猫なのにハチ公みたいに見えて、飼い主のいないソウセキを思うと、少し胸が痛くなった。


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