(7)
「それで……そのあとヒノはどうしたの?」
「わしのことを親切な神社関係者だと、娘さんは信じてくれているようじゃった。うぬぼれじゃなければ、娘さんもわしのことを、憎からず思ってくれているように見えた……」
「じゃ、じゃあ、両想いじゃない!」
ミヅキが興奮して鼻息を荒くする。私も前のめりになって、うんうんとうなずいてしまう。神さまと人間の恋物語を目の前で聞いて、胸がドキドキしてきた。
「そんなうまくはいかんかった。彼女は人間で、わしは狐じゃ。そもそも人間に化けなければ、声だって届かない関係なんじゃ。想いが通じていたからと言って、どうにもできんかった。そのうちに娘さんにお見合いの話が来たのじゃが、娘さんは写真も見ずに断ってしまったのじゃ……」
そうだよね、好きな人がいたらそうなるよね、と共感してしまう。
「その後も縁談のたびに断り続ける娘さんを見てわしは思った。このままでは、わしのせいでこの子が婚期を逃してしまう! と……」
「そ、そんな……」
「じゃがのう。可愛くて、気立てもよくて、健気な若い娘さんが、わしのせいでどんどん年老いてしまう姿を見ていられるか? 人間の然るべき相手と結婚すれば、家庭を持って幸せになれるというのに、それを諦めてくれと願えるか? そんなのは、神さま失格じゃ。だからわしは、娘さんに言ったんじゃ。自分はもう遠くに行ってしまうから会えなくなる。どうか結婚をして幸せになって、子孫代々この店を続けていって欲しい、とな……」
ヒノは神さまだから、好きな人の子どもも、孫も、ずっと見守り続けていかなければいけないんだ。彼女と、彼女の子孫のためにずっと商売繁盛を叶え続けるなんて、そんな形でしか想いを伝えられないなんて、切なすぎる。
ヒノの言葉に込められた気持ちを考えると、涙がこぼれそうだった。
「さっき出てきた若い女性は、彼女の娘じゃよ。二十年前の彼女にそっくりじゃった……」
彼女はヒノとの約束を守って、娘を立派に育て上げ、お店を続けている。ヒノの時間だけがずっと、二十年前のまま止まっているんだ。
どうしたらいいんだろう。
私がヒノに何と声をかけたらいいか迷っていると、ミヅキがわなわなと震えながらヒノの前掛けをつかんだ。
「な、何をするんじゃ」
胸ぐらをつかまれた体勢になったヒノが後ずさりするが、ミヅキがそれを許さない。ぎゅうっと前掛けをつかんだまま、ミヅキが叫ぶ。
「あんたがずっときつねうどんにこだわってるのは、まだ彼女に未練があるからなんでしょ! 相手はもう結婚して子どもがいるのよ? とっくに振られているんだから、さっさと会いに行ってすっきりしてきなさいよ!」
その迫力はまさに姉御だった。いや、どちらかというと、情けない息子を叱る肝っ玉母さんかもしれない。
「だ、ダメじゃ。会えない」
私とミモリは思わず拍手してしまったのだが、ヒノはそう言って顔を逸らしてしまう。
「どうしてよ」
「そのとき化けていた人間の顔の細かいところを、忘れてしまったんじゃ」
「そんなの、相手だって覚えていないわよ。二十年経つんだし適当に歳を取った姿にしておけばいいじゃない」
「だ、ダメじゃ……。わし、見栄を張って、人間に化けるときに美男子にしてしまったんじゃ……。本当はじじいだなんてバレとうない……。きっと嫌われる……」
ヒノはとうとう、前脚で顔を覆ってしまった。そんな乙女な姿は置いておいて、私たちはヒノの発言にあんぐりと口を開けてしまう。
つまりそれって、好きな人にずっとイケメンと思われていたいってことだよね?
「あ、アホかーっ! 今まで会いに行けなかったのも、自業自得じゃない!」
「ヒ、ヒノは本当に見栄っ張りなんだな」
「もう、じいさまの姿になって、歳をサバ読んでましたって謝ってきなさいよ!」
これはサバを読んでいたで済むことなのだろうかと、娘さんに感情移入した私はう~んと考え込んでしまった。
*
そして私たちは再び、うどん屋の前に来ていた。
ヒノは無理やり、人間の老人の姿に化けさせられていた。和服に白髪、長い髭のおじいちゃんは狐のときのヒノとそれほど変わらない印象だが、神社関係者というより仙人のようだ。まあ、細かいところはあまり気にしないでおこう。
「な、なんだかドキドキするのう」
「えっと、作戦のおさらいね。ヒノと私は父親と娘なんだよね。ふたりで懐かしのうどん屋に入って、おかみさんが出てくるのを待つ……と」
このビジュアルのヒノだと、どう見てもおじいちゃんと孫なのだが、二十年の間に十六歳の孫ができていたらおかしいので、そこは父親で妥協してあげることにした。
「まだるっこしいわね。最初からおかみさんいますか、って聞いちゃえばいいじゃないの」
「少しでも思い出の味に浸りたいんじゃ! まったく、この繊細な感傷を理解できんとは……」
「ああもう、ふたりとも! ここで言い争っていたらまたお店の人が出て来ちゃうから、入るよ!」
ガラガラとお店の引き戸を開けると、高級感のある和食処、といった雰囲気の店内だった。椅子やテーブルが黒い木で統一されていて、座布団などは赤だ。もしかして稲荷大社をイメージしているのかもしれない。
「いらっしゃいませ。あら? さっきの……」
彼女の娘だという、店員のお姉さんが店内にいた。私よりちょっと年上の、大学生くらいの年齢だろうか。
「さ、さっきはすみません。お小遣いが足りなかったので、お父さんを連れてきたんです……」
「そうだったんですね。ふたりで来てくれてありがとうございます。こちらのテーブルにどうぞ」
クーラーの直風が当たらない席に案内してくれたのは、一見老人に見えるヒノへの気遣いだろう。お店の雰囲気が優しくて、娘への教育も行き届いているってことは、おかみさんが素敵な人だってことだよね。
「お姉さんも、いい人そうだったね」
対面の席に座ったヒノにこそっと耳打ちすると、
「そうじゃろ、そうじゃろ」
と嬉しそうにされた。
「自分の娘じゃないのになんでヒノが自慢げなのよ」
と隣に座ったミヅキにツッコまれていたが。
名物のいなり寿司セットをふたつ、私はかきあげうどん、ヒノはきつねうどんを選んで注文する。かきあげだったら人参も天かすも入っているので、ミヅキとミモリが喜んでくれるかなと思ったからだ。
ヒノがそわそわしている間に、ふたりぶんのセットが運ばれてきた。
「稲荷名物セット、お待たせしました~」
少し小さめサイズのあったかいうどんに、八角形の箱に入ったいなり寿司。
「おいしそう……」
「は、早く食べましょ」
猫舌だから、と言って持ってきてもらった取り分け皿に、ミヅキとミモリのぶんのうどんを入れて渡す。
「目立たないようにテーブルの上に置いて食べてね」
「了解なんだな」
私も、うどんに箸を伸ばす。まず麺をひとくちすすると、表面がつるつるなおかげで口の中にどんどん吸い込まれていく。しかも、噛むと歯ごたえがあってしこしこ。
感激してお出汁を飲むと、これまた上品でダシのしっかりと効いた味わい。
「お、おいしい~っ」
ほたる亭でもうどんは出していて、おばあちゃんの素朴なうどんももちろん大好きだが、このうどんはまさに『うどん屋さんの本格うどん』。親父さんが奥でうどん粉を踏みしめる姿が目に浮かびそうな、しっかりコシのあるおうどんだった。
「じゃろう? この味、昔と変わっていなくて安心したわい。親父さんも歳だとは思うが、このうどんが作れるのだから元気なのじゃろう」
親父さんと、その娘である彼女、そのさらに娘であるお姉さん。親子三代でお店を経営しているのだろうか。
「すごいね。おじいちゃんと孫が一緒にうどんを作っているなんて」
「何を言っておるんじゃ。夏芽のところも同じようなものじゃろう。祖母と孫なんじゃから」
「あ、そうか」
「お、おおお。いなり寿司のこの味も、昔と変わらんのう。きっとこっちは彼女が作っておるのだな」
ヒノが感激しているいなり寿司は、小ぶりのものが六種類詰められていた。いろんなトッピングのものを少しずつ食べられるなんて、ぜいたく。
菊の花のお浸しが気になっていたので一番最初に口に運んだのだが、つめたいお出汁がしっかり染み込んでいて、甘いお揚げとの相性がバツグンだった。
甘エビとたくあんの組み合わせのものには、酢飯の中にも刻んだたくあんが混ぜ込んであって、食感が楽しい。
「これ、ひとつひとつ味付けが違っていて、すごく凝ってるね。ヒ……お父さんが食べたのも、こんな感じだったの?」
お姉さんが他のお客さんの注文を聞きに近くを通ったので、あわてて呼び方を変えた。
「お供えを食べたときには、トッピングはあったけれどもっとシンプルな感じじゃった。セットにすることを決めてからいろいろと改良を重ねていって、そのたびにわしが味見役をしていたのう」
「ふうん……」
どうしてだろう。さっきのきつねうどんの話と今の話、なんだか少し引っかかる。
「お父さん。あのね、おかみさんってもしかして……」
私が疑問を口にしようとしたとき、ヒノの顔つきが変わった。
視線の先を追うと、恰幅のいい中年の女性が、他のテーブルに注文されたうどんを持ってきたところだった。
「はい、稲荷名物セット、お待ち!」
「おかみさんはいつも元気だねえ~」
「それだけが取り柄だからね!」
常連らしいお客さんと軽口を叩き合いながら、力こぶを作ってみせる。たくましい腕はいくらでもいなり寿司を握れそうな……。
「ん? 今、おかみさんって言った?」
ということはあの人が、ヒノの想い人!? なんだか娘のほうとはずいぶん雰囲気が違うけれど、長い年月が彼女を肝っ玉母さんに変えてしまったのだろうか。
心配してヒノをちらっと見るけれど、その瞳は感激にうるんでいた。
「ああ、健気で頑張り屋さんなところ、昔から変わらないのう……」
おかみさんの一挙一動を目で追っては、鼻をすすっている。
「見た目に面影がなくなっても気持ちが変わらないなんて、すごいわよね」
「うん。私もそう思う。ヒノは素敵な恋をしたんだね」
ミヅキと小声で言葉を交わしあった。
私たちがじっとおかみさんを見ていると、彼女がこちらに気付いて近付いてきた。




