表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ほたる亭のあやかしごはん~天狗の町で過ごす夏休み~  作者: 栗栖ひよ子
一ノ膳 猫又と食べられないキャットフード
2/37

(2)

 ぶるるるる、と大きな音を立てて、私以外誰も乗っていなかったバスが去ってゆく。


「ああ~、疲れたあ。長かった……」


 大きなボストンバッグを肩から下ろし、地面にドサッと置いた。バスから降りたとたんに、ポニーテールにしたうなじからじわりと汗が噴き出してくる。Tシャツとショートパンツ、という涼しい恰好で来たせいで、じりじりと照りつける太陽をもろに浴びてしまうはめになった。うぅ、水分がぜんぶ蒸発してしまいそう。


 早くおばあちゃんちに行って、つめたい麦茶を飲ませてもらおう。

 そう決めてボストンバックを背負い直す。

 てくてくとバス停からの道のりを歩くけれど、見渡す限りの田んぼと畑だ。道の先は山へと続くゆるやかな坂道で、民家が遠い。


 ここ――、私が子どものころまで住んでいた真鍋町(まなべまち)は、北関東の山あいの小さな町だ。観光資源は、山から採れる御影石(みかげいし)と、遺産登録もされている古い町並みくらい。

 ファミレスもデパートもない、イノシシや狸が民家に出るような田舎町。天狗伝承があって、山の上の神社には天狗さまが祀られているくらいだ。

 額から流れる汗を手でぬぐったとき、木の上に人が立っているのが見えた。


「……え!?」


 道路と畑の間にわさっと生えた大きな木の太い枝に、その人は立っていた。しかも、手で幹を支えることもせず、腕を組んでいる。


「あのっ! あ、危ないですよ……!」


 思わず手をメガホンの形にして声をかけてしまったが、その人は驚いたようにびくっと肩を震わせただけで、そこから動かない。身体の向き的には、こちらを見ているとは思うのだが。


「ええっ……。どうして?」


 それに少し、いやだいぶ、妙な格好をしている。

 やたら底の高い下駄に、紺色の浴衣。浴衣はまだしも、この下駄でどうやってそこまで登ったんだろうと気になった。

 体型的に若い男性っぽい感じがするのだが、顔は見えない。長い黒髪に、顔まですっぽり覆われていた。前髪が長いってレベルじゃないぞ、と思う。

 背が高くて、はだけた胸元から見える筋肉が盛り上がっていた。でも全然マッチョな印象はなくて、全体の雰囲気はむしろすらりとしている。


「は、早く、枝に座るか木から下りるかしてください!」


 彼がぴくりとも動かないから、私は焦ってしまった。


「……なつ……」


 想像よりも低めの声が、上から降ってきた。


「夏?」


 確かに今は夏だけど、それがどうしたのだろうか。


「わわっ」


 聞き返した瞬間、急に強い風が吹いて、目をつぶってしまう。ばさばさ動く前髪を手でかばい、やっと目を開けたときには、彼の姿は消えていた。


「ええっ」


 まさか今の風で落ちたのかと思ってまわりを見てみるが、そんな形跡はない。


「何だったんだろう……」


 なんだか少し、なつかしい感じがした。あんな変な人だったら覚えていないわけないし、きっと初対面なのに。

 きっとすぐ下りて、気まずくなって走って逃げたんだ。そう結論づけて、私はおばあちゃんちへと再度歩を進めた。




「おばあちゃん、こんにちは~」


 ガラガラと、曇りガラスのはまった引き戸を開ける。

 テーブルの上を片付けていたおばあちゃんは、私に気付いて曲がり始めた腰を伸ばした。


「あらあら、いらっしゃい。こっちじゃなくて家のほうで待っててくれて良かったのに」


 素のままの白髪をゆるくまとめ、毎日着物を着ている小柄なおばあちゃんが、変わらない笑顔で私を迎えてくれる。上品で穏やかなのに、どこか少女らしくて可愛らしいおばあちゃんは、私の自慢だ。


「時間的にお店にいるかなって思って」


 答えながら、ぐるっとお店の中を見回す。毎日丁寧に掃き掃除された、コンクリートの床。明るい色の木のテーブル、おそろいの椅子。達筆な筆書きで書かれたメニューが壁に貼ってある。ぶぅぅぅ……と音を立てながら首を振る扇風機は、かなりの年代物だ。

 すーっと深呼吸して思いっきり息を吸い込むと、なつかしい匂いがした。木と、おいしいものと、おひさまの匂いがまざったような、落ち着く匂い。

 ここに来るといつも気持ちが落ち着いて、呼吸がしやすくなる気がする。この昔ながらの食堂『ほたる亭』がおばあちゃんの営む店だ。


「何か食べるかい? お昼まだでしょう」


 お昼ごはんには少し遅い時間。ちょうどお客さんが途切れたらしく、お店の中には空の食器とおばあちゃんしかいなかった。


「うん。じゃあ冷やし中華が食べたいな。ゴマダレのやつ」

「はいはい。今すぐ作るからね」


 藤色の着物に割烹着をつけた後ろ姿が、ぱたぱたと忙しそうに動き回る。厨房に入るおばあちゃんを見送ってから、手近な椅子に座った。ひんやりした木の感触が、ほてった身体に嬉しい。


「まずこれね。喉かわいたでしょう」


 私の心を読んだように、おばあちゃんが冷たい麦茶を持ってきてくれた。「ありがとう」と言って一気に飲み干すと、おばあちゃんが感心したように私を見ていた。


「まあすごい。夏芽ちゃんはいい飲みっぷりだねえ」

「そ、そうかな」

「そうだよぉ。夏芽ちゃんがなんでもおいしそうに飲んだり食べたりするの、おばあちゃん大好きだよ」

「……うん」


 おいしそうに飲み食いするどころか、最近はまともに食事も摂っていなかった、なんて言えない。壁に備え付けてあるテレビから流れるお昼のワイドショーをぼんやり見ていたら、目の前にガラスの器がことりと置かれた。


「はい、できたよ。夏芽ちゃんが大好きな冷やし中華」


 おばあちゃんが作ってくれる冷やし中華は、太い縮れ麺にゴマダレをかけたもの。具も、錦糸卵、きゅうり、ハム、紅ショウガという定番のものに加えてエビまで乗っている。


「わあ、おいしそう。いただきます!」


 割りばしをパチンと割って食べ始める。麺をすすった瞬間、ゴマダレの甘みと酸味が口の中いっぱいに広がった。

 この、甘いだけのゴマドレッシングとは違う特製のたれが、おばあちゃんの冷やし中華の気に入っているところ。きゅうりはしゃきしゃき、錦糸卵はやさしい甘さで、タレとの相性もばっちり。氷を入れなくても麺がしっかり冷えているところが、気遣いのしっかりできるおばあちゃんらしい。

 あっという間に平らげてしまったが、麺によく絡むおかげか、タレがお皿にほとんど残っていない。しょうゆベースのさらっとしたタレも好きだけど、最後に残っちゃうのがもったいないんだよね、と思う。


「ふう~、おいしかった。ごちそうさま」

「こんなしあわせそうな顔で食べてもらって、おばあちゃんも嬉しいよ」


 ずっと食欲もなくて胃も小さくなっていたのに、おばあちゃんのごはんは残さず食べられた。喉につかえる感じも、胸が気持ち悪くなる感じもしなかった。

『おいしい』と『しあわせ』だけをつめこんだお腹をぽんぽんなでで、思う。

 やっぱり、おばあちゃんの作るおいしいものは魔法みたいだなって。

 小さいころ、風邪で熱が出てなにも食べられなったときもおばあちゃんのおじやだけは食べられたし、夏バテのときに作ってくれたレモネードの味も忘れていない。

 おばあちゃんは、私に作ってくれたものと同じ冷やし中華を、入り口付近のテーブルに丁寧に置いた。


「それ、おばあちゃんのぶん? お昼がまだなら、一緒に食べればよかったのに」

「ううん、おばあちゃんはもう済ませたよ。これは、来るかもしれないお客さまのぶん」


 お揃いのガラスの器には、控えめな量の冷やし中華が盛られている。小食な人なのだろうか。


「でも、来るかわからないなら、伸びちゃうんじゃないの?」


 不思議に思って尋ねたのだが、おばあちゃんは「いいのいいの」とにっこり微笑むだけだ。


「まあ、その人がいいなら、いいんだけど……」


 なんだか腑に落ちないけれど、まあいいかと納得して器を流しに運んだ。これくらいは自分でやらなくちゃね、と他の洗いものと一緒に泡々のスポンジで洗っていく。


「夏芽ちゃん、なんだか痩せたねえ」


 隣で食器を拭いているおばあちゃんが、Tシャツの袖から伸びた私の腕を見下ろして、心配そうにつぶやいた。一か月でだいぶ体重が落ちてしまったこと、おばあちゃんには隠せなかったみたい。


「そうかな? 成長期だから、縦に伸びたのかも」

「そうなのかい? 夏バテじゃなければいいんだけどねえ」

「全然大丈夫だよ! 洗いものも終わったし、家のほうに荷物置いてくるね。そしたらすぐお店を手伝うから」


 ボストンバックを取って、お店の裏口から出る。おばあちゃんに追及されるのがこわくて逃げようとしているなんて、すごく弱虫になったみたい。


「急がなくていいからね。部屋でゆっくりしておいで」というおばあちゃんの声が追ってきた。


 裏口から丸い飛び石でつながった、住居の玄関をガラガラと開けて、中に入る。瓦屋根と縁側がスタンダードな、けっこう立派な日本家屋だ。もともと広かった庭をおじいちゃんが改装して、ほたる亭を建てたらしい。

 茶の間に荷物を下ろすと、仏壇の置いてある部屋に向かった。線香をつけて、おじいちゃんの遺影に手を合わせる。私たちが引っ越してから何年もたたずに、急死してしまったおじいちゃん。

 仏壇にはお赤飯がなぜかふたつお供えしてあったけれど、特にお祝いごとはないし、おじいちゃんの好物だっけ……?


「おじいちゃん、ただいま」と心の中で話しかけていると、後ろを誰かが横切る気配がした。

 ばっ、と振り向くけれど、誰もいない。大きなネズミとかだったら嫌だなあと思ってまた前を向くと、今度ははっきりと人影が見えた。

 廊下を横切っていく、着物姿の小さな女の子。おかっぱ頭に刺した赤い髪飾りが揺れて、ちりん、と鈴の音がした。


「えっ、誰?」


 廊下から、他の部屋までくまなく探したけれど、誰もいない。近所の子が黙ってあがってきちゃったのかな、と考えて、ふと思い出した。

 あの、紺色の着物。小さい赤い花を連なったような、揺れる髪飾り。そしてまっすぐ切り揃えられたおかっぱ頭には見覚えがあった。


 私、ちいさいころ、あの子と遊んでいた。

 いつも家に遊びに来ていた、同じくらいの年ごろの女の子。すごく無口で全然しゃべらないけれど、いつの間にか仲良くなっていたっけ。

 ずいぶん似ていたけれど、さっきのあの子は、昔の友だち? でも、あれから十年くらい経っているのに、全然成長していなかった……。


 そこまで考えたら背すじがぞわっとして、全身に鳥肌が立った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ