第五話『ノイマン型ではないモノ』(6/6)
「ウツヒト……わたしはウツヒトだけでも生き残ってほしい」
「ユニ……」
「優しいウツヒト。わたしのこと心配してくれて……守ろうとしてくれて……あったかくて。
一緒にいてくれて。ウツヒトのこと、わたし大好き。
シホもニューニもみんな好きだけど、ウツヒトのことがいちばん大好き」
涙を流して。割れた真空管を自らの首筋に当てて。
「ほんとうに大好き」
ユニバック・ワンは笑っていた。
これから自らの死が来ようとしているのに。
ヒトの姿をとって顕現したその身を自ら終わらせようとしているに。
━━本当に、幸せそうに彼女は笑っていたのだ。
「さあ!! 自らを滅するのです、ユニバック・ワン!」
エドサックが勝利を確信しつつ、吠える。
ユニバック・ワンが決意したように、目を閉じる。
「━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ダメだ」
その瞬間、津瀬現人は否定の言葉を呟いていた。
「え……」
ユニの腕に何本かの電気配線コードが巻き付き、動きを封じていた。
だが、それはエドサックの『支配』とは異なり、ひどく優しく、暖かい感触だった。
(これ……ウツヒトの……)
ユニは思わず目を閉じた。無機質なはずの配線コードから、確かに津瀬現人の体温を感じていた。
そして、その時。
「……………………勝~った」
いまだ身動きも取れぬままの姿勢で、ユニバック・Ⅱはにんまりと笑っていた。
~~~~~~UNIVAK the zuper computer~~~~~~
「モーリス・ホイーラー・エドサック!!」
少年が吠えた。
凛として。驚くほどの強さを伴って、彼は叫んでいた。威圧していた。
よくやってくれたな、と。よくも越えてはならない一線を越えたな、と。
「な……なんですか?
なんですか!?あなたのそれは!?」
エドサックは極端な動揺を露わにしていた。
それは無理もないことだった。
少々の異能を持っているとはいえ、単なるヒトにすぎないと。成人すらしていない、無力な少年にすぎないと侮っていたヒトの周囲に、顕現存在でなければ発することのないはずの青い光が渦巻き、無数の計算機部品━━リレーと呼ばれる装置が顕現してたのである。
(この津瀬現人という少年はユニバック・ワンとリンクしている……けれど、あくまでもヒトのはずではなかったのですか!?)
己の知見が。
見立てが根本から間違っていたのではないかと考えて、エドサックは慌てる。
だが、彼は『王』である。
予想外の事態に慌てることはあっても、恐怖や潰走とは縁のない存在である。
「あなたが何者であろうと、我が前にひれ伏すことは同じ!!」
渦巻く百数十年の時を経た、古のレポート。
First Draft of a Report on the EDVAC━━ノイマン型コンピューターの聖典がその右手に集まった。
そして、本来、顕現存在に対して振るうはずの力を彼はヒトに向ける。
ノイマン型の『王』は命じる。
絶対の言葉を。決して逃れられぬ聖呪を。
「フォン・ノイマンの名の下に、我が『支配』に屈せよ!!
我が『始祖の力』にひざまづけ!!」
「そんなものは━━知らない!」
ただのヒトが見るならば、それは単なる言葉の応酬だった。
だが、呆然として。しかし、津瀬現人の暖かい手のような配線コードに体を緊縛されつつ、事態を見守っているユニバック・ワンには何が起こったか、はっきりと見えた。
(ウツヒトがエドサックの『始祖の力』を弾き飛ばした……!)
『計算する宇宙』によって、コンピューターとしての相手を解き明かし、処理を無効化したわけではなく。
津瀬現人は、ただ単純に否定していた。
ノイマン型コンピューター、すなわち、この世界において設計され、製造され、運用された無数のコンピューター、そのほぼすべての頂点に君臨する『王』の聖典を「知らない」と言った。
「バ、バカな……!!」
そして、今度こそ、エドサックは驚愕と恐怖を露わにしていた。
彼の力が効かないのだ。『始祖の力』がまったく通用しない。
力で押さえ込まれるとか、効き目が鈍いといった次元ではなく、根本的にチャネルがずれていることに、エドサックは気づいてしまったのだ。
「あなたは……ノイマン型コンピューターではないのか……!?」
「コンピューターも何も……僕はヒトだ!!」
怒りに形相をゆがめながら、津瀬現人はエドサックへ向けて歩み寄った。
唇を震わせ、助けを求めるように周囲を見渡しながら、エドサックは後ずさろうとする。
その足下に握っていた『First Draft of a Report on the EDVAC』の束がばさりと落ちた。
何よりも大切な、何よりも守らねばならぬ、そして何者をも打ち倒す聖典は、今や単なる歴史的なレポートのコピー、その一対にすぎなかった。
「お前を消去する……エドサック!!」
「ひっ……!!」
走ることも忘れていた。飛ぶことも忘れていた。
ただただ、『王』は恐れていた。
このヒトとも顕現存在とも言えぬ何者かに対して、恐怖を抱いていた。
(ヒトか……顕現存在か……それは分からない! だが、顕現存在の力を行使している……そして、この少年は間違いなくノイマン型コンピューターではない……!!)
それはエドサックがただ一つ抱える弱点だった。
ノイマン型の『王』であるからこそ、そもそもノイマン型でないコンピューターに対抗する手段を、彼は用意していなかったのだ。
「消えろ、エドサック!!」
「ぃ、ひっ……!!」
そして、津瀬現人の右手がエドサックに触れ━━
その存在をこの宇宙から消し去ろうとした、その時だった。
「━━そこまで」
彼と彼。
すなわち、現人とエドサックの間に一本の剣が突き立った。
(なんだこれ……)
いや、それは剣ではない。杖である。それもエドサックが手にする紳士用のステッキとは根本的に作りが異なる。
少なくとも貴族、あるいは王族が持つのではないかと思われる、異様なほどの気品と、工夫の凝らされた装飾がその杖には備わっていた。
「彼は我の大切な部下である。
ここで失うにはいささか、惜しくあれば、な」
「ああ……! 我が女王陛下よ!!」
「女王陛下……だって!?」
歓喜の声をあげるエドサック。
現人は眉をひそめながら、悠然と転落防止柵の一つに腰掛けている、ドレスの少女を見た。
「我が名はコロッサス」
その単語自体が、巨大な魔力でも秘めているかのように、現人の鼓膜を震わせる。
「夜制・委員会の『委員長』にして、ブリテンの生んだ原初のコンピューターである。
ユニバックにも、ABCにも、ENIACにすら先立つ、唯一無二の存在である」
「ユニバックよりも……ENIACよりも前のコンピューターだって?」
「然り」
コロッサスと名乗った金髪の少女が右手を開くと、現人とエドサックの間につきたっていた、王杖がふわりと宙に浮いた。
そして、王杖は糸で引かれたように少女の右手へと収まる。
細く、小さな右手だった。コロッサスと名乗った少女の背丈は、ユニとほとんど変わらないように見える。
(これで女王って言われても……)
幼い少女の『ごっこ遊び』ではないかと思えてしまうほどの異様さと。
そして、どこか抵抗しがたい美がその容姿にはあった。
とはいえ強いて言うならば、ずいぶんとよく育った胸元のサイズだけは、女王の名にふさわしいと現人には思えた。
「歴史の闇に長らく身を潜めし、我なれば。
Zuseの力を宿したる少年よ。汝が知らぬも無理からぬこと」
「ツーゼ……? 僕の名字のことか?
それがどうしたっていうんだ?」
「ほう、自覚なきにして、その力を発揮せし、か。
それはまた愉快なことであるなら」
金髪の少女、コロッサスがくすくすと笑いながら、目配せする。
何かに気づいたようにエドサックが跳び、コロッサスの傍らに立った。それはまるで女王を守る騎士のようだった。
「……『王』が女王を守るのか?」
「ノイマン型の『王』は言うなれば、地方の一領主にすぎぬ。
あらゆるコンピューターを統べる『王の中の王』たるこそ我。
汝ら東洋の流儀に則って、帝王とでも皇帝とでも呼んでくれて構わぬぞ、Zuseの少年よ。
しかし、覇とだけは呼んでくれるな?」
「………………」
現人は沈黙で応じた。
三皇の後に五帝があり、王があり、覇者があった。よって、覇は王号より格下である。
そんな『号』の成り立ちの歴史など知らぬ、15才の少年が取る態度としては、最良のものと言えただろう。
「その沈黙や、良し。
近しき未来、またまみえようぞ、Zuseの少年よ」
「………………」
あくまでも現人は沈黙を守り続けた。
その態度をますますもって好ましく思ったかのように、金髪の少女は。
「いよいよもって、良し」
コロッサスはにっこりと微笑むと、エドサックと共に去った。
「……あいつ」
その姿が見えなくなってから、津瀬現人はようやく言葉を発することを己に許した。
(あいつは……ノイマン型コンピューターじゃ……ない)
現人の右目は単眼鏡を外したままである。
だから彼は見ていた。金髪の少女のすべてを。ドレスを剥いだその内を。情報としての存在そのものを。
それは驚くほど旧式なコンピューターだった。しかし、ぞっとするほどの莫大な国家的リソースが注ぎ込まれた構造であった。
(ノイマン型コンピューターが生まれるより、さらに前……原初の世代の顕現存在)
彼女がそういった次元の存在であると、理解してしまったからこそ、現人は動けなかったのだ。
━━と、その時。
「ウツヒト……っ!!」
「ユニ……」
唐突に少年は胸に重いものを感じた。少女の体重だった。泣きじゃくるユニの顔が目の前にあった。
「ウツヒト……わたしっ……えぐっ、ごめ……ごめんなさい……わたしのせいで、ウツヒトが……ウツヒトのこと、わたしっ……わたし……!」
「……ユニのせいじゃないよ。何にも心配しなくていいから」
「ぅ……あ……あ……うぁぁ……ぁぁぁぁぁ……っ……ぐしゅ……ウツヒトっ……ウツヒトを……ごめんなさい……ごめんなさい……わたしっ……!」
背中に回されたユニの両腕から、彼女らしからぬ強さを感じる。
力一杯に抱きしめられている。少女の全力で抱きつかれている。少年にはその意味がわかる。
(……本当に辛かったんだろうな)
津瀬現人の頭の中はまだ様々なものが渦巻き、ループし、少しずつ処理されつつある途中である。
(……ユニ)
それでも、まず少年の胸に浮かんだ想いは、愛しさだった。
「もう、大丈夫だから」
「ウツヒト……っ……ウツヒト、ウツヒトっ……!
ウツヒト……ぅぁぁぁぁぁ……ぁぁぁぁぁぁん……!」
少年の暖かい手が頭を撫でる。少女が愛しいヒトの名を叫びながら泣き続ける。
その後方では、身動きもできなかったいくつかの影が立ち上がりつつあった。
「っ……痛ぅ。どうやら、津瀬現人くん……彼がやってくれたようだな」
「フン。我々の助けがあってのことだ。……これで諦めると思うなよ、津瀬現人」
「いや~、やっぱりワタシの見立て通り!
現人さんが勝利のカギ! でしたねー! そして見立て通り!ワタシ、一番役に立ってません! あっはっはっー!!」
意識を取り戻した360と。苦々しげな表情の704と。
そして、得意満面のニューニと。
夜空の月が、勝者たちを見つめていた。




