エピローグ『鎖で縛る者、秤を気取る者』
南多磨高校屋上での戦いが決着してから、数時間が流れていた。
「おのれ……次こそは、このような失態は見せませんよ……!」
モーリス・ホイーラー・エドサックは、どす黒い敗北感を拭えぬままに、東京お台場の一角にいた。
時刻は黎明。そして日付は月曜日になっている。
彼の目的はシンプルである。
再び世界の金融市場を混乱に陥れるのだ。
破れたとはいえ、ノイマン型の『王』としての力は健在である。
金融市場で動くノイマン型コンピューターの末裔達を不調に陥らせることなど、彼にとっては造作もない。
唯一、心残りがあるとすれば━━
「聖典を失ってしまうとは、畏れ多い……」
南多磨高校の屋上で津瀬現人に追いつめられたその時、落としてしまった『First Draft of a Report on the EDVAC』。
物理的にはレポート用紙の束でありつつ、顕現存在にとっては聖典にも等しいそれ。
(離れた場所にあろうとも、所有者である私には関知できるはずですが……)
だが、気配とも言うべき『First Draft of a Report on the EDVAC』の感覚は消え失せて久しい。
とすれば、答えはシンプルだった。持ち主が変わってしまったのだ。
他の顕現存在が自らをオーナーとして上書きしたのだとすれば、筋は通るのである。
(むろん、私の時代にファイルオーナー権限などという概念はありませんでしたが……)
後の時代においては、そうではない。
忌々しい、そして畏れ多い失態だった。永年の歴史を誇る宗教施設が、宝物の盗難にあったとすれば、管理者はこんな気持ちなのだろうと思う。
「ユニバック達か……あるいは、偉大なる青の者達でしょうか。もとより彼女らに使いこなせるものではないですが……」
後悔と屈辱がいくつも思い浮かんでは、消えていく。
あの時ああしていれば。もっとうまくやっていれば。
自らの読み違いと慢心が招いた結果が、巨大な敗北感となってエドサックに襲いかかる。
(何よりも……女王陛下に申し訳ないではありませんか)
そう、女王陛下と彼が呼ぶ存在。
小さく、しかし何よりも美しい金の女王。
それはノイマン型の『王』たる彼より、さらに高貴なる存在である。
「そうです、私がこうして働くのも……すべては女王陛下のため……!!」
そして、敗北感を忠誠心で上書きして。
気高くも立ち直ろうとしたその瞬間に━━彼にとっての不幸は訪れた。
「……な!?」
気がついた時には、エドサックの両足に鎖がからみついていた。
むろん、それは物理的な金属の鎖ではない。顕現存在による武装としての鎖である。
(速い……!!)
だが、それが顕れ、彼を拘束する速度が尋常ではなかった。
足にからみついたと思ったら、次の瞬間にはエドサックの全身に鎖が巻き付いていた。
エドサックが鎖の存在を認識する速度よりも、鎖が動き、締め上げる速度の方が遙かに速い。
ヒトで言うならば『目がついていかない』という状態だった。
「誰ですか!? ユニバックの手の者ですか! 偉大なる青ですか!」
「いや、そのどちらでもないね」
「お前は……!!」
そして、エドサックが見たのは。
かつて訪ねて行き、会えなかった者の姿だった。
「久礼一……生徒会長の久礼!!」
「やあ、はじめまして。最初のノイマン型コンピューター。
どうも今夜はいろいろとあったようだね」
昼制の制服を着た、1人の男子生徒が空中に静止している。
エドサックはそれを訝しげに見た。何らかのトリックであろう、と思う。顕現存在は強大な身体能力を持つとはいえ、エスパーではないからだ。。
「本来ならば、最初から僕が応対しなければならないところを、こんなことになってすまないと思っているよ」
「戯れ言を……不意打ちを仕掛けてから、礼儀を気取るのがスーパーコンピューターのやり方ということですか!?」
「君は応対の意味を間違えているね」
エドサックを拘束する鎖。それは久礼一の両腕から発せられていた。
その顕現武装の周囲には膨大な青い光が渦を巻き、生半可な技術的革新ではないことを示している。
「━━『始祖の力』よ!!」
エドサックは言葉を交わすことを後回しにした。
まずはこの拘束を解くことである。
久礼一もまた、ノイマン型コンピューターにすぎず、彼の『王』としての力にはあらがえないはずだった。
(ならば……!!)
まず、その自由を奪う。絶対の優位を確保する。
しかる後、意図を問いただし、必要ならばこの場で始末することで、汚名返上をはかる━━そこまで考えてのことだった。
が、エドサックを拘束する鎖は、微動だにしない。
「な……!!」
「弥勒零くん……360と戦ったのだろう?
ノイマン型の『王』と言っても、歴史に絶大な功績を残した顕現存在が相手では、それを完全に『支配』することはできない。
分かっているはずじゃないのかい?」
「バカな……久礼がSystem/360と同等とでも……!?」
「違うね。
同等以上、さ。僕の名は世界中のヒトに知られていたからね」
くすりと笑って、久礼一は何もない中空で姿勢を変えた。
何かに腰掛けるような姿勢。
エドサックが目を凝らすと、暗闇の中に椅子があった。背もたれのない椅子。クッションもリクライニング機構もない、ただ腰を下ろせるだけの椅子。
(あの形は……!!)
それは上から見おろすと、あるいは下から見あげると「C」の形をしている。
そう。「C」の椅子だった。その「1」だった。
すなわち、遠い過去たる冷戦時代に世界でもっとも高価な椅子とうたわれた物体だった。
「君にフォン・ノイマンの加護があれば違ったろうけどね。
どこでなくしてしまったんだい、大事に抱えていた聖典は?」
「貴様……それを知ってここに……!!」
「君の力は少々、やっかいだからも。
このタイミングで退場してもらわなければ困るのさ」
「っぐ……!!」
みしり、と自らの体を、鎖が。
そして、情報としての存在そのものを、恐るべき処理能力が抹消しようとする感覚をエドサックは悟った。
「女王……! 陛、下……万━━」
「さようなら」
そして、鎖はエドサックに最後の言葉を許さなかった。
ノイマン型の『王』。その顕現存在は光の粒となって、夜に溶けて消えた。
「さて」
C型の椅子に腰掛けたまま、久礼一は小さくため息をついて、背後を━━夜の闇と完全に同化していた、黒い制服の少年をみた。
「君の言う通り、果たして彼は現れたわけだ」
「トミーから単独行動は避けろと言われていたはずなんだけどね。
まあ、功を焦ったんだろうね」
そう、黒い制服。しかし、月の意匠をあしらった制服。
南多磨高校・夜制の制服。
「それにしてもさすがは名高い久礼のChaining。
凄まじいものだね」
「賞賛をどうも。
君の動機を聞きたいね。『First Draft of a Report on the EDVAC』をいつの間にか回収しただけでなく、同胞であるエドサックを僕に闇討ちさせた……いったい、何を望んでいるんだい?」
「別に。ただ、強いて言うなら、バランスを取りたいだけさ」
「バランス、か」
日常の口調で言った夜制の少年に━━フェランティ・マーク・ワンに、久礼一は理解しかねるといった様子で首を傾げた。
「ユニバックたち。
君たち昼制の生徒会。
そして、夜制の委員会。
どれが強くなりすぎても良くないからね。
僕はどこにも属さない第三者━━いや、第四者として、バランスを取りたいんだよ。
ちょっかいを出すのは、すべてそのためさ」
「けれど、君は夜制の生徒で、英国のコンピューターだ。
一般論で考えれば、夜制・委員会の味方ではないのかい?」
「違うね。僕は彼らと共闘しているわけじゃない。
そもそも委員会にはフランスもいれば、日本だっている。イギリスにもイングランドがあり、ウェールズがあるように、国の中でも立場わかれるものさ」
「………………」
はぐらかすように肩をすくめるフェランティ・マーク・ワンを、久礼一は揺るがぬ瞳でじっと見た。
共に中性的な相貌。女性である、と強弁すれば通ってしまいそうな美男子ふたり。
「すべてはバランスだよ、アメリカのスーパーコンピューター」
けれど、考え方には根本的な差があるふたりが、黎明の黒の中で暗殺の事後を話し合っていた。
「僕の国、イギリスはそのために遠い昔から、とてつもない苦労をしてきたんだ。
僕はその志を継ぐのさ。この2085年……顕現存在の戦いにバランスをもたらしたいのさ」
「……その言葉通り、素直に受け取るわけにはいかないね」
今度はフェランティ・マーク・ワンの目が真剣で。
そして、久礼一は話題を逸らすように、うっすらと微笑んだ。
「英国人の舌は2枚どころか3枚あるというからね」
「3枚だって? とんでもない、4枚はあるさ」
どう見ても1枚にしか見えない舌を出して、世界で最初の商用コンピューター、そのうちの1人は笑った。
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「ね~、現人ったら。今日はどうしちゃったの?
なんだか朝からニコニコ笑っちゃって」
「いや……なんだか、さ」
朝が来て、少年と少女たちは学び舎へ向かう。
単眼鏡をかけた少年の視界には、いつもの日常が映っている。
小さくてかわいいユニがいて。大きくて馬鹿馬鹿しい京がいて。
隣には志保がいて。いつもの4人で歩む登校路が、目の前には続いている。
(愛しいな……)
この日常が。一時が愛しいと思う。
一緒にいる大切な人たちも。自分自身という存在も含めて。
何かを愛しいと感じることは、こんな気持ちだっのたかと、15才の少年は生まれて初めて考えている。
「僕はさ……愛されてるな、って」
「へっ!? ま、まあ……そ、そうねえ!
現人はみんなに愛されてるわよね! も、もちろん、志保様ちゃんもだけど……あ、あたしが一番だけど……」
「そして、僕も愛してるんだよな、って」
「う、現人っ……!?」
「なんていうかさ、生きてて良かったと思うよ。
心から」
何の雑念もない、朗らかな表情で津瀬現人は笑った。
「あ、あわわ……」
その笑顔を真っ正面から向けられた初敷志保は、瞬時に真っ赤になり、ふらふらとよろめくと。
ユニと京の元へ走り寄って、こう言った。
「現人がおかしくなっちゃった~……現人がかっこよすぎて……あたしもう死にそう……ごめん、今日、休む」
「はあ!? ち、ちょっと待て、志保。
僕、なにか変なこと言ったか?」
「シホの顔がとても赤い。わたしはすごく心配。
あと、ウツヒトは大体いつもかっこいい」
「うむうむ、確かに。
優柔不断に悩んでいる間はともかくとして、何かを決めたあとの我が朋友はそれなりに最高だと思うぞ、この俺も」
「あ、あのなあ……」
「でも、本当にウツヒトはかっこいい」
真っ赤なまま、はーはーと息を荒げている志保。
その顔に扇子で風を送っている京。
そして、ユニは上目遣いに現人の正面に立つと、天使のような笑顔をみせた。
「わたしを守ってくれるウツヒトは、優しくて、かっこよくて」
そして、続く一言だけは。
そっと現人の耳元へ唇を寄せて。他の誰にも聞こえないよう、小さな声で。志保に負けないほど赤い顔で。
世界で最初の商用コンピューターは、15才の少年に向かって、こう囁いた。
「そんなウツヒトが、わたしは大好き」
彼らと彼女らの物語はまだ続く。
(超電脳のユニバック 第四章・了)




