第五話『ノイマン型ではないモノ』(1/6)
「先に仕掛ける!!」
一声と共に跳んだのはIβM 704であった。
顕現存在の身体能力は、ヒトのそれを遙かに超越する。月光を背にして、少なくとも10メートル近くに達したその跳躍は、さながら急降下する重戦闘機のようでもあった。
「モーリス・ホイーラー・エドサック!!」
「身の程を知れ、パンチカード屋!!」
直はフルネームを呼び、エドサックは蔑称で応じる。
「FORTRANソード!!」
IβM 704の右手に一振りの長剣が現れた。
その白刃には、ルーペを当ててみなければ確認できないほど、細かい文字がびっしりと浮かび上がっていた。
それは文字。しかし、文字にして言語。
すなわち、原初のプログラミング言語の一つであるFORTRANである。
ロスアラモスをはじめとする研究所で、実際に核開発の科学技術演算に使用されたプログラム・コード……その一部が、IβM 704の振りかざすFORTRANソードの刀身には宿っている。
「『始祖のコンパイル』よ!!」
まさにFORTRANソードの白刃が、エドサックの額に振り下ろされんとする刹那 青い光の粒が屋上の床から浮かび上がったかと思うと、長大な鑽孔テープの渦となった。
それは蛇のように素早く、そして驚くほど力強く、FORTRANソードの刀身へ絡みつく。
(馬鹿な……!?)
強制ターミネート命令が実行されたかのように、704の動きが止まった。動かない。FORTRANソードを持つ右腕が、コンクリートで固められたように、まったく動作しないのだ。
「FORTRAN、なるほど世に名高き高級言語ですね。
その顕現武装が備える『格』たるや、想像を絶するレベルでしょう」
「ぐっ……!!」
悠々と語るエドサック。歯噛みする704。
「だが!」
そして、ほんの僅かのサスペンドは、あっさりと破られる。
「いかなる高級言語であろうと、機械語への翻訳なかりせば、ただの英文にすぎない!!
そのために必要な技術……それがコンパイラ!
その『始祖』こそは! このエドサックにあるのです!」
「コンパイラの『始祖』だと……!?」
IβM 704はその時、自らのFORTRANソードへからみついて、鋼鉄のように動かない鑽孔テープのパンチ跡をみた。
それは偉大なる青が多用したパンチカードと同様に、開けられた孔の位置によって情報を示している。
「今! あなたの剣を無力化している、この鑽孔テープのプログラムこそは、世界ではじめて出現したコンパイラ!
永遠に続く歴史の第一歩となる、言語変換プログラム!!
機械語そのものとヒトが解せる言語の仲立ちをする、翻訳者!!
その始まりなのです!
すなわち、この偉大さの前では━━FORTRANをはじめて実装されたメインフレームである、などという小さな功績は児戯にすぎない!」
「侮るか!! 永劫に用いられるこの言語を!
LISPダガーよ!!」
右手がダメなら左手とばかりにIβM 704が顕現させたのは、小柄なダガーだった。
その刀身にはFORTRANソードと同様に、歴史の一ページで実際に用いられたプログラムコードが刻み込まれている。
LISP。
人工知能の初期研究で多様された言語であり、その歴史と功績もまた、FORTRANに勝るとも劣らない。
C言語やJava、あるいはBASICすら存在しなかった時代に生まれ、莫大な研究と発展を支えてきた、高級言語の第一世代である。
「児戯と言いましたよ!!」
しかし、そのようなLISPであろうとも、『世界で最初のコンパイラ』という存在からは、小さく見える。
プログラムにおける高級言語とは、一言でいえば人間が読める英数字のテキストである。
これを機械が━━すなわち、演算装置であるCPUが解釈できる形態に編集し、翻訳するのが言語変換プログラムの本質である。
「コンパイラなくして高級言語なし!
ゆえに、我、エドサックなくしてFORTRANもLISPも存在しないのです!!」
パチリ、とエドサックが指を鳴らすと同時に、FORTRANソードとLISPダガーは粉みじんに砕け散った。
「馬鹿な……!!」
「さあ、第1幕は仕舞いにしましょう」
愕然とするIβM 704にむかって、エドサックは手にした紳士用のステッキを構えた。
「ああ、ご安心を。
MI6ではありませんから、凶器は仕込んでおりません」
「エドサック、貴様……!!」
「マナーが紳士を作る! そして、歴史がコンピューティングを造る!」
重い一撃だった。
まるでビリヤードの玉を突き撃つような構えで、エドサックはIβM 704の鎖骨を狙い打つ。
「ぐふ……!!」
巨大なハンマーで叩かれたように直の体が吹っ飛び、転落防止柵にたたきつけられた。
大質量の物体が落下した時のような轟音に現人は目を剥いたが、柵の強度はなんとか持ちこたえる。
「か、は……っ!!」
しかし、それだけにIβM 704はその全身で猛烈な運動エネルギーを受け止める羽目になった。
「だっ、大丈夫か、704?」
「ふん……津瀬現人、お前に心配されるとはな」
血液なのか。あるいはそうでないのか。
赤い何かを口元から吐き出しながら、古毛仁直はシニカルに笑ってみせる。
「奴め、想像以上だ……だが、断じて無敵ではない。
━━いけるぞ」
端から見ている分にはほとんど何も出来ずに吹っ飛ばされたように見える704だが、彼なりに掴むものがあったらしい。
妙に自信ありげな口調である。
「360、ちょっと来い」
「なんだ、イトコ殿」
704は事態を見守っていた弥勒零を呼ぶと、何事か耳打ちし始めた。
エドサックについて、何らかの情報を伝えていることは、想像に難くない。
(凄いな……さすがに)
今更ながらに、現人はIβM 704という顕現存在に対して、舌を巻く思いだった。
確かに一度は戦っている。確かに一度は勝っている。
けれど、それはユニバック・ワンと現人、両者の力が合わさってのことであり、1対1ならば恐らくは……。
(そんな704がいる……360もいる……そんな顕現存在達が今は味方なんだ。
そうだ、まだいける。負けるはずがない!)
エドサックが見せた圧倒に揺らぎかけた現人の心は、瞬時に落ち着きを取り戻していた。
「じゃ、次はワタシが行ってみましょうかねえ!!」
「ユニバック・Ⅱ……またあなたですか」
そんな中、前へ進み出たのはニューニだった。
エドサックは呆れた顔で肩をすくめてみせる。
すでに敗れた者が再び挑もうと何ができるのか。そんな表情だった。
「ユニサーボ・ウィップ!!」
ニューニの右手に一振りの鞭が顕現した。
それはまるで太古の拷問用具のように柄の先が無数に枝分かれしている。
もっとも、そこにあるのはイバラの棘でも、黒光りする革でもない。リン青銅の輝きを放つ、金属磁気テープである。
「そちらの鑽孔テープは所詮、紙! こっちは金属!
素材の差でしょーぶです!」
「冗談を言っているのですか? それとも、あなたは救いようのない愚か者なのですか?
……そのような違いが、顕現存在同士の戦いで意味を持つと本気で思っているのですか?」
「いやー、ムリでしょうねえ、あっはっはー」
あっさりとハッタリを認めて頭をかくニューニ。
エドサックの額に一筋の冷や汗が流れ、偉大なる青の2人は眉をひそめる。
(あいつめ……)
そして、津瀬現人もまたいつものように呆れてしまう━━ところではあったが。
「ユニ……?」
「ウツヒト。そのまま何も知らないふうにしていて」
1人、真剣な目をしてニューニの一挙手一投足を見つめていたのがユニだった。
彼女は現人の傍らでささやく。そのままでいろと。無策のニューニに呆れた顔でいろ、と。
(何かあるな……)
だが、とってつけたようなポーカーフェイスは15才の少年には難しいものだった。
ああ、きっと京のやつならうまくやるんだろう。
そんなことを考えながら、現人はなるべく真剣な顔にならぬよう、必死で顔の筋肉から力を抜きながら、エドサックと対峙するニューニを見る。
「女王様と呼んでくださいよ、ブリテンの人!!」
「ふざけるな! 我が女王陛下はただ1人!」
到底、戦意を示すとは言えない叫びと共に、ニューニはリン青銅の鞭を振り下ろす。
エドサックの周囲に渦巻いていた鑽孔テープは、それを迎え撃つように絡み取る。
「おーおー、これはビクともしませんねえ……しかし!!」
瞬間的に冷凍でもされたように動きを止めるニューニのユニサーボ・ウイップ。
だが、その口元に浮かんだ笑みの意味に、エドサックはまだ気づいていない。
「ユニ姉様!!」
「エドサック!」
その刹那、疾風のように走ったのはユニだった。
巨大な釘バットとでも称すべき、水銀遅延線記憶装置を振り上げながら、ユニはニューニと挟み撃ちにする角度でエドサックに迫る!!
「水銀遅延線記憶装置!!」
「浅い!!」
だが、紳士はなおも驚愕しなかった。
不満げに顔をゆがめつつも、右手でユニサーボ・ウィップをからめ取る鑽孔テープ群を制御したまま、左手に新たな武装を顕現させる!
「水銀遅延線記憶装置!!」
「!!」
その名を聞いたとき、現人は愕然とした。そして、またか、と思った。
(バイナックだけじゃない……エドサックもユニと同じように、水銀遅延線記憶装置を使っていたのか!!)
水銀遅延線記憶装置。
それはDRAMやそれに類する装置が発明される以前に、ウィリアムス管と並んでコンピューターの主記憶として使われていた装置である。
「愚かなことです! ノイマン型であるということは、すなわち、『主記憶』にプログラムを置くということ!
あなた方、ユニバックの眷属が所詮、このエドサックの後追いでしかない以上、同じ水銀遅延線記憶装置を使っているのは、むしろ道理!」
「………………っ!!」
電気がスパークしたような音が。そして大質量の金属と金属がぶつかり合う音がした。
ユニの水銀遅延線記憶装置を、エドサックは同じ水銀遅延線記憶装置で完全に受け止めていた。
そこには鍔迫り合いの気配はある。だが、突破の兆候は見受けられない。
━━それでも。
「……エドサック、あなたは誤った」
「なに?」
エドサックはその時。
ユニバック・ワンが滅多に見せない『してやったり』という微笑みを━━それはケイという友人から学んだ笑みでもあるのだが、とにかく対戦相手にとって愉快でない笑いを見せたとき。
「まさ━━」
エドサックは、自分が何らかの策略にはめられたことを悟った。




