第十話 竜使いの少女(その二)影武者は夜陰に走る
エドガーは、カトマールの地下迷宮に足を踏み入れた。エダマ=ルンカによって張り巡らされた強力な結界を破ることも彼にとっては、たやすいことだった。
「この程度の結界でぼくの侵入を防げると思っていたのかしら」
エドガーは、力を見くびられたようにも感じた。所詮は、宦官のエダマのことだ、この程度のものだろう。魔法使いのシャール=ザマが消えた今、エドガーの行く手を阻む者はいないということだ。彼は、気にしないことにした。それよりも、先を急がなければならない。
今こうしている間も、エリザベスとルーイが彼の身代わりになって、カトマールの追っ手と対峙しているはずだ。そして、この迷宮の奥深くには、魔王アーサーを身篭った少女が幽閉されている。エドガーは、すでに魔王の気配をひしひしと感じていた。剣を握る手に力が入る。足を一歩踏み出すたびに、殺気で、骨を軋ませるような興奮を覚えるのだ。
迷宮の中、幾つかの扉をくぐり抜けたところで、前方を一人の男に阻まれた。
男は、褐色の引き締まった肉体を持ち、頭に布を巻きつけている以外は、何も身に着けていなかった。何かを言っているが、異国の言葉で、聞き取ることはできない。エドガーは、彼に構わず、その部屋を通り抜けようとした。全裸の男は、両手を広げて、少年を阻止しようとした。当然の成り行きとして、二人の体が触れ合う。弾かれるように後ろに飛んだのは、男の方だった。壁に激突し倒れたが、すぐに起き上がって、エドガーに掴みかかった。しかし、軽く胸に触れられただけで、その場にくず折れて倒れた。
「しばらく、眠っているといい」
エドガーは、そう言って、しゃがみ込み、男の筋肉の盛り上がった美しい体を軽く撫でた。そして、その額に手のひらを重ねた。エドガーは、男の記憶を抜き出そうとした。しかし、その記憶は、暗号化されているかのように断片的で意味をなさない。
「痛めつけてやろうか」
一瞬、エドガーの横顔に残酷そうな笑みがこぼれた。時間の無駄だ。彼は、そう思い直して、立ち上がり、部屋を抜けた。
アンナは、ヨーコに抱かれるように座り、食後のおしゃべりを楽しんでいた。今は、ヨーコが王様の身の回りの世話をしていた時の話を聞いていた。宮殿の後宮には、ヨーコのような女の人がいっぱいいて一つの世界を作っていたという。そして、“夜のお供”も彼女たちの仕事の一つだと言った。アンナは、その言葉の意味を執拗に質問したが、ヨーコは、答えをはぐらかしてしまった。でも、アンナには大体の想像はついた。
一人の少年が部屋の中に姿を現したのは、その時だった。栗色の巻き毛、吸い込まれるような青い瞳。夢の中のあの少年だ。アンナは、同じ夢の中にいることも忘れて絶叫した。
「おいで、迎えに来たんだ」
エドガーは、少女に向かって手を差し出した。しかし、その手を一人の女が遮った。体中に模様を掘り込んだ全裸の女が、信じられないような素早さでエドガーを襲った。エドガーはその一撃をかわした。そして、前方に手をかざすと、模様女の体は、宙を飛び、彼女の体の模様と同じ壁に激突し、気を失った。
「おいで、ぼくと、おいで。ここから連れ出してあげるよ」
エドガーは、アンナに向き直って優しく笑いかけた。アンナは、ヨーコの体にしがみついて震えていた。
「大丈夫。きみを助けに来たんだ」
「あなた、誰?」
アンナは、ヨーコにしがみついたまま、恐る恐るそう尋ねた。
「ぼくは、エドガー。きみの味方だ」
“エドガー”という名前にヨーコの体が一瞬硬くなったが、その表情は変わらなかった。アンナは、ヨーコの顔を見上げた。ヨーコは、目でうなずいた。
「味方って、お友達よね。でも、これって、夢の中でしょ?」
「夢?」
エドガーは、少し首を傾げたが、すぐに言葉を続けた。
「そう、きみは、悪い夢の中にいるんだ。その夢を追い払うためにぼくが来た。さあ、おいで早く目を覚まさないと」
「でも、これって、本当にわたしの夢なの?ヨーコもいるわ、彼女も夢の中に囚われているのよ」
エドガーは、ヨーコと呼ばれた女を見た。誰だろう?彼の予定にも情報にも無い人物だ。ゼーダの奴隷の一人だろうか?
「これは、きみの夢だ。だから、きみだけを連れて行く」
エドガーは、アンナにそう言った。
「いやよ!絶対いや!ヨーコは、悪い男に夢の中に閉じ込められているのよ。わたし、ヨーコと一緒じゃなきゃ、どこにも行かない」
アンナは、ヨーコの体に身を隠すようにしがみついている。
「きみは、誰?」
エドガーは、ヨーコに尋ねた。
「わたしは、ブルーノ陛下に仕えていた者です。捕まって、ここに閉じ込められています。・・・お願い、この子を助けて」
ヨーコは、恐怖に震える表情から搾り出すようにそう言った。エドガーは、鋭く射抜くような目で彼女の瞳を見た。
エドガーは、二人の女を連れて部屋を後にした。迷宮の通路に出たところで、背後からさっきと同じ褐色の裸の男が襲いかかってきた。そして、ヨーコを羽交い絞めに捕まえた。アンナが絶叫する。しかし、次の瞬間には男は、後ろ向きに仰け反り倒れた。エドガーの放ったナイフがその額に突き刺さっている。
彼らは、先を急ぎ、迷宮を抜け、廃墟と化しているカトマールの城下町からも脱出した。ジークは、先ほどと同じ木立の影でエドガーの帰りを待っていた。すでにハーピーの体は食べつくしている。
「いい子だ。ジーク」
エドガーは、ドラゴンの鱗に覆われた首を撫でた。そして、怖れるアンナとヨーコの手を引いてドラゴンの背に乗った。たちまち風が舞い、王宮が足元に小さく見える。アンナは、言われるまま目を閉じて巨大な生き物の背中につかまっていた。
エダマ=ルンカが異変に気づいたのは、その後のことだ。彼は、破られた地下迷宮の結界の中で倒れているマスターゼーダの奴隷たちを発見した。アンナの姿がどこにも無い。彼は、蒼白になって床に膝を落とした。
森の中で二匹のドラゴンと共にカトマールの軍勢と対峙しているサムライは、エドガーの影武者アラミスだった。彼は、シュンラと同じで小さい時に、エドガーに拾われて育てられてきたのだ。シュンラ同様、育ての親の正体を知らされることはなかったが、薄々感づいてはいた。アラミスは、三十才程度だったが、ヒト族であるため、仲間たちの中では一番年配に見えた。上背のある茶色の髪の男だ。エリザベス、ルーイと並んで立っている姿は、子連れの若い父親のようだ。
「ずいぶん派手に始めたものだな」
森の中で猛り狂うドラゴンを見ながら、アラミスは、そう言った。
「お兄さまの指示よ」
エリザベスは、そう答えた。
「でも、そろそろここも危ないわ。完全に包囲されてしまわないうちに、移動しましょう。できるだけ、敵の注意を引き付けながら」
森の遠くのほうでうごめく機械兵やカトマールの鎧武者の気配がする。エリザベスは、一本の小さな笛を取り出して吹いた。竜使いの笛だ。
彼らヴァンパイアは、人間でもエルフでもドラゴンでも拾った赤ん坊を育てる習性があるらしい。一説によると、それは、人間が子牛を育てるように将来の食料を確保するためだとも言われている。しかし、実際にヴァンパイアが育てた子供を餌食にしたという記録は残っていない。ヴァンパイアに関する記録の絶対数が少ないため、そこから結論を導き出すこともできない。エドガーのグループの場合、育てた子供たちは、ある程度の年齢に達すると、自らの道を見つけて親元を離れているようだ。カルザック=ダルネのように。彼は、今アスカの砦に陣しているメルフィーヌの父親だ。
アラミスは、魔力が使えないものの、剣の腕に関しては並ぶ者が無いほどのサムライだった。彼はエドガーから預かったエクスカリバーを手に、これがハートン兄妹と行動を共にする最後の冒険になることを予感していた。
「包囲されたら、ドラゴンはかえって危険だ。大きいだけに的になり易い。ルーイとベスは、ドラゴンを連れて一足先に逃げてくれ。これは、エドガーの指示だ」
そう言って、彼は、手に持ったエクスカリバーを示した。
「上空からカトマールの空を見て、赤い炎が上がったら退却の合図だ。森を焼き払ってくれ。俺は、闇に紛れて逃げる」
マーシとザークは、すでに彼らの足元まで来ていた。エリザベスは、アラミスの手を握った。
「気をつけて」
そして、背伸びをして彼の頬にキスをした。
「アラミス。大きくなったわね。もうすっかり大人ね……」
彼女の目は、立派に成長した我が子をうっとりと見つめる母親の目だ。エリザベスは、くるりと踵を返した。
「行きましょう。ルーイ」
エリザベスとルーイは、それぞれマーシとザークの背中に移り、上空へと飛び立った。一斉に森の中から光の矢が放たれた。しかし、まだ遠すぎて、ドラゴンを掠めることもなかった。
アラミスは、敵の目が上空のドラゴンに集中している隙に、闇の中を駆けた。そして、一番近くに陣取っていた機械兵部隊に斬りかかった。エクスカリバーから放たれた凄まじいエネルギー波が機械兵をなぎ倒した。敵陣に騒ぎが起きる。アラミスは闇に身を潜め、次なる標的に向かった。エリザベスとルーイは、上空で敵との距離を保ちながら、揺動作戦に加わった。
エドガーは、カトマールの王宮が見えなくなるまで上空に昇ると、ジークに炎を吐かせた。作戦成功だ。彼は、ジークを合流地点に急がせた。問題は、順調過ぎることだ。彼は、そう思った。そして、ヨーコを見た。アンナと同様、目を閉じてドラゴンの背中にしがみついている。この女を助けたことが吉と出るか凶と出るか、いずれ判明する。全ては、時間が解決するのだ。これまでがそうであったように。エドガーは、そう考えていた。




