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ほたる亭のあやかしごはん~天狗の町で過ごす夏休み~  作者: 栗栖ひよ子
二ノ膳 河童と食べてしまったきゅうり
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(2)

 白いご飯とお味噌汁、焼き鮭とネギ入りの卵焼き、大根おろしとぬか漬けという、素朴で贅沢な朝食をちゃぶ台でとっているときに、おばあちゃんに質問してみた。

 夢を見たことで思い出した、夏祭りのふしぎ。


「ねえおばあちゃん。夏祭りの日って毎年雨が降るよね。私が迷子になった年もそうだったし、どうしてなのかな」

「ふふ。おばあちゃんも、昔おんなじことを考えていたんだよ。そうしたらね、あやかしたちが、天狗は火伏(ひぶせ)の神さまだから、って教えてくれてね」

「火伏……?」

「防火とか、防災の神さまなんだそうだよ。だから、お祭りで自分が山にいない間、山火事が心配で雨を降らせているんじゃないかって」

「ええ~っ、そんな理由だったの? というか、本当に天狗は町に下りてきているんだね」


 そもそも、天狗が本当に存在したことにも驚きだが、猫又や座敷童を見たあとでそれを言っても「何を言っているんだい、夏芽ちゃん」と呆れられてしまいそうだ。


「天狗さまもお祭りに参加したいんじゃないかねえ。でも、お祭りではついついはめを外して防火や防災のことを忘れてしまいそうでしょう? だからきっと、町のみんなや山の動物たちを守るためにやっているんだよ。うちの町の天狗さまは、優しい天狗さまなんだねえ」

「お祭りが雨で楽しめないほうが、町の人は悲しむと思うけどなあ……」


 でも、そういえば。私が迷子になったときの雨もすぐ止んでしまったし、毎年お祭りの夜に降る雨は、お開きになりそうな時間に降って、すぐ止んでしまうことが多い。最初から最後までずっと土砂降り、なんて日はなかったと思う。

 それってやっぱり、天狗さまがふしぎな力で雨を降らせているから……?

 お祭りを雨で台無しにして町の人をがっかりさせるのも嫌、でも山のことも心配って、確かに不器用な優しさを感じられる……かも。


「あとね、若い男の人で、浴衣を着ていて髪の長い……人間かあやかしか神さまって、知ってる?」

「えっ?」


 私が妙な聞き方をしたせいで、おばあちゃんが目を丸くしている。


「ここに来た日から何度か会っているんだけど、いつもすぐどこかに行っちゃうから、もしかして人間じゃないのかなって……」

「人間だと、このあたりには髪の長い男性はいないはずだねえ」

「じゃあ、やっぱり」


 私がお箸を持ったまま真剣な顔で考え込んでいると、おばあちゃんが微笑ましいものを見るような顔でにこにこしていた。


「その人が、気になるのかい?」

「き、気になるっていうか、昔なんとなく会ったことがあるような気がしてっ」

「そうかい、そうかい」

「ほ、ほんとに、それだけだからっ」


 おばあちゃんは「わかってる、わかってる」とうなずきながら、よく浸かったきゅうりをポリポリ食べている。

 おばあちゃんには何でも話せてしまうと言っても、やっぱり身内に初恋だの、淡い夏の思い出だのの話をするのは恥ずかしい。


「ほんとに、何でもないんだからね!」


 そう念を押しながら、朝ごはんを無言でぱくぱく食べた。顔も頭も熱くなっていたせいか、大根おろしに醤油をかけ忘れたのを食べ終わってから気付いた。



 お昼の下準備が終わってひと息ついたとき、おばあちゃんにまた「川に冷やしてあるきゅうりを取ってきて」と言われた。

 にぶい私でも、おばあちゃんがただきゅうりを冷やしているだけでなく、何か目的があって川に置いているのだということはわかる。

 おそらくは、あやかしや神さまへのお供え。それも、きゅうりを好むと言ったら、私にはアレしか思い浮かばない。

 川べりを歩きながら、田舎のおいしい空気を胸いっぱいに吸い込む。やっぱり、午前中は涼しくて気持ちがいい。木漏れ日が水面に落ちてきらきら光っているし、せせらぎの音も耳に心地いい。

 車のエンジン音とか、どこでも鳴っているスマホの着信音じゃなくて、こういう音だけを聞いて生きていけたらいいのに。


 前回のとおり網を川からあげて、「今回はほとんどきゅうりが入っていないなあ」と思ったときだった。

 緑色の物体が、川の上流から流れてくるのが見えた。

 なんだろう、大きなきゅうりみたいな、でもなんだか手足が生えているような……?

 目を凝らしてうかがっているうちに、謎の緑色は私の近くまで流れついてくる。


「え、え、なにこれ」


 ぷかーっと川に浮かんでいるそれを見て、私は驚愕してしまった。

 緑色のぬめぬめした身体に水かきのついた手足がはえていて、剛毛そうなおかっぱ頭の上には、白いお皿が禿げ頭のように載っている。そして、背中側に大きな亀のような甲羅。

 これは、誰が見ても間違いなく、河童だ。しかし、背中側を見せたままぴくりとも動かない。河童なのに流されている……? 河童の川流れってことわざもあるくらいだし、溺れて気絶している可能性もあるかもしれない。


「た、助けなきゃ」


 河童が溺れて死ぬかどうかはわからないけれど、このままにしておいたら後味が悪いことは間違いない。

 どうしようどうしよう、と川べりをうろうろしているうちに、河童はどんどん流されていってしまう。このままだと道路の近くに出てしまうし、人目につくところで怪しい行動をするのは避けたいし……。


 悩みぬいた末、私はジーパンの裾をまくって、川にざぶざぶと入っていった。川底が見えるくらい浅いのは知っていたし、実際膝くらいまでしか濡れずに河童のもとまで辿りつけた。

 抱き上げようとしたら肌が滑ってうまくいかなかったので、ちょっと申し訳ない気持ちになりながらも、甲羅を引いて岸まで動かした。

 岸で河童の身体をひっくり返したら、かわいい顔立ちをしていた。黄色いくちばしがあって、閉じられているまぶたは丸みがあって大きい。お腹の部分だけまっ白でふっくらしているし、これでぬめぬめしていなかったら大きなぬいぐるみだと思ったかも。

 お腹がゆっくり上下しているので、とりあえず呼吸はできているし、生きてもいるみたい。


「あっ、お皿が乾いちゃうと良くないんだっけ」


 本で読んだうろ覚えの知識だけど、ひからびてしまったら大変だ。両手で川の水をすくって、こぼさないように慎重に運ぶ。お皿にかけてみたけれど、これでどのくらいもつのだろうか。


「あ、そうだ」


 河童だったらきゅうりが好きなはずだよね、と思って、網の中に残っていたきゅうりを河童の口元に近付けてみる。

 くちばしの根元にある鼻の穴が、わずかに広がった気がした。

 お、反応があったぞと思い、きゅうりをくちばしに触れさせてみると、河童はくしゃみをする前のように顔をゆがめた。

 ぱちり、と河童がまぶたを開ける。大きな、潤んだ瞳がまばたきを繰り返していて、ああやっぱりかわいいかも、と思ったのだが――。


「あの、大丈夫?」


 声をかけると、河童の目の焦点が私に合った。その瞳が大きく見開かれたあと、


「ぎゃああああ――ッッ!!」


 少年のような甲高い声で、大きな悲鳴を上げられた。

 すごい勢いで後ずさって、岩陰でぷるぷる震えている。ソウセキもそうだったけれど、さっきまで気絶していたのに、なんでそんなに早く動けるのだろう。


「あ、あの。ごめんね、驚かすつもりじゃなかったの。流されてきたから心配で、それで……」


 近寄ろうとすると、こっちに来るな、というようにぶんぶん首を振られた。


「あ、あんたが怖いんじゃない。あんたが持ってる緑色の野菜、それが怖いんじゃい!」

「え、きゅうりのこと?」


 私はきゅうりと河童を交互に見比べる。だって河童は、きゅうりが好物のはずじゃなかったの?


「きゅうり怖いきゅうり怖い……」


 目を押さえながらそう繰り返す河童の姿が哀れすぎて、きゅうりの入っていた網を遠くに放り投げた。

 ごめんね、おばあちゃん。傷ついたきゅうりは私がおいしくいただくから許して。


「きゅうりは遠くに置いたから大丈夫だよ、ほら」


 手を広げて見せると、河童はやっと岩陰から出てきてくれた。おそるおそる、と言った様子で私のもとまで近寄ってくる。


「オイラのこと助けてくれたのか? それなのに逃げてしまってすまねえ」


 河童がぺたん、と石に腰かけたので、同じようにする。私には石が小さくて、体育座りのようになってしまったけれど。


「ううん。私こそ、河童がきゅうり嫌いだなんて知らなくてごめんね。おばあちゃんがきゅうりを川で冷やしていたから、てっきり河童へのお供えだと思ったの」

「おばあちゃん? お前、もしかして皐月の孫なのか?」

「うん。孫の夏芽だよ」

「そうか……。オイラは河童のカガミだ。このぴかぴかのお皿がオイラの自慢なんだ。陽にあたると鏡みたいに光るから、カガミ。かがちゃんって呼んでくれ」


 かがちゃんはそう言って、頭を下げてお皿を見せてくれた。太陽が反射して、ぴかっとお皿が輝く。


「わあ、すごいすごい」


 照れ照れ、と鼻をかく仕草といい、言葉遣いといい、一昔前のやんちゃ少年みたいでかわいい。


「河童がきゅうりを嫌いなこと、知らなくて当然なんだ。だってそんなの、オイラだけだから……」


 かがちゃんは「助けてもらったんだから事情は話すべきだよな」と言って、ぽつりぽつりと自分のことを語り始めた。

 かがちゃん曰く、河童がきゅうりを好きなのは本当らしい。むしろ『きゅうり以外は食べるな!』という謎のプライドがあるのだとか。


「それなのにオイラはきゅうりが苦手だ。食べるのはもちろん、見るのだって無理だ。だから河童たちには、半人前だって言って仲間外れにされているんだ」


 きゅうり以外のものを食べているのを見つかったら余計怒られる。だからかがちゃんはいつもお腹をすかせていて、泳ぐときも力が入らず、たまにああして流されてしまうのだとか。


「そんなのひどいよ……。誰にだって好き嫌いや苦手なものはあるのに。私だって小さいころピーマンが食べられなかったよ」

「でも、今は食べられるんじゃろ?」

「うん、おばあちゃんが工夫していろいろ料理に混ぜてくれたから、いつの間にか食べられるようになったよ。でもほら、私はもう大きいし」


 子どもだと思っていたかがちゃんを、励ますつもりで言ったのだが。


「オイラ、こんな見た目でも、もう大人なんじゃ。夏芽よりも長く生きているし、子どもだから好き嫌いするなんて、許されないんじゃ」


 逆に落ち込ませてしまった。あやかしの年齢はよくわからない。


「話を聞いてくれてありがとな、夏芽。オイラそろそろ川の中にある住処に帰らないと」

「待って。今のまま帰っても、また流されちゃうかもしれないんでしょ?」


 みんなが得意なものが、自分だけ苦手。自分だけ違うから、仲間外れにされてしまう。ひとりぼっちでずっと、ひもじい思いをしている……。

 こんなに自分と似ているかがちゃんを、放っておけなかった。


「ねえ、ほたる亭においでよ。おばあちゃん、あやかしのお客さまが来ると喜ぶし」


 かがちゃんは、一瞬迷って目を泳がせたあと、こくりとうなずいた。

 きゅうりは、おばあちゃんに事情を話してあとで取りに来よう。

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