(9)
その後、天狗さまに送られて夏祭り会場まで戻った私は、にやにや顏のみんなに出迎えられた。
私が口を割らないものだから、みんなが天狗さまを取り囲んで質問攻めにしていた。彼の恰好が変化したことについて誰も何も言わないので、やっぱりみんな正体に気付いていたのだろう。
ミヅキもミモリも、以前会ったときには遠慮がちだったのに、今は彼に対してだいぶ気安そうだ。
ひとりぼっちだと言っていた天狗さまの周りが、これからはたくさんのあやかしや神さまたちであふれるといいな。
材料がなくなってしまったので打ち上げは後日ということにして、準備が終わったら家に帰った。お母さんが、
「どうせ何も食べてないだろうから」
と夕飯を用意してくれていた。
夏野菜カレーにタラモサラダ、トマトとベーコン、レタスを入れたBLTスープ。おしゃれなメニューはどれもお母さんの得意料理で、私の好物だった。
「もしかして、打ち上げのかわりに私の好物を用意してくれたの?」
カレースプーンを口に運びながら、お母さんに尋ねる。
久しぶりの夏野菜カレーは、トマトの酸味が辛さを引きたてて、疲れていてもどんどん食べられた。素揚げしたナスやパプリカの甘味が口休めになってちょうどいい。
ポテトに明太子が入ったタラモサラダはピリ辛だし、BLTスープはさっぱりしているし、食欲がなくても食べられるものばかりだ。
「まあね、疲れているかと思って。二日間、頑張ったわね」
お母さんも、ちゃぶ台の向かいでカレーを黙々と食べている。
今まで気付かなかっただけで、毎日の献立のチョイスにも、お母さんの愛情が隠れていたのかもしれない。だって私も、みんなに料理を作るときには、喜んで欲しくて一生懸命考えていた。
「お母さん、毎日料理を作ってくれて、ありがとう。大好き」
手を止めてそう言うと、お母さんはびっくりした顔で私を見たあと、再びぱくぱくとカレーを食べ始めた。さっきよりも早いペースで。
「急に何言ってるのよ、もう。家族のためにごはんを作るのは当たり前でしょ」
もごもごとそう言うお母さんが、本当は喜んでくれてるんだってこと、ちゃんとわかってる。
障子から頭だけ出して、ほたるちゃんがこちらをじーっと見ている。あまりにもうらやましそうな顔をしているので、今日は特別にカレーもお供えしてあげようと思う。
「お母さん、私、決めたよ。二学期からまた、もとの学校に通うことにする」
「そう――。ちゃんと夏芽自身で決めたのね」
「うん」
「頑張りなさい。夏芽ならできると思ってる」
お母さんの口調も瞳も、今までのような心配な子どもを見るものじゃなかった。ひとりの人間として信頼してくれているんだ。
「明日、おばあちゃんのお見舞いに行くね。夏祭りが成功したことと、もういっこの夢も報告したいから」
「もういっこの夢って?」
「それは先におばあちゃんに話したいから、まだ秘密!」
「もう。お母さんは二番目なのね」
ごめんねお母さん、と心の中で謝る。最初に天狗さまに打ち明けてしまったから、本当は三番目なんだ。
翌日。送り盆をする前に、私はお母さんと病院に向かった。
何日も点滴につながれているおばあちゃんの顔は、頬が痩せたように思う。
このまま何も食べられないなんて、嫌だ。もっとたくさんの料理を覚えるから、もっとおいしいものを作れるようになるから、それをおばあちゃんに食べて欲しい。
「おばあちゃん」
お母さんが気を遣って花瓶の水を替えに行ったので、ベッドの脇にあるスツールに座る。
「夏祭りの屋台、成功したよ。二日ともお客さんがいっぱいで……二日目は完売したんだよ。ソウセキやみんなも、すごく頑張ってくれたの。優しい言葉をかけてくれたお客さんも、いたんだよ……」
おばあちゃんの手を握ってみる。いつものあたたかい手とは違って、ひんやりしていた。
「それでね、私、二学期からもう一度、もとの学校に行ってみる。今までは周りと自分を比べて無理していたけど、これからは自分らしく学校生活を送ってみようと思って。今なら、それができると思うんだ」
ごしごしと、自分の手でおばあちゃんの手をこすって、あたためようとしてみる。それでも、おばあちゃんは目を開けてくれない。返事をしてくれない。
「夏休みが終わったらこの町から離れてしまうけれど、私ね、ほたる亭を継ぎたいんだ。高校を卒業したら調理師免許を取って……。そしてまた、おばあちゃんとお店をやりたいの。だから……」
だんだんと、涙まじりの声になってしまう。泣いちゃダメなのに。成長した自分を見せなきゃ、おばあちゃんには届かないのに。
「だから、目を覚ましてよ……! もっといろんなことを教わりたいよ。もっと成長したところも見て欲しいよ。私も頑張るから、おばあちゃんにも頑張って生きて欲しいよ……!」
おばあちゃんの手にすがりついて、ほとんど叫ぶように懇願してしまった。ああ、こんなはずじゃなかったのに。
ごしごしと涙を乱暴にぬぐっていると、おばあちゃんのまぶたがぴくりと動いた。
「お、おばあちゃん……?」
ちょうど戻ってきたお母さんが、びっくりして花瓶を落としそうになっていた。
「おばあちゃん! 夏芽だよ!」
「目を開けて、お母さんっ……!」
お母さんも、花瓶を置いておばあちゃんの手を握る。
はらはらしながらふたりで見守っていると、おばあちゃんがゆっくりと目を開けた。
「お、お、おばあちゃんっ……」
まだぼんやりとした視線が私たちをとらえると、きょとんとした表情になった。
「なん、で……。あら、声、が……」
無理やりしゃべろうとしたおばあちゃんが咳き込む。あわてて、お母さんが看護師さんを呼びに行った。
呼吸器を外してもらって、脱脂綿に含ませた水を飲ませてもらって、おばあちゃんは少し落ち着いたみたいだった。
「おばあちゃん、町内会長さんの家に行ったあと急に倒れたんだよ」
「数日間、意識不明だったのよ」
そんなふうに説明すると、おばあちゃんはとてもびっくりしていた。
「夏芽、ちゃん。夏祭りは……」
「うん。ちゃんと成功させたよ。みんなが手伝ってくれたんだよ」
「がんばった、わねえ」
まだ力が入らないのに、私を撫でようと一生懸命手を伸ばしてくれるおばあちゃん。
「おばあちゃん、ありがとう。大好き」
泣きそうなのをこらえながらそう言うと、
「おばあちゃんもだよ」
いつもの優しい笑顔で、おばあちゃんは答えてくれた。
お医者さんからの説明によると、体調にまったく問題はないそうだ。ただ、数日間点滴だけの生活で寝たきりだったので、身体が自由になるにはもう少し入院しないといけないと。
それから夏休みが終わるまでの間、お母さんとふたりでおばあちゃんの退院準備をした。
ほたる亭に『しばらく休業します』の張り紙をしたり、おばあちゃんの部屋にベッドを入れたり。お風呂に暖房と手すりも取りつけてもらった。
おばあちゃんは「そこまで年寄り扱いしなくても」と言っていたのだが、「できることはやっておかないと心配だから」とお母さんが訴えると、しぶしぶ了承してくれた。
私がちょくちょくほたる亭のほうで料理をしていることに関して、お母さんは何も言わなかった。
「もしかして、夏芽に吾輩たちが見えることに、気付いているんじゃニャいか?」
ソウセキが、お母さんについて鋭い分析をしてくる。私もそれは同じように感じていたことだった。
「そうかも。私が小さい頃見えていたことも、知っているはずだし。お母さんは目に見えないものを信じるタイプじゃないけれど、私が見えているものを否定もしないと思う」
見ているものが違っても、お互いを尊重していれば、それは同じ景色を見ていることになるんじゃないのかな。私の目に映るこの町も、みんなの目に映るこの町も、おなじようにあたたかくて優しいと、そう感じるから。
「そうか。いいお母さんじゃな」
ヒノが褒めてくれるから、私も嬉しくなってしまう。
「うん」




