2018 冬の童話 マッチ売りの少女
前世の記憶と特殊スキルに目覚めた、マッチ売りの少女と出合った男が居た。
その男は、オーク・サラリーマンの人生に疲れた男だった。
雪降る夜の物語。
雪降る街角、寒さに震える身体で空を見上げた。
曇天の鉛色の空、何も救いが無い全てだった。
その時、突然――
私は転生者だと天啓に眼を見開いた。
押し寄せる前世の記憶。
組み直される己。
世界が瞬間、まったく違った光景に見えた。
生き延びる。
殺しても生き延びる。
死んでたまるかっ。
儚げな少女が決意に身を震わせた。
電車から降りたオーク・サラリーマンが唐突に後ろから声を掛けられた。
「おじさん、いらないモノが有ったら交換して」
上司のゴブリンに八つ当たりの様に叱咤を食らい、部下のオーガに影でせせら笑われて、憧れの白エルフ嬢に臭いとささやかれた。
最低、最悪、これ以上は無いドツボの一日の帰路だった。
もう死んでいる眼で振り返ったオーク・サラリーマン、独り者、四十路目の前の丸まった背中だった。
その振り返った彼の虚ろに下がっている視線の先、満面の笑みが有った。
薄汚れた顔の少女。
襤褸にひとしい乞食の様なナリ。
普段ならば足も止めずに通り過ぎ、記憶にも残さない代物。
けれど、今は違った。
少女の満面の笑みが、それだけがオーク・サラリーマンの視界を満たし、心を奪っていた。
「おじさん?」
顕現した天使が抱き締めたくなるなる様な仕草で、顔を斜めに下から覗き込んでいた。
「あ、ああ、ん?」
少女が片手の指にマッチを一本握り、自分へと差し伸ばしていた。
「ああそうか、ん、何か、待っておくれ」
自然に自分のポケットの中を探り捜している両手が有った。
そして――
「こんなモノでもいいかな?」
彼は銀色に輝くライターを取り出して居た。
会社の方針で全社員の禁煙が言い渡され、ヘビースモーカーの彼のポケットに唯一残っていたライター。
初任給で買った、自分への褒美として購入したブランド物の記念の銀のライターだった。
そのライターがマッチ一本と交換されて、彼の指に、そのたった一本のマッチが摘ままれていた。
捨て切れなかった記念の銀のライター。
それは自分そのモノの様で、未練そのモノ。
これからの未来へと、希望と不安を胸に社会へと歩き出した、若い頃の自分の象徴だった。
だけれども、あれからずいぶんと時が経った。
カッコ付けのタバコが、何時の間にかストレスの行き場になって、ヘビースモーカーになっていた。
広く先の見えない未来が、どん詰まりの袋小路になって、夢の欠片さえ失っていた。
独り者で四十路目前、出世はもぅ望むべくも無く、出世したいのかも分からない。
上司には失敗を押し付けられる、文句とウサ晴らしに怒鳴られる。
部下には言葉無く無視され、一切の孤独で椅子を暖めているだけ。
入社した時の、腰掛のはずの安アパートから抜け出せず、引っ越す気力も無い。
今夜も、スーパーの安売り弁当と発泡酒をぶら下げて、帰るだけのはずだった。
眼をつぶっても辿り着ける道で、オーク・サラリーマンの彼は、目の前に一本のマッチを掲げて見詰めていた。
鉛色の空からチラチラと落ちる雪。
その雪が薄く積もり外灯に照らされ、何時もとは別の風景の世界だった。
ギュギュと雪踏む足音を立てて彼は歩いていた。
「その夜が全ての始まりだったのですか?」
インタビュアーのダーク・エロフが胸の谷間を見せて訊ねていた。
「そうだね、うん。その夜、アパートで僕は辞表を書いたんだよ」
ストーブに火を入れる事も忘れ、コタツに向かってペンを走らせたアノ時。
「その辞表を内ポケットに、仕事を、もう一度始めたんだ」
立身出世、傾きかけていた商事会社を一大企業へと成長させた男が言った。
別に変わった事をした訳では無かった。
ただ、ひたすら仕事に埋没しただけだった。
自分がどこまで出来るか、どれだけ出来るか、やるだけ、やれるだけ、やってみる。
出来る事をひたすらやった。
出来ない事は出来る様になろうとした。
出来る様になったら、もっとシッカリ出来る様になろうとした。
それを繰り返しただけだった。
上司も部下も無かった。
やらねばならない事を、やり続けただけだった。
ワメキ、怒鳴り、叫んでがなっているのが居たが、仕事が先だった。
道理を無視し、何も言葉が通り合わず、勝手ばかりしてミスを繰り返し、それを他者になすり付ける、自分のためだけに世界が有る。
今までの自分も悪いと思ったが、今のコイツラも悪過ぎだと思った。
コイツの今までの所業を纏め明らかにした。
居なくて良い、居ない方が良い、居なくなってくれと言った。
顧客が第一。
儲けも必要。
しかし業界に嫌われては先は無い。
世間の微笑みが嬉しかった。
難しいが一歩一歩、歩くだけだった。
迷った時、疲れた時、ダメかと思った時、諦めかけた時。
首のペンダントから、マッチを取り出し見詰めた。
まだ生きている。
五体満足だ。
立ち上がれる。
立ったなら動け、動くなら剣を振るえ。
自分自身さえ諦めないなら、道は見えてくる。
足を進めろ、一歩でも半歩でもいい。
「なに、イザとなったら辞表を叩き付けて辞めてやる」
気楽は気楽だった。
だけれど、まだ戦えるなら続けるだけだ。
「僕はそうやって仕事をして来ただけだよ」
登り詰めた男が、今期限りで席を退くと発表し、業界紙のインタビュアーに微笑んでいた。
「部下と上司に恵まれてね、無茶な事を聞いて貰って、部下には本当に身を粉にして貰った。感謝しか無いね」
自分は不器用で、頭も悪い。
体力任せに仕事をしていただけだと、その男、かつてのオーク・サラリーマンが笑っていた。
インタビュアーのダークエロフが、その彼の、男の色気に頬を染めてしまっていた。
インタビューの終了が来て、全てがオフレコになった時だった。
その彼が悪戯っぽい微笑みで、ダークエロフに秘密を打ち明ける様に言った。
「ああ、あの時の、あのマッチ売りの彼女が、今のウチの会長でね」
書いちゃダメだよと、彼が笑っていた。
スキル『祝福のワラしべ』
物々交換スキル。
より価値の有るモノへと交換出来る。
交換を頼まれ交換物を差し出した者は、その交換物の価値との差分だけ祝福を得る。
交換物を得た者は、交換物との価値の差だけ、さらなる機会を得る。
スキル『祝福のワラしべ』は、光りへと向かうも、闇へと落ちるも、どちらも成るスキルで有る。
ただの一人のオークになった男が、雪降る街角を歩いていた。
やれるだけの事を遣り尽くし、もう、ここでイイと思ってしまった時、引退を決意した。
まだ出来ない事は無かったが、これ以上は老害。
新しい時代は若い者達の世界で、頭の固い自分達では縮小再生産しか無いと分かった。
引き止められはしたが、正直、こんな自分達に頼ってはダメだろうとも思ったのだった。
大丈夫。
君達ならば、たとえ失敗しても何度でもやり直せる。
諦めない事は教え込んだ、心配も不安も無い。
未来は君達のモノだ。
そう微笑み歩く男へ、声が掛けられた。
「おじさん、マッチ買って。孤児院の皆がお腹空かせているの」
おやおや大変だ。
男はそう微笑みながら思った。
丸まっていた背中が伸びて、妙なヤル気が湧き上がり、男は少女へと向き直っていた。
視線の先、獣人種の可愛い少女が寒さに震えながら、男を見上げていた。
二人の出会い。
今、新しい物語が始まった。
マッチ売りの少女の悲劇を回避しようとしたら、こぅなりました^^;
酔っ払い執筆者が勢いで書くと、マッチ売りの少女が全然出て来なかったリ。